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44話

「母上!」

 突然襲いかかった矢に穿たれた柚は倒れ伏す。

 隣を走っていた月丸は母のもとで跪く。

「月丸様! 柚様!」

 三治郎はそう叫ぶと走る速度を一層早めた。

 寸分違わずたった一発の矢で走る人間を撃ち抜くなど尋常の腕ではない。

「者共! 月丸様をお守り致すのだ!」

 三治郎がそう叫ぶと配下の兵たちが月丸の周辺を取り囲んだ。

 今まで、父親の影に隠れその武勇が目立つことはなかったが、三治郎もまた大野家家老を歴代勤め上げた香山家の男児であった。

 この戦場においてその輝きは一層増しつつある。

 そんな彼を見て常木は若き頃の武忠と三治郎を重ね合わせていた。

(拙僧も老いた、か)

 そう自重すると柚のもとに跪いた。

 常木は将であり、軍略家でもあるが、ある程度の医学知識すら持ち合わせている。

「これは……」

 しかし、柚の状況を見て常木は思わず息を呑んだ。

 たとえ医学知識がなかったとしてもこの状況を見れば誰だって察する。

「常木殿、柚様は?」

 周囲を警戒する三治郎が心配そうに尋ねた。

「母上は助かるのだな! そうじゃな! そうじゃと……そうだと言ってくれ!」

 三治郎に追従するように月丸が叫んだ。

 常木はこの光景を何度も見てきた。

 やれイノシシに、やれクマに、やれ山賊に。

「もはや息すらしておらぬ、無理だ」

 何度も、残酷に伝えてきた。

 一縷ののぞみすら紡げぬ状況でも、助けを請われてきた。

 常木の言葉を聞いて三治郎と月丸、そして兵たちが落胆する中、一瞬、警戒が緩んだ。

 

