54話
1552年6月。
毛利家は田植えを終えたころから行動を開始した。
「田を荒らせ! 戦意を削ぐのだ」
元就は大内家の切り崩し工作に出た。
これに大内領に住む農民たちは絶望した。
毛利が動けば、大内家の者どもは籠城戦の用意をし、村々から男たちを呼び寄せる。
その間に毛利勢が農村の田畑を荒らしまわるのだ。
決して領民に危害は加えず、田畑だけを荒らした。
「良くもこんな外道なことを思いつくものだな」
その光景を見つめて元就はそう呟いた。
「父上ほどではございませぬ」
彼の言葉に元久はそう答える。
今頃、城の中にいる百姓たち怒りで身が震えているだろう。
「乱暴狼藉は法度とする! 決して怒りを買うな!」
元就は伝令を走らせる。
そして、全ての田を荒らしたところで──。
「退くぞ!」
元就はその軍勢を引いた。
この光景は大内と毛利の境で頻発した。
その規模はまちまちであったが、大内家はこれに手を焼いた。
「えぇい! 小賢しい!」
晴賢は焦っていた。
毛利と大友の度重なる侵攻を受け、領土を喪失。
どこかで勝利を上げなければ国人たちからの求心力を失う。
「またも、田が荒らされた模様!」
そしてもう一つ。
領民からの求心力も失いつつあった。
安芸を平定した毛利家は勢いそのままに周防に流れ込んでくるかに見えた。
それに備え、籠城の仕度は毎回させていた。
だが、敵はそうしなかった。
毎月、毎週。
境にある村の田畑が荒らされる。
毛利に対する恨みもそれなりに高まっているだろうが、それ以上に晴賢に対する恨みが高まっていた。
「近頃、兵の集まりが悪く……」
その言葉に毛利家の真意を見出した。
百姓たちはいずれ、自らの田畑を自らで守ろうとし始めるだろう。
そうなれば籠城する兵は手薄になる。
「これが狙いか」
晴賢は敵の策略を読み切った。
兵を減らし、大軍でもって城を攻める。
ジリジリと周防を切り崩していく目算だろう。
「白井賢胤ら水軍衆に命じよ! 厳島をはじめ、毛利方の島々を陥落させよ!」
それは、崩壊の序曲であった。
「大内が動くか」
大内水軍衆に動きアリ。
その報告は瞬く間に元就へと伝えられた。
「さすがは、お父上」
元久はそう言って首を垂れた。
「大内は我らに水軍で大きく勝っています。まずはそこから攻めようという魂胆でしょう」
彼の言葉に元就は嬉しそうに笑う。
そして、元久の肩を叩くとこう告げた。
「貴様が庶子で良かった」
「それは」
元久の問いに元就はさみしげな表情を浮かべた。
「貴様が嫡男であったら、儂は謀反を起こされていただろう」
その言葉に元久は「まさか」と笑う。
「良いか元久。勝っている内は家臣を信頼せよ。負けている内は血縁者を信頼せよ。忘れるなよ」
「承知」
元久はそう言って首を垂れる。
それに笑みを浮かべた元就は立ち上がった。
「出陣! 吉田郡山城の守将は元久とする!」
「戦が始まる」
元就からの書状を見て武吉は笑みを浮かべた。
「ようやく、大内と決着がつきますな」
隆重の言葉に武吉は頷くと、地図を広げた。
そして、ある島を指さす。
「厳島、ここが決戦の地だ」
「宮山城などいくつか城があるらしいですな」
隆重の言葉に武吉は頷く。
「陶晴賢も愚か者だ。敵を毛利だけと思い、我らの存在を忘れている」
武吉はそう呟くと立ち上がった。
「難波、鎌田、堀田、嶋の四家に通達! 兵を集め、毛利の援護をすると!」
「毛利と大内の両軍が厳島に向かっているようだ」
その頃、安吉たちは頭を抱えていた。
「3年早いですよ?!」
小春はそう驚きの声を上げた。
有名な厳島の戦いは本来ならこれから3年後のこと。
1555年に起きる出来事であった。
「どういうこと……」
彼女はこれに混乱した。
歴史が3年早く回っている。
「元久殿か」
「……そうとしか」
未来をしる元久が背後で動いたに違いない。
「本来なら北九州もまだ、大内領のはずなんですよ」
彼女の言葉に安吉は目を見開いた。
そうなればとんでもないことではないか。
「史実ならば、多勢の大内。寡兵の毛利という構図でしたが──」
「兵数差はそれほどないかと」
小春の予想は的中した。
史実では3万ともいわれる兵を集めた陶晴賢はその半数にも満たない1万7000を用意するので精一杯であった。
対して毛利家は7000の兵を用立てた。
差は10000。
だが、これを補う勢力が突如登場する。
村上家である。
三島の内、因島はもとより毛利家に近く7000の軍勢に加わっていたがこれに能島が参戦した。
村上武吉率いる2000の本軍と重臣達4家の軍勢を加えたその数は毛利家に匹敵した。
連戦続く能島村上は8000にも及ぶ兵を集めた。
これにより兵数差は僅かに2000。
もう一息で毛利家は大内の軍勢を上回れた。
「大祝の参戦が趨勢を決める」
元就は厳島に向かう道中でそう呟いた。
「安吉、来い」
武吉は出陣準備を整えながら大三島を見つめる。
「旦那様。どうされますか」
すべての情報が出そろったころ。
安吉は静かに目を閉じて砂浜で波の音を聞き入っていた。
背後には砂浜に腰を下ろす小春。
「この血濡れた手を松丸はどう思うだろうな」
彼はそう呟くと、目を開けると自らの手を見つめた。
「血の匂いよりも磯の匂いが勝っていますよ」
小春は安吉にそう微笑んだ。
彼女の言葉に安吉は笑みを浮かべると「そうだな」と笑った。
「おい! 聞いてるんだろ!」
安吉は振り返ると林の中に向かってそう声を上げた。
すると林の中から一人の男が現れた。
「なんだ、知ってたのかよ」
そう言って笑いながら現れたのは紀忠であった。
「紅衆はついてきてくれるか?」
安吉の問いに紀忠はニイッと笑った。
そして自信満々にこう答えた。
「お前さんはそんなに求心力が無いとでも思っているのかよ」
彼の言葉に安吉は苦笑いを浮かべた。
「紅衆に伝えよ。『突然ですまぬが戦だ』と」
その言葉に紀忠は「ようやく決心したのかよ」と笑った。
「状況に流されるのはもう辞めだ。我流を貫く」
彼はようやく、決心した。




