4話
「紀忠は、来ぬか」
白沙鼻岬に到達した安吉は静かにそうこぼした。
赤松門左衛門の艦隊もその場におり、総勢6隻の戦列艦がその場に鎮座していた。
「何かあったのではございませぬか」
神風の船長、権兵衛はそう尋ねた。
「倭寇がほとんど見えぬこと。そして紀忠が来ぬということか」
安吉は静かに目をつむった。
様々な可能性が脳裏をよぎる。
琉球へ補給に行っていて、まだ帰ってきていないだけという可能性。
何か船団に問題があり、大三島に戻ったという可能性。
そして、倭寇が何か行動を起こしたか。
「よし」
安吉は静かに息を吐くと声を張り上げる。
「信号旗揚げぇ!! 『北進す!』」
安吉は、宜蘭へ向かうことを決意した。
「除海様! 前方に大祝の船が3隻ございまする!」
そのころ倭寇たちの艦隊は紀忠の艦隊を左前方に捕捉していた。
「北に向かうか」
「おそらくは宜蘭に向かっているのかと」
彼の言葉を聞いて除海は満面の笑みを浮かべた。
うんうんと感心したようにうなずく。
「合理的。合理的だ。だがなぁ」
彼は頬を紅潮させた。
「我等にはかなわぬなぁ」
「おぉっ!」
除海の言葉に倭寇たちは声を上げる。
それを見た除海は嬉しそうに「よい意気込みだ」と答える。
「金の少しくらい奪っていってもいいだろう?」
「宜蘭を襲うつもりだろうな」
紀忠は右舷後方に見える倭寇の艦隊をみてそうつぶやいた。
宜蘭に近づくにつれ、明らかに活気で満ち始めている。
何度も信号旗でやり取りを繰り返しているのを見るに何か考えがあるのだろう。
「信号旗なぁ」
やはり倭寇たちはかなり進んだ技術を持っているようだ。
「そこらの海賊と同列には見れんな」
紀忠はそう感心するように笑う。
彼が率いる戦力は3隻の40門戦列艦とたった60人の紅衆。
たいして倭寇共は24隻の遣明船。
1隻50人としても1200もの大群となる。
「水夫、砲兵、紅衆すべて合わせて660の我等でどう対処すべきかな」
紀忠はそう笑う。
少しずつ、彼にも余裕が見え始めていた。
「見えるか、あの船を」
紀忠は倭寇の船を指さすと笑った。
「手入れが届かぬ船、乱れた船団。我等に敵うはずもないな」
その言葉に水夫たちは笑い声をあげた。
対して、紀忠の艦隊はよく訓練されていた。
「兵数さえ、負けておらねばな」
紀忠は悔しそうにつぶやいた。
「克治、貴様に頼るとしよう」
彼はそう笑った。
旧河野家家臣、相田克治が宜蘭にはいる。
それから2日後。
紀忠の艦隊は宜蘭に到達した。
彼らの後方には倭寇の艦隊が続いている。
その光景を見た宜蘭の反応は素早かった。
「今こそ大祝殿の恩義に報いるとき! 鉄砲を用意せよ! 具足を持て!」
克治が大声を上げると方々に彼の配下にいる者たちが走っていった。
「思ったよりも、早かったか」
台湾平定のために、克治は大祝家から軍事的支援を受けながら兵を育てていた。
まだまだ、完璧とは言い難いが十分な練度を持っていた。
「金山の防衛に50! 宜蘭防衛に300だ!」
克治は刻一刻と迫る倭寇の艦隊を見てつぶやいた。
「もはや、虐げられるだけの我等ではないぞ」
「端艇に紅衆をすべて乗せて宜蘭に向かわせろ!」
「砲弾と火薬をすぐに出せる位置に置いておけ!」
「信号旗は揚げたか?!」
そのころ、紀忠の艦隊はあわただしくなっていた。
それもそのはず、紀忠は大胆な策に出ていた。
紅衆のすべてを宜蘭の防衛に割き、3隻の帆船は一撃離脱戦法に徹する。
それが、紀忠にできる最善の策であった。
「克治殿は理解してくれるかな」
紀忠は笑うと艦隊を宜蘭沖に存在する小さな島影に隠れさせた。
「各船上陸よぉっい!!」
除海は雄たけびを上げる。
彼らの眼前に広がるは豊かな宜蘭の街並み。
もはやそこは台湾に住む原住民の集落などではなくなっていた。
「へへっ! まるで明の港町みたいですなぁ!」
倭寇の一人が嬉しそうに声を上げる。
宜蘭はすでに港町といえるまで進化していた。
大三島で培われた港湾建設技術と平野に広がる田畑。
「大祝共の船がみえませんぜ!」
「ふん。大方策を弄しておるのだろう。下らぬなぁ」
彼はそう笑うと太刀を引き抜いた。
爛々と照る太陽のもとでそれは卑しく輝く。
幾人もの血を吸ったその業物は新たな獲物を欲していた。
「我等を虚仮にする大祝共を決して許すな! この海は我らのものだ! 蹴散らせ! 奪え! 人攫いはするなよ! 邪魔になるからなぁ!」
除海の言葉に皆が歓声を上げた。
この戦いは五島列島に行く道中の遊びに過ぎない。
あるいは、そこで待つ王直のために土産を用意するためのものかもしれない。
「突撃ィ!!!」
宜蘭沖の戦いが今。始まった。