 敵は、その隙きを見逃さなかった。


「月丸様!」

 常木はそう叫ぶと月丸に降り掛かった矢を右手で受けた。

「がっ!」

 痛みで思わずうめき声を上げる。

 だが、襲撃者の場所は特定した。

 常木がキッと睨みつけると林の奥に浮かぶ2つの目。

 一瞬目があったかと思うとその目は突然消え、林の奥で鳥たちが慌ただしくバサバサと飛び立っていった。

「常木殿大丈夫か!」

 三治郎はそう叫ぶと常木に駆け寄った。

「拙僧は大丈夫だ、それより早くここを離れるぞ」

 常木はそう言うと立ち上がり、小太刀で突き刺さった矢の尾を切り落とした。

 下手にこの場で抜けば出血が増える。

 毒でも塗られてない限りこうして飛び出た部分を切除し、あとは止血できる場所で抜いたほうが良い。

「……これは」

 月丸はそうつぶやくと切り落とした矢の尾を拾い上げた。

 羽の部分に何やら家紋が描かれている。

 よく見ればそれは柚に突き刺さったものと同じであった。

「丸に上の字」

 月丸の手元を覗き込んだ三治郎がつぶやいた。

 丸印の中に上の字。

 まさしくそれは──


「村上水軍」


 常木はそうつぶやいた。

「村上……。それが母上の仇か?」

 月丸は常木の言葉に尋ねた。

 静かに常木が頷くと月丸は拳を握りしめた。

「許さぬ、村上の者共め……。儂が必ず殺してくれん!」

 憎しみに染まったその顔にはもはや年相応の幼さなどなく、ただひたすらに復讐を果たそうとする武人の姿があった。



 それから数時間としないうちに恵良城は陥落した。

 三好勢15000はその勢いを弱めることなく各地の城や豪族を蹴散らしながら進撃。

 また、河野家の盟友であったはずの宇都宮家と西園寺家も三好と新たに同盟を結び南部より湯築城へと迫った。

 大祝安吉及び村上通康は両家の侵攻が及ばない西方海域にて島々に点在する城を強襲。

 海鳴丸及び風鳴丸の破壊力は抜群であり、その砲撃の凄まじさは湯築城天守からも見えるほどであった。

 ことここに及んで河野家当主通宣は徹底抗戦を主張。

 敗残兵たちをなんとかまとめ上げ8000の兵とともに籠城した。

 陸上からは三枝良房5000を筆頭に、後続の7000が合流。

 これに宇都宮・西園寺連合軍の5000も加わりその数17000。

 海上には海鳴丸、風鳴丸を筆頭に大祝家1000に加え、動きの見えなかった村上武吉の軍勢3000が加わった。

 総じてその数20000。

 来島村上家の帰属問題から始まったこの戦は気がつけば河野家討伐戦へとその様相が変貌していた。

 半月としないうちに城内の士気は崩壊し、通宣はついに降伏した。



 それからすぐさま参戦した諸勢力間で交渉が行われた。

 降伏した通宣の扱い、伊予国の扱い。

 及び瀬戸内利権。

 会談はすぐさま湯築城にて行われた。

「失礼致す」

 安吉が半ば緊張しながら襖を開けるとそこにはすでに二名の人物がいた。

 一人は西園寺実充、西園寺家当主。

 官位は従五位下左近衛少将。

 その隣の人物は実充よりもやや年老いて見える初老の男。

 名は宇都宮清綱、官位は遠近江守となっているが、その実はただの名ばかり守護だ。

 いずれももはや大祝家の家格からすれば『格下』ではあるが、最低限の礼節を忘れてはならない。

「こ、これは瀬戸内守殿……」

 やや動揺したように実充は口を開いた。

 それもそうだろう、今まで必死に何代もかけて築いてきた官位をポッとでの男にすべて抜かされて面白いはずがない。

「これは、左近衛少将殿。この度はお世話になり申した」

 安吉はそう言ってうやうやしく頭を下げた。

 その態度はおよそ階位が下の人間に対してする態度ではなく、むしろそれは上位の人間にするような態度であった。

「遠近江守殿も、此度の戦。ご助力感謝いたしまする」

 安吉の言葉に二人は頬を緩めると「なに、瀬戸内守殿が奮戦なされたおかげ」「あの帆船はまさしく城ですな」などと口々に安吉のことを褒め始めた。

「歴戦の雄であるお二方にそのような賛辞をいただけるとは……恐悦でございまする」

 安吉はわざとらしく語気を強めていうと、頭を深々とさげた。

 その様子に実充と清綱の二人は満足げに微笑んでいる。

 そんな中、安吉は頭を下げながらほくそ笑んでいた。

 人間第一印象が大事なのだ。

 自らより官位が上の人間が年長者を敬い官位が下の人間にすら頭を垂れるとなれば、自尊心の強い二人は愉悦にひたり、安吉の評価を高めているところだろう。

 事実、実充と清綱はこの安吉の行為に感心するとともに好意を抱き始めていた。

 

 しばし、三人は談笑に勤しんだがすぐさまそれも終わりを告げることとなる。

 襖の奥からトス、トスという小さくも重たい足音が聞こえてきたのだ。

 その音を聞いた瞬間、実充と清綱の顔が強張った。

 その様子を見て安吉は一瞬で察した。

(三好長慶がくる)

 この時代の天下人。

 日本の副王と呼ばれた男がここにいる。

 そう感じた瞬間、安吉はゾクリとした。

 長慶については小春から聞いている。

 扱いとすれば織田信長や豊臣秀吉、徳川家康に並ぶ第4の天下人だ。

 徐々に近づく足音に安吉は胸を弾ませる。

 そして襖の前で足音が止まった。

 次の瞬間、勢いよく襖が開かれた。

 直後、安吉は暴風に見舞われたかのような錯覚に陥った。

 天下人の覇気。

 武吉にも、元就にも、安舎にもなかったそれはまさしく──。


「皆、揃っておるな」


 天下人というに相違なかった。

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