16話
「くそ、まだか」
普段は質素な服に身を包む安吉もこの時ばかりは唐物の蒼い着物に身を包んでいた。
そして彼は評定の間にて本来は主君が座るべき場所の最上段である人物を待っていた。
「若、落ち着いてください」
そう言った貞時に安吉は「あ、あぁ」と応じる。
二人のやり取りを微笑ましく見つめるのはわずか10人ばかり。
それぞれ5名ずつ村上家と大祝家の人間で、武吉や安舎を筆頭に重臣たちや一門衆が列席している。
彼らはそわそわとしている安吉を見てどこか微笑まし気な表情で見ていた。
「我等も婚儀の時は気が気でなかったな」
大祝家の重臣がそう声を上げるとその場は笑い声に包まれた。
婚儀の場だというのにこのような穏和な雰囲気なのは村上家や大祝家独特の物だろう。
和やかな雰囲気に包まれる評定の間に太刀を腰につけ、和服に身を包んだ紀忠と貞道が現れた。
「小春様、ご到着」
彼らはそう厳かに言うと左右に並ぶ。
すると一人の女性が姿を現した。
桃色の着物を身につけ、桜の意匠が施されたそれは彼女の名にあったものであった。
紅を付け、普段から大きいその瞳は化粧によってさらに美しく見える。
「おぉ……」
どうやら、皆も同じ感情であったようで感嘆の声が上がる。
「美しい」
思わずそう漏らした安吉に小春は小さく微笑むと安吉の隣に腰を下ろした。
すると二人の親である武吉と安舎が横から二人の前に移動する。
そして安舎が手を上げると配下の者が武吉と安舎に杯を手渡す。
彼らは互いにそれを交換し合い毒がないことを確認する。
「では、二人とも。これを」
武吉はそういうと酒を注ぎ、安吉に杯を手渡す。
安舎もそれに倣い杯に酒を注ぎ小春に渡す。
杯を手渡された二人はお互いに見合わせ、そして同時に酒を呷った。
「これでうぬらは夫婦だ」
そう言った武吉に安吉と小春は照れくさそうに笑った。
婚儀を終えると安吉が安舎の養子入りする儀式を終え、さらに大祝家と村上家で同盟が結ばれた。
その後は村上家主催で酒宴が執り行われていた。
そんな中、武吉はその場を離れ自らの自室に向かった。
「おや、叔父上。酒宴はよいのですか?」
ふすまを開けるとそこには武吉の叔父、隆重がいた。
武吉の問いに隆重は冷ややかな笑みを返した。
「呼んだのはお主であろうに」
そう言った隆重に武吉はケラケラと笑うと彼に杯を手渡した。
「久方ぶりに拙者の酒を飲んでいただけませぬか?」
そう言った武吉に隆重は「無論」と応じた。
武吉は隆重が差し出した杯に酒を注ぎ、自らの杯にも注いだ。
「して、此度の戦はお主の思い通りか?」
隆重の問いに武吉は「なんのことやら」ととぼけた。
それに隆重は眉間にしわを寄せると呆れるように溜息を吐いた。
「貞義は死に、難波は手傷を負った。鎌田や笠原も戦場から離れるそうだ。大損害ではないか」
そう言った武吉に隆重は語気を荒げた。
「いずれもお主の息がかかった優秀な嫡男がいるではないか!」
そう言った隆重に武吉は静かにニヤリと笑った。
嶋家、難波家、鎌田家、笠原家。
いずれも武吉が手塩にかけて嫡男たちを育成している。
もちろん貞道もその一人である。
「古き柱を抜き去り、新たな柱を差し込んだ。違うか?」
そう尋ねた隆重の口調は荒かった。
「だとしたら?」
挑発的に尋ねる武吉。
それに隆重は言葉を続ける。
「加えて今回の婚儀だ。これでお主は格上であったはずの大祝家を一門に取り込んだ。安舎様は隠居し、安吉が養子入りしたことにより実権を握るだろう」
そう言った隆重の言葉を聞きながら武吉はうんうんと頷く。
隆重はなおも言葉を続ける。
「此度の戦を通じて来島とも和議を結んだ。近々婚儀を結ぶそうだな。これで能島、来島、大祝の三家がお主の元に収まるのだ。これを策でないというのは無理があろう?」
隆重の追及に武吉は「さすが叔父上」と応じた。
「なぜ、儂を除外した」
そう言った隆重の表情は悔しそうであった。
隆重とて歴戦の武士だ。
策を弄したことにいら立っているわけではない。
「嫉妬ですか?」
そう挑発的に尋ねた武吉に隆重は立ち上がった。
「なぜ儂を除外したのだ!」
隆重が声を荒げている理由は自分が蚊帳の外にされたことであった。
それに武吉はあざ笑った。
「教えたところで、叔父上が安吉を焚きつけたらどうなりますか?」
そう尋ねた武吉に隆重はハッとした。
もしも、策を伝えられた隆重が武吉を裏切って安吉を味方につけたとしよう。
大祝家は大内に頭を垂れてでも裏切り者の武吉を葬りに来るだろう。
「それでも我等は一門だぞ」
そう苦々し気にいった隆重を馬鹿にするように言った。
「俺は従兄から家督を簒奪しだんだぞ?」
隆重はうなだれた。
これが戦国の世か。
だが、次の瞬間疑問がわいた。
「なぜ、今種を明かした?」
そう尋ねた隆重に武吉は満面の笑みを浮かべた。
「すべてが終わった今。叔父上が力を握ることはできませんから」
この戦で武吉個人は来島家とのつながりを持った。
これで、能島村上家の当主は武吉であると来島家が正式に認めたようなものだ。
逆に安吉個人は大祝家という強大な後ろ盾を得た。
大祝家は河野家の分家であるため、もっといえば守護である河野家とのつながりを得た。
だが、隆重はどうだろうか。
武功をたてはしたが、それだけだ。
武吉の後ろ盾という家中での位置づけも来島家に奪われた彼は今、ただの一門衆でしかない。
「……弟でも信用しないのだな?」
隆重は言葉を絞り出した。
その問いに武吉は口角を吊り上げた。
「当たり前ではないですか」
その顔は月夜に怪しく照らされていた。
「これからはここが、お主の領地だ」
大山祇神社の焼け跡に二人の男が立っていた。
「焼け野原、ですね」
そう言った安吉の言葉に安舎は「だが、開発するにはやりやすい」と答えた。
安吉は彼の元に養子入りし、名を大祝安吉と変えた。
それと同時に大祝家の内務、軍務、外務を統括することとなり、安舎は神主としての業務に専念する。
「安吉。兄を超えろ」
安舎はそう言った。
彼の眼前には焼け野原となった大三島の町とその奥に瀬戸内が広がっている。
「瀬戸内は兄上に差し上げまする」
安吉は野望に満ちた顔でそう言った。
彼の瞳に移っているのはもはや瀬戸内ではない。
そのさらに向こう、日本海。そして東シナ海であった。
「南蛮に互するだけの艦隊をそろえてみせまする」
そう宣言した安吉に安舎は呆気に取られたが、すぐに笑い声をあげた。
だが、それは決して馬鹿にするようなものではなく、安吉ならばできてしまいそうだという淡い期待を寄せてのことだった。
昨日は更新できずに申し訳ございません。
代わりと入っては何ですが、本日更新させていただきます。
さて、安吉の初陣はひと段落です。
以後は内政に努めてい行くことになると思います。
どうぞご期待ください。




