38話
「常木殿!! 後ろから! 後ろから敵が参ります!!」
背後からの爆音を聞いて茫然とする常木に必死の形相で兵士が報告をもたらした。
「敵勢は!」
常木はそう尋ねた。
一体どれが偽りなんだ。
目の前にいる軍勢か。
それとも背後からくる軍勢か。
いや、来島城の敵兵か。
全てをそうじれば最低でも7000になってしまう。
どれかが偽兵でなければ説明がつかない。
「背後より参る軍勢! 大三島勢800! 来島勢1200!!」
その声に常木は絶望した。
戦況を読み違えた。
偽兵は来島城に籠る兵だ。
来島城の陰から3000の兵を出陣させ、来島城には2000の兵を残しているように見せかける。
しかしそれはただ旗印を掲げるだけの偽りのものであった。
2000の兵は島影に隠れながら常木達の背後に回り込んでいたのだ。
考えてみれば簡単な策略だった。
そんなものも見抜けないなんて――
「軍師失格だな」
常木はそう呟くと前後を眺めた。
状況は最悪。
後方からは奇襲を受け、前方からは士気旺盛な敵の軍勢。
しかもこちらは鶴翼の陣形になっており陣の幅が薄い。
前後から挟撃されれば瞬く間に陣は崩壊する。
この戦。負けたな。
常木はそう確信すると軍配を振り上げ撤退を命じようとした。
「常木殿! 策を思いついたのですね?!」
兵は常木にそう笑みを浮かべて尋ねた。
常木はその様子に驚いた。
奇襲一つ読めない軍師にここまで期待しているのか。
なぜ、士気が崩壊しない?
そんなもの一つしかない。
武忠と常木への異常なまでの信頼。
ただひたすらについていけば勝利を掴めると信じている。
「……。俺たちは勝てるかな」
常木はそう尋ねた。
その問いに兵は破顔すると自信たっぷりに答えた。
「常木殿と武忠様なら必ずや」
兵の言葉に常木はニヤリと口角を上げた。
そして、振り上げた軍配を静かに降ろした。
「左翼の隊を下げろ。右翼の隊はそのまま、中央と右翼で前方の敵への片翼包囲を狙いつつ、左翼の隊で後方の足止めを行え!」
常木の言葉に兵はすぐさま「承知!!」と応じると左翼へと向かって行った。
「放てぇ!! 放て! 大三島勢の力を見せつけるのだ!」
門右衛門は焦っていた。
小早と関船からなる快速部隊で敵の後方に突入したのはいいものの、奇襲の効果がそれほどみられない。
潮の流れは我等に対して追い潮で流れており、速度や奇襲の効果は十分だったはず。
「敵は、化け物か! なぜこれほどまでに士気が続く!」
炮烙を投げつけ敵の船を爆破しようと、火矢で炎上させようと敵の士気が減じることはない。
むしろ士気が上がるばかりだ。
「殿ォ! 敵の左翼が反転してまいります!」
その言葉に門右衛門は少なからず動揺した。
完璧な奇襲を仕掛けたはずなのに、敵は落ち着いて対応している。
「すべて読まれていたかのような気がしてくるな」
門右衛門はそう呟いた。
徐々に数の差が表れ始め、劣勢になりつつある。
「のこのこと退きますか?」
隣にいた兵がにやりと笑って門右衛門に尋ねた。
その問いに門右衛門は目の前にいる軍勢を睨んだまま答えた。
「まさか。それでは殿に嗤われてしまう」
門右衛門の言葉に兵は静かに頷いた。
近衛衆は安吉によって救われたと言っても過言ではない。
そして、大三島の民も。
大内との戦で焼け野原になった大三島は壊滅する運命にあった。
だが、安吉によってその運命は変わった。
「安吉様の恩義に報いるべきですな!」
兵の言葉に門右衛門は「応!」と応じた。
「目指すは敵の本陣ただ一つ!! 己ら死して忠義を為せ!!」
門右衛門の咆哮。
