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54話

「……さて、どうしたものか」

 1551年。

 庭に咲いた桜を見て安吉は頭を悩ませていた。

「如何なされたんですか?」

 小春はそう尋ねると、安吉の隣に腰を下ろす。

「いやな。正確な位置を求める方法を思案していたんだ」

 安吉の言葉を聞いて小春は「あぁ、航海術のことですか」と答えた。

 優秀な航海士も、頑丈な帆船も用意した。

 周辺の物標から位置を求められる沿岸航行なら問題なくこなすことができるだろう。

 だが、問題は。

「遠洋航行にどうしても必要になる」

 水平線に囲まれた地点でどうやって、自分の位置を正確に知るかであった。

「緯度は簡単に求められるんだがなぁ」

 安吉はそういってつぶやいた。

 不思議そうな目を向ける小春に安吉は微笑むと概要を語った。

「北極星の位置を使うんだ。地表と北極星の角度を求めれば緯度が求まる」

 安吉はそう言って身振り手振りで説明する。

 北極星は地軸の延長線上にある星だ。

 北に行けば行くほど角度は大きくなり、北極点では直角になる。

 もちろん赤道ではほぼ水平線上に見える。

 ただこれは北半球でしか使えない。

 将来は南半球でも使えるようにする必要があるが、目下の問題ではない。

「経度はそうはいかないんですか?」

 小春の問いに安吉は「あぁ」と答えた。

「正確な時計があれば出来るんだがなぁ」

 安吉の言葉に小春は首を傾げた。

 昔習った知識を総動員して、安吉は解説を続ける。

「例えば、グリニッジが12時の時、ある地点では15時だったら。経度は何度だ?」

 突然の問いに小春は困惑した。

 そもそも求められるのかと疑いの目を向ける。

「時差は?」

 安吉の助け舟に小春は「3時間」と答えた。

「1時間の時差で経度は15度移動する」

 その言葉を聞いて小春はうなった。

「……うーん?」

「時差から経度が求められるんだよ」

 安吉はそう言って笑った。

 要領を得ない小春はあきらめたように笑うと立ち上がった。

「とにかく、正確な時計があればいいんですね」

 小春はそう尋ねた。

「あ、あぁ」

 安吉は彼女の問いに同意する。

 小春は自信満々の笑みを浮かべると「お任せください!」と笑った。


 翌日、安吉は金細工師たちの工房を訪れていた。

 小春も来たがっていたが、身重の身であることを理由にみつに止められてしまったようだ。

 その時、もの言いたげな顔で小春は安吉に図面を渡した。

 顔で「連れていけ」と言っていたが、後ろに立つみつの表情を見て安吉は彼女の訴えを無視した。

 工房の前で安吉は大きく息を吐くと小春に渡された図面片手に戸を叩いた。

「安吉だ! 皆そろっているか?」

 そう言って中に入ると、中には屈強な男たちが5人ほど集まっていた。

 彼らは皆、京都からこの大三島に移住してきた金細工師たちであった。

 そのほとんどが弟子を5人ほど雇っており、彼らの協力あってこそ、大祝の軍備は格段に増強された。

「橘屋筆頭に皆、そろっておりまする」

 大三島金細工師筆頭である橘屋がそう言うと、頭を垂れた。

「うむ。突然済まぬな」

 安吉はそう言うと、手早く右手に持った図面を広げた

 橘屋は安吉をまじまじと見ながら尋ねた。

「お方様は風邪でも引かれましたか?」

 その問いに安吉は苦笑いを浮かべた。

 思えば、彼らとの交渉や頼み事はすべて小春に一任していて安吉自ら訪問することはめったになかった。

「いや、身重故置いてきた」

「なんと! それは目出度い話ですな!」

 安吉の言葉を聞いて金細工師たちは声を上げた。

 どうやら、小春は彼らに好かれているようだ。

「今度、特別に火縄でも作ってやってくれ。泣いて喜ぶさ」

 安吉の言葉を聞いて金細工師たちは目を見合わせるとやがて笑い声をあげた。

「小春殿らしいな!」


 

「して、これを作ってほしい」

 五分ほど、雑談に花を咲かせた安吉は机の上に広げた図面を指さした。

 そこには小春の描いた2つの時計があった。

 片方は振り子式時計。

 もう片方はゼンマイ式のクロノメーターと呼ばれる精密時計。

 精密度で言えば、振り子式時計のほうが有利ではある。

 だが、揺れる船上では振り子式は大きく狂ってしまう。

 その代替品としてクロノメーターが用いられる。

 1航海ごとに振り子式時計を元にクロノメーターを調整すればその誤差はほとんどなくなる。

「この図面は、小春殿が?」

 橘屋の問いに安吉は胸を張った。

「我妻は天才だろう?」

 その問いに橘屋は苦笑いを浮かべて「あっしらよりも、金細工師に向いてるかもしれませんな」と笑った。

 おそらくは本心ではないだろうが、ここは素直に受け取っておくことにした安吉は「工房でも開かせてみるか」と言い、橘屋と笑った。

「できそうか?」

 そう尋ねると橘屋はほかの金細工師たちと図面を見て唸った。

「不可能ではございませぬが……これをいくつほど?」

「それほど多くない、振り子が1つ。クロノメーターは2つあれば十分だろう。のちに追加で注文するかもしれんが」

 安吉の言葉を聞いて「それなら」と橘屋は答えた。

「時に、今の大祝家は捕鯨などしておられましたか?」

 その問いに安吉は「いいや。戦が忙しくてしておらぬ」と答えると、橘屋は神妙な面持ちで答えた。


「これを長期間にわたって運用するなら、捕鯨をなされるべきです」



「あーなるほど……捕鯨、ですか」

 大山祇神社に戻った安吉は、橘屋の言葉を小春に伝えた。

 それを聞いた小春は納得したようで、何度もうなずいていた。

 橘屋の指摘、それは──。

「潤滑油を失念してたな」

 安吉はそう言って答えた。

 潤滑油がなければ振り子式時計は正確な時を刻むことはできず、歯車も摩耗していってしまう。

「橘屋曰く、年間に5頭もあれば十分らしいが……」

 安吉の言葉を聞いた小春は「予想外の所でつまずきましたね」と苦笑いを浮かべた。

「言っておくが、捕鯨は専門外だ」

「私もですよ」

 安吉と小春はそう言って両手を上げた。

 転生者と言えど、全知全能ではない。

 こうなれば──。

「年長者を頼るとしようか」

 安吉はそう言って立ち上がった。



「久しぶりだな」

 翌日、安吉は町のはずれにある航海訓練所を訪れていた。

 今ここでは50人ほどの若人たちが勉学に励んでいる。

 そこで教鞭をとる男に安吉は用があった。

「忘れられたのかと思っておりましたぞ」

 そこにいたのは、嶋貞時。

 安吉の教育係であり、彼に従って能島から大三島に来た家臣たちの一人であった。

「今回の生徒はどうだ?」

 安吉の問いに貞時は笑みを浮かべた。

「若に負けず劣らず、優秀な者たちですぞ」

 自慢げに笑う貞時の顔はひどく老けてしまっていた。

 安吉のために老体に鞭を撃ち、今日まで後進を育成し続けてきた。

「して、このような老いぼれに何の御用でしょうか」

 貞時の問いに安吉は「捕鯨を教えてくれ」と頼んだ。

 その言葉を聞いて、貞時は意外そうな顔を浮かべると「また、何か考えているのですな」と笑った。

「いいですか、若」

 貞時はそう言って安吉の目をじっと見つめると、意外な一言を口にした。


「いまの大祝には捕鯨なぞできませぬ」

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