50話
「大祝様は、戦は好きでございまするか」
今日を発ち、尾張を向かう道中。光秀はふと、安吉にそう尋ねた。
二人は甲板の上で寝転がると青空を見上げていた。
「嫌いだ、と言ったら驚くか」
安吉の問いに光秀は「驚きはしまする」と答えた。
その言葉を聞いた安吉は苦笑いを浮かべると、ゆっくりと語りだした。
「いずれ戦が終わり、天下泰平の世が来る。その時はこの海を自由自在に走りたいものだ」
「日ノ本の海をこの船で制するのですか」
「これでは足りぬな」
光秀の問いに、安吉はそう答えた。
「もっと大きな、もっと強い船を造る」
その言葉に光秀は眉をひそめた。
何やら尋ねたい様であったが、口に出せずにいるようだ。
だが、意を決すると安吉にこう尋ねた。
「戦が嫌いなのではなかったですか?」
その問いに安吉は笑い声をあげると、冷静な声でこう答えた。
「儂は全てを終わらせるために戦をしている」
4日後。
一向は尾張の熱海という港町に辿り付いた。
「穏やか、ではないな」
安吉はそう呟くと、熱海の方向を見つめた。
そこには5艘ばかりの関船と7艘ほどの小早がこちらを待ち受けていた。
「端艇降ろせ!」
士官の一人が安吉の意を察しると鋭くそう命じた。
「光秀殿も来られるか?」
安吉の悪戯気な笑みに光秀は「どうなされるのですか」と動揺した。
彼の問いに安吉はニイッと笑うと口を開いた。
「そりゃぁ、会いに行くのさ」
「若! あぶのうございまする!」
「臆病者共め! あの船に貴様らの船で勝てるものか!」
対して、織田勢では一人の老将が声を上げていた。
それを無視するかのように一人の若人が小さな漁船の舳先にたち帆船へと向かっていく。
「南蛮の船ではないな!」
彼がそう言って声を上げると船を操る漁師は「へ、へい!」と答える。
彼は1度だけ南蛮の船を見ていた。
それに比べて、目の前にいる帆船は聊か細身で見た目が整っている。
「アレは恰好がいいな」
無邪気にそう呟く若人に対して帆船から1艘の小舟が降ろされると近づいてきた。
「誰ぞか!」
「明智光秀にございまする!」
声を上げた若人に対して、光秀はそう答えた。
光秀の言葉を聞いて若人は一瞬要領を得ない表情であったが、すぐに「光安殿の甥御殿か!」と嬉しそうに声を上げた。
「信長さまではありませんか!」
そう言って光秀は立ち上がった。
「ようやく、気が付いたか!」
若人はそう言って笑った。
そう、この若人こそのちの天下人。
織田信長であった。
この時期はまだ父が存命であり、家督は譲られていない。
「この船がお主が?」
そう尋ねる信長に光秀は首を振ると、後ろで座する安吉に視線を向けた。
「拙者がこの船の持ち主でございまする」
敢えて、安吉はそう言って低姿勢を取った。
ここは尾張国だ。
領主の嫡男である信長に横柄な態度をとることははばかられる。
「名は何と?」
「大祝安吉と」
その言葉を聞いて信長は目を見開いた。
「あの、大祝か?」
「瀬戸内の大祝でございまする」
安吉の言葉を聞いて信長は笑い声をあげた。
それに怪訝そうな表情を浮かべていると、信長はこう安吉に告げた。
「三好に次ぐ大祝様がなぜこのような場所に?」
信長の言葉を聞いて光秀は目を見開いた。
「良くご存じで」
安吉は静かにそう言って笑うと、信長は「この熱海には堺から商人が来るからな! 情報は嫌でも集まって来る」と答えた。
その返答を聞いて安吉は満足そうな笑みを浮かべる。
「して、この尾張にはどのような目的で参られた?」
警戒心を隠すことなくそう尋ねる信長に安吉は「さすがだ」と感心していた。
彼とてただならぬオーラを持っているが、まだまだ長慶に比べれば大したことはない。
それでも、武吉や前久に匹敵するような雰囲気がある。
「この熱海と我が大三島で交易路を作りたく」
安吉の言葉に信長は「それは父上に言ってもらいたいものだな!」と笑った。
そうだ、まだ信長は当主ではない。
だが、今すぐに交易路を作りたいというわけではなかった。
「もう、長くはございますまい?」
安吉の言葉に信長は目を細めた。
「どこでそれをお知りになられた?」
「さぁ」
そう言ってとぼける安吉に信長は不満そうな表情を浮かべる。
実際、安吉はこの話を知っていたわけではない。
だが尾張に向かう前日に小春よりこの話は教えられていた。
「信長様がご当主になられた暁には大三島より金を熱海で売りたく」
その言葉を聞いて信長は「金、金か」とぶつぶつと考え事をしていた。
この熱海に金を持ち込めば、瞬く間に東日本に広がっていくだろう。
金というのは銭と違い、信用ではなく圧倒的価値によって成り立っている。
「多大な利益が熱海にもたらされるのでは?」
「大祝はどこからその金を?」
安吉の言葉に信長はそう尋ねた。
その問いに安吉は首を振った。
「それを教えることは出来ませぬ」
その返答を聞いた信長は「それもそうだな」と呟くと色々思案している様であった。
「ふぅむ。良い話であるとは思うのだが……」
彼はそう言うと困ったような表情を浮かべた。
そして、彼はこう口を開いた。
「帰蝶にも相談してみるとしよう」
彼の言葉を聞いて安吉は一気に親近感がわいた。
「帰蝶、奥方様ですか?」
安吉の問いに信長は頷くと「女子とは思えぬほど活発な姫君よ」と笑った。
それを聞いて光秀はうつむいた。
「拙者の妻も似たようなものでございまする」
安吉がそう言って笑うと信長も笑みを浮かべて「どこもそんなものだな」と声を上げて笑った。
つられて安吉も笑い声をあげる。
そんな二人を見つめて、光秀は困ったような表情を浮かべていた。