その言葉に今まで指揮の低かった大三島勢の士気は最高潮になる。
「敵は討ち捨てろ! 敵の大将、武忠の首のみを目指すのだ!!!」
門右衛門の命令に水夫までもが声を張り上げて「応!!」と応じた。
「来島勢も遅れるな! 大三島勢に続け!」
政明も負けじと声を上げる。
大三島・来島勢2000は武忠の首を求め、猪突猛進するのであった。
「敵は左翼を下げたか」
通康は会場から敵の動きを見てそう呟いた。
敵の左翼はおよそ1500程度。
それが後方に下がり門右衛門らへの対処に回った。
「兵数に差はなくなった! では勝敗を分けるのはなにか!!」
通康はそう言って周囲にいる兵たちに問いただした。
その数およそ800。
残りの兵は敵の中央および右翼と交戦している。
「兵の質にございまする!!」
周囲の者たちはそう応じた。
「地の利にございまする!!」
他の者はそう答えた。
通康は兵たちの言葉にニヤリと笑うと、声を張り上げる。
「我らは兵の質に優れ! 地の利に優れている!! 敵に負ける道理はどこにあろうか!」
通康の雄叫び。
兵たちはその声に鼓舞された。
「勝鬨をあげよ! 敵を威圧し! 我らの力を見せつけるのだ!」
通康はそう言うと「えい! えい!」と声を上げる。
「応!」
「えいえい!」
「応!」
その勝鬨は戦場を支配した。
通康の勝鬨は武忠のもとにも届いていた。
常木は焦燥感に包まれていたが、武忠はそうではなかった。
「戦はこれからじゃぁ!! 者ども! 必死に生きるぞ!!」
武忠はそう雄たけびを上げた。
生きろ、その言葉は兵士たちを鼓舞した。
後ろも塞がれた今、生きるためには敵を撃破するほかないと皆がわかっている。
「武忠様! 前衛はお任せいたす!!」
常木はそう声を上げた。
「後方はどうかな」
武忠はそう尋ねた。
その問いに常木はにやりと笑った。
「血が疼く戦況にございますれば!」
常木の言葉に武忠は大声を上げて笑う。
「常木!! お主も武士だな!」
「拙者! 坊主に候!!」
武忠の言葉に常木はそう冗談めかして応えた。
坊主を名乗るには些か人を殺しすぎているが、心は未だ仏門の徒であった。
「ご武運を!」
常木はそう叫ぶと自らの手勢の乗る安宅船と関船2艘に「前へッ!!」と命じた。
去っていく後姿を見つめながら、武忠は静かに佇んでいた。
「応じないでよいのですか?」
兵の問いに武忠は目元を拭うと通康の軍勢を睨んで答えた。
「おうとも! 奴は必ず返って来るわ!!」
武忠はそう答えると槍を振り上げた。
彼の周囲にいた兵たちはそれを注視する。
その瞬間、ある報告がもたらされた。
「右翼より敵勢800! 田沖経久らの軍勢を破砕しながらこちらに向かってきまする!」
「田沖経久殿、田沖経善お討ち死に!」
その報告は武忠を怒りに震わせた。
田沖家はもともと百姓の一家であった。
武忠の手勢がまだ20名程度だった時から戦になれた経久は武忠をよく支えていた。
故に、武忠がある程度の地位に就くと経久を取り立てた。
「そうか、鬼老が死んだか」
武忠は怒りに震える中、そう静かに零した。
鬼老。それは武忠が経久を称えつけた通称であった。
一度たりとも本人が自称することはなかったが、河野家家中では「武忠に白髪振りし鬼老あり」とひろまっていった。
「皆の衆! 鬼老の仇討だ!!」
武忠がそう声を張り上げると配下の兵たちもまた、「応!」と力強く応じたのであった。
エタったりはしませんよ……?
言い訳いたしますと、作者ストレス性胃炎になり、寝込んでおりました。
ほんとですよ?
いまは回復いたしましたので無理のない範囲で更新を続けていきます。




