50話
「安吉に後継ぎができたそうだ」
大三島からの手紙を読んだ武吉はそうぶっきらぼうに言ってその手紙を投げ捨てた。
「目出度いではないか」
武吉をいさめるように隆重は答えた。
同盟相手である大祝家に世継ぎが生まれたというのは純粋に迎合すべきことのはず。
にもかかわらず不機嫌になる武吉の意図が分からなかった。
「ふん、これで大祝は俺たちよりも一歩先に行くぞ」
武吉の言葉には重い意味があった。
この瀬戸内に並び立つ村上家の中で、もちろん大事されるのはその家の格、頂点に能島が君臨しその下に来島、因島と続く支配体制であった。
だがここ数年においてこの中に大三島の大祝家が入り込もうとしている。
序列が変わるには十分な状況であった。
そのなかで、安吉は後継ぎを得た。
これは次世代において大祝家が年長者として一歩抜きんでることを意味していた。
「ここで、序列をはっきりさせなければ能島は堕ちる」
武吉はそう断言した。
経済、軍事、外交。
共に大祝家は他の追随を許さないほど爆速的に進化を遂げている。
しかし、家中はいまだに安定していない。
「叔父上、かますぞ」
「武吉様から催促が来た」
越智隆実は務めて平静に義実に伝えた。
義実は「やっかいですな」と答えると酒を呷った。
「だが、いま安吉は浮足立っている。しかけるなら今であるのも事実」
隆実はそう言って「兵はどれだけ集められる」と義実に尋ねた。
義実は顎に手を当ててしばし考えると答えを出した。
「5日もあれば300の兵を集められるかと」
越智家の所領は大三島東岸であり、小さな城を根城にしている。
だが、持つ兵力は非常に強大で全力を出せば800程度の兵を捻出することができる。
「常時軍備についている紅衆なら1日で動員できるのであろうな」
苦虫を噛み潰したように隆実はそう言った。
「ですが、紅衆500のうち300は京におりますし、50程度も風鳴丸と海鳴丸に乗り込んで警備の任についておりますし……」
大三島に残っているのは実質150。
しかもそのすべてが簡単に任地を離れられるものではない。
「……わかった、保守派の者共にも話をつけろ」
隆実の言葉に義実は「応」と応じた。
水面下で不穏が蠢いていた。
「そうか、越智隆実が」
みつからの報告を聞いた安吉は大きくため息を吐いた。
どこかこんな日が来る予感はしていた。
いよいよ覚悟を決めなければならないらしい。
「紀忠を呼べ」
表情を鋭くさせた安吉はみつにそう命じた。
「承知」
みつは端的に答えるとパタパタと去っていった。
そして、背後の小春に背を向けたまま「安舎殿と戦になるかもしれない。おぬしは安舎殿の所に戻られよ」と静かに告げた。
安吉の言葉に、小春は多くは語らなかった。
ただ一言、「いやよ」ときっぱりと答えた。
「いいんだな」
安吉の問いに小春は無言でもって答えた。
戦になれば身重の小春は動くことができない。
安吉が負ければそのまま運命を共にすることになる。
小春はそれを受け入れたのだ。
しばし静寂が周囲を支配した後ドスドスと足音が響き勢いよく襖が開け放たれた。
「面白れぇことになってんな」
そこには紀忠がいた。
「大三島にいる紅衆150に戦闘用意を命じる。のろしが上がればすぐにこの屋敷に来れるようにしろ」
安吉の言葉に紀忠はニカッと笑い「おう、いつでもいけるぞ」と笑った。
これが、常備軍である紅衆の強みだ。
常に戦をする用意ができている。
やろうと思えば越智隆実の所領に奇襲を仕掛けることだって不可能じゃない。
「戦になる、2隻の帆船は戦になり次第接収されぬように堺に待機させろ」
その言葉に紀忠は「使わんのか?」と尋ねた。
「なるべく、アレの力ではなく俺の力で戦いたい」
安吉は強い意志とともにそう答えた。
結局、帆船の強力な火力で敵を打ち滅ぼしたとしてもそれが安吉の権威につながるわけじゃない。
