12話
「六角の隊で北を抑えさせろ!」
そのころ、三好長逸の陣はあわただしくなっていた。
というのも、彼らから見た毛利の動きは実際とは大きく異なった捉え方をしていた。
「旗の数はそれほど変わっておらぬのだな!」
長逸の問いに物見の兵は「ははっ!」と答える。
その返答を聞いて、長逸の嫡男である長虎は声を荒げた。
「父上! 援軍が来たということでございましょう! 今のうちに決戦を挑むべきです!」
彼は何かに焦るようにそう声を上げた。
事前の情報では毛利方は約3万と5000。
対して三好は4万と7000。
敵に援軍が来る前に決着をつけるというのは確かにいい策ではあった。
だが──。
「まだ待て」
長逸はそう答える。
彼の考えはまた違ったものであった。
三好と毛利の痛み分けでこの戦を終える。そう考えていた。
理由はいくつかあった。
だが、最たるものはこの戦に価値などなかったからだ。
力を持ちすぎた配下の家臣たちの力を削ぐための戦。
勝つ必要すらなかった。
だが、この時点で長逸はあることを見落としていた。
否、三好の諸将全員が見落としていたのやもしれない。
この戦、絶対に負けてはいけなかったのである。
そのころ、元久の隊を先頭に毛利勢3000が芦田川西岸を北上していた。
彼らの目標は芦田川上流域で東岸に渡河し、三好を北から圧迫することであった。
「隆家ェ! 2500。任せてもよいな!」
北へ向かう元久は馬を走らせながら声を上げる。
3000のうち先頭を切るのは毛利元久の直轄部隊、騎馬鉄砲隊500であった。
彼の左後方を走っていた騎馬武者は「応!」と応じる。
彼こそ宍戸隆家。
毛利元就の次女を正室に迎え入れた準一門衆といえる人間であった。
「また、元久殿だけ楽しそうなことをされるつもりであろう!」
隆家はそう笑った。
齢30半ばの彼は元久にとって良い手本であり友人であった。
「弟たちに恨み言を言われるわ!」
「元久殿が庶子でなければと皆が思っておるぞ!」
元久の言葉に隆家はそう答える。
実際、家臣団のだれもが思っていた。
元就の後継が隆元ではなく元久であればと。
だが、元久は声を上げて笑った。
「父上は俺が庶子でよかったと笑っておったわ!」
「ほう、それはまたどうして」
興味深そうな表情を浮かべる隆家、それに元久は満面の笑みでこう答える。
「俺が嫡子なら今頃謀反を起こしてるだろうさ!」
その言葉に後ろに続く兵たちが笑い声を上げる。
もちろん、隆家も例外ではなかった。
「さて、父上のために仕事をするとしようか!」
元久は笑みを浮かべた。
「クソッ! 一足遅かったか!」
半刻後(1時間後)。
六角義賢率いる4000の軍勢が毛利家の渡河地点に到達した。
だが、すでに毛利家の軍勢は渡河を終えており、強固な陣を敷いて彼らを待ち構えていた。
「六角殿! ここは三好の援軍を待つべし!」
義賢に忠告するのは長逸からの目付役であった。
旧六角家の者たちで構成される子の軍勢の中で彼は浮いた存在であったが、三好長逸の家臣ということもあり無下にできずにいた。
しかし、この瞬間ばかりは違った。
「兵力では我らが勝っている! 敵は渡河したばかり! どこに恐れる必要があるというのか!」
目の前に格好の標的がいて、手柄を立てる機会があった。
「者ども! 恐れるなかれ! 一挙に叩き潰せぇ!!」
六角定頼は若かった。
前当主の六角義賢はすでに隠居し、まだ30ばかりの彼が家督を継いだ。
家臣からの信頼も乏しければ実績もない。
気が付けば三好の役人が来て、六角領の統治方法にまで口を出してくる始末。
鬱憤が溜まっていたといってもいいのかもしれない。
「三雲勢を前に出せ! 毛利など叩き潰してくれるわ!」
芦田川の戦いの始まりであった。
六角勢、毛利勢と交戦す。
その報はすぐに長逸の元へと届けられた。
「戦況はどうなっている!」
長逸の怒声に伝令の兵は「わかりませぬ!」と答えるので精一杯であった。
「それなら……ッ!」
「長虎、皆まで言わすなよ」
立ち上がろうとする長虎を長逸はそう諫めた。
戦いが始まってしまった以上しょうがない。
戦うしかない、だが。
「一門衆が出るまでもない」
声音を低くした長逸。
その言葉に長虎は肩をビクリと震わせる。
だが、直後に舞い込んできた報告は長逸の意思を揺らがせるには十分なものであった。
「六角勢壊滅! 六角義賢様お討ち死に!!」
「安吉殿ぉ! いかががかな! 我らが鉄砲衆は!」
そのころ、毛利元就の陣には戦勝の報告が飛び込んでいた。
渡河直後で態勢を整えれていないと思わせたところに先行して渡河させた鉄砲隊が奇襲を行う。
嬉しそうに笑う元就を他所に、安吉の心中は複雑なものであった。
大三島を焼き払った張本人である毛利家と戦うなど、家臣たちは穏やかでいられるだろうか。
しかも相手は今まで味方であった三好家だ。
さらに敵将は京でともに戦った長逸だというではないか。
「……なんとも、やりづらいな」
安吉は上機嫌な元就を他所に小さくそうつぶやいた。




