2話
宜蘭に国を作る。
それが安吉の構想であった。
大三島と台湾はあまりにも離れており、直轄領とするには問題があった。
ゆえに、宜蘭に傀儡もしくは同盟国を作ろうというのが構想である。
そのために武敏には英才教育を施し、宜蘭では田畑の開拓と金山の採掘を進めている。
年貢を納めさせるつもりも、金をすべて奪うつもりもない。
「武敏はそろそろ船になれたかな?」
安吉と紀忠は稽古に励む小姓たちを眺めてそう笑った。
最近の彼等は端艇を主とした訓練に励んでおり、武敏もそれに加わっていた。
「さぁな。琉球付近の揺れは瀬戸内じゃ体験できない」
「あぁ……。そんなこともあったか」
宮崎沖で襲われた嵐。
なんとか大きな損害を被ることはなかったが、後々調べてみれば船を損じる一歩手前の危険な状況であったことが判明した。
「構造に問題はない、運用に問題があった」
安吉はイカの干物を食いちぎりながらそう吐露した。
自分の指揮下にある艦隊で問題が起き、その問題を航海の終了まで把握することができなかった。
「まさか、竜骨にヒビがはいってるとはな」
紀忠の言葉に安吉は大きく溜息を吐いた。
波に対して腹を向けずに船首を立てる。
これは決して間違ったことではない。
だが、波の向きにたいして直角に船首を向ければどうなるだろうか。
波の高い位置から解放された船首は水面に叩きつけられる。
この衝撃が蓄積されたことにより朝風は沈没の危機を迎えていた。
「まぁ、こればっかりはなぁ」
対して安吉の指揮していた神風はそう言った損害は一切なかった。
未来の航海技術を総動員した結果だった。
航海技術というのは一朝一夕で育つものではない。
何百、何千という人類史が築き上げてきた教訓の塊である。
大海原という人類が到底抗うことのできない理不尽に、なんとか抗う術であった。
それを太平洋に出てわずか10数年の大祝家に期待する方が愚かというものだ。
そして、紀忠は薄々それを理解していた。
瀬戸内海では無類の強さを誇る能島村上家で育った彼はある程度の自信があった。
だが、1度目の台湾遠征ではどうだろうか。
安吉の信号旗に従うので精一杯だった。
「第2回遠征をやるぞ」
失意におぼれそうになっている紀忠を他所に安吉はそう笑った。
「今度はどこに行くんだよ、宜蘭との航路は完成してるじゃないか」
もうすでに宜蘭への定期便も就航し、その航路については無数の経験値を得つつある。
だが、安吉はその次の段階を見据えていた。
「宜蘭で満足するつもりか? 俺は台湾に国を作る」
安吉はそう口角を吊り上げると地図を広げた。
左端には明の沿海地域。そして右上には琉球が描かれる。
中央に描かれるは巨大な台湾島。
「そのために、倭寇は残らず潰す」
「……。遠征というよりは──」
紀忠は言葉を詰まらせた。
そして、畏敬の念を込めて笑った。
「征服、だな」
1552年3月1日
この日、安吉は過去に類を見ない異様な艦隊を率いて堺を訪れた。
南蛮の船よりも整った外見と、無数の帆をそろえたその軍艦はまるで一つ一つが城のようであった。
しかも、安吉はそれを10隻も率いていたのであた。
「これより、倭寇殲滅のため出立いたしまする」
異様な光景であった。
瀬戸内海の西にほんの少し大きな島1つだけを持つ領主が、この時最も天下に近かった三好長慶を圧していたのだ。
この時、長慶は安吉を止めるだけの力を失っていた。
あまりにも領土が広大になりすぎていた。
いまだに、三好の内政は整い切れていない。
ここで、大祝と波風立てたくないという思惑が長慶にはあった。
長慶より倭寇殲滅の命を受けた安吉はそのまま紀伊水道を南下すると太平洋に出て、西へと向かった。
第2回台湾遠征の始まりであった。
さかのぼること、2週間。
「安吉様……。なんとか、間に合いました、よ」
大山祇神社の本殿には疲れ切った表情で書類の束を持った嘉丸の姿があった。
「おぉ、よくやってくれた」
安吉は彼の持った報告書を受け取ると嬉しそうに破顔する。
嘉丸はその言葉にため息を吐くと倒れ込んだ。
「40門戦列艦10隻、よく仕上げてくれた」
安吉はそう笑う。
彼が成し遂げた偉業はあまりにも大きかった。
建造開始からわずか数年で東洋一の艦隊を作り上げてくれたのだ。
40門戦列艦10隻。
合計砲門数400の艦隊は明に勝るとも劣らない大艦隊であった。
「殿、殿は何のためにこんな船を作るんですかい」
嘉丸は倒れ伏したままそう尋ねた。
彼の問いに安吉は逡巡した。
強くなるため、自由のため。
そんな言葉は簡単にいつでもいうことができた。
いや、自由な海を手に入れる。
それは確かな目標であった。
大祝家当主として、大祝安吉として。
だが、多分。
嘉丸はそんなことを聞いているのではなかった。
「船が、好きだから。かなぁ」
その言葉を聞いて嘉丸はニイッと口角を吊り上げた。
「実はあっしもなんですわ」
安吉もつられて笑う。
「なら、もっと大きなのも作ってくれるな?」
安吉の言葉に嘉丸は乾いた笑い声をあげる。
そして、ガバッと立ち上がると安吉を見下ろして宣言した。
「殿ために、なんでも作りまっせ」