あくまで帆船の権威が上がりそれを持つ安吉の権威が副次的に上がるだけだ。
「殿らしくなってきたな」
紀忠の言葉に安吉は照れ笑いを浮かべた。
「あとは俺に任せてお前さんは他のことでもしとけ」
紀忠はそうぶっきらぼうにいうと、その場を去っていった。
「応」
安吉は去っていく紀忠の背中にそう声を投げると小春に「墨と紙を」と言って自らは普段執務を行う台を取り出した。
「どなた様に?」
小春の問に安吉はニヤリと微笑んで何も答えなかった。
「皆の衆! 立て! 今こそ忌まわしき村上の手から大祝家を取り戻し高貴なる大祝へと戻すのだ!」
5日後、300の兵とともに隆実が甘崎城で蜂起。
それに保守派の面々も追随し合計兵力は700に達した。
わずか5日間でこれだけの兵力を集めたのは単に越智隆実の人望であり、安吉は紅衆150と改革派の兵100の合計250。
約三倍もの兵力差があった。
これに対し安吉は安舎とともに大山祇神社の本殿を中心に立てこもる。
隆実は400の兵に大山祇神社を包囲させると手勢の300を連れて港を占領、そこには見慣れぬ船があった。
「旧敵をこんなときに呼びよせるとはどんな神経してんだ」
見慣れぬ船の主はそう言って安吉に文句を垂れた。
彼の身に着ける服には3つの円に1本の横線が描かれていた。
「たまたまにございまするよ」
安吉はそう言って微笑むと彼の盃に酒を注いだ。
「ふん、お父上が『行け』と言わねば来なかったよ」
男はそう言ってため息を吐く。
「元久殿がいれば100人力にございまする」
安吉はそう言って頭を垂れた。
今対面に座るのは毛利元久。
数年ほど前の戦いで安吉と一騎打ちを演じあった男だった。
「しかしこれは安吉殿のミスだな」
あえて、元久はミスという単語を使った。
安吉はそれに「まぁ、否定できませんね」と笑った。
元久は彼の笑みに一種の恐ろしさを感じた。
彼の一連の行動を見るとここまでに起きたすべての出来事は安吉の手の上にあるとすら思えてくる。
「しかし元久殿と安舎殿がいれば攻め込まれることはないでしょうなぁ」
安吉はそう言ってのんきに笑った。
保守派が当主に担ごうとしているのは安舎で、それに弓引くことなんてまずありえない。
それに元久を攻撃すれば即ち毛利家と開戦することも意味している。
「で、どうするんだ?」
元久の問いに安吉はニヤリと笑うと「打って出ます」と答えると立ち上がった。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
立ち上がった安吉に元久はそう尋ねた。
安吉はそれを無視してその場を去り、去り際に「小春を頼む」と言い残した。
「皆の衆、これは俺の失策だ。許せ」
本殿を出て安吉は広場に集まる紅衆に向かってそう言った。
彼の発言に紅衆はざわついた。
「何言ってやがる」
陰で安吉を眺める紀忠はそうこぼした。
包囲され、士気の下がり続ける紅衆にそれを助長させるようなことをして何になる。
彼の常識ではそうだった。
「帰るなり好きにしろ。奴らが勝っても構わないというものも帰れ」
安吉は続けた。
「奴らは古き良き大祝家を取り戻そうとしている。それもまたいいだろう」
彼の言葉に兵たちは動揺する。
中には帰ろうと言い出しかねない兵たちもいる。
「だが、俺はそれでいいと思わない。奴らではこれ以上の未来はない。だが、俺は創る。日の本一の街をこの大三島に作り上げる!」
安吉の言葉に兵たちが沸き立った。
保守派が紅衆や帆船に反感を持っていることは皆に知れ渡っている。
「続く者たちは右のこぶしを振り上げろ!」
安吉はそう雄たけびを上げた。
その場にいた150の兵は一斉にこぶしを振り上げた。
「えい! えい! 応!!」
鬨の声が響き渡った。
「悪いお方」
物陰から成り行きを見つめていた小春はそう呟いた。




