49話
1551年6月1日
「朝風は動かせるか?」
6月初めの評定にて、安吉はふとそんなことを尋ねた。
その問いに紀忠は「練度はそれなりだ」と答える。
紀忠の返答を聞いて安吉は頷くと、皆にこう告げた。
「儂は三好家に納入する鉄砲100丁を持ち、京へと向かう」
その言葉に右衛門は「また、旅立たれるのでございまするか」と笑った。
「儂がおらんでも、行政は回るのだろう?」
安吉はそう言ってわざとらしく不貞腐れたような表情を浮かべると「それもそうですな!」と安香基次が笑った。
それに皆が続いて笑い声が響く。
「儂がおらんでも、兵は動かせるようだしな」
安吉はそう言った瞬間、その場は凍り付いた。
「誰が決めた?」
彼はそう言って声音を低くする。
その問いに誰もが口をつぐんだ。
「拙者にございまする」
突然、安正はそう声を上げた。
その言葉を聞いて安吉はニイッと笑った。
「なんと! 当主代行の安正殿であらせられたか」
「独断専行を失礼申し上げる」
安正の言葉を聞いて安吉は「なんのなんの」と笑った。
「家臣の独断であったとすれば、儂は確固たる意志で処断せねばなりませぬからな」
そう言ってクックックと笑う安吉に皆が肝を冷やした。
ある程度家臣には自由を与えるべきであるが、こういったデリケートな問題は厳しく締め付ける必要がある。
「明後日にでも、朝風で京へと向かう。皆は内政に励め」
安吉はそう言うと、評定を終わりにした。
「……失礼致します」
その日の夜、松丸を寝かしつけた小春は執務を続ける安吉の元を訪れた。
目の前にあるのは一通の書状。
三好へ鉄砲を納品する納入書であった。
「どうしたのだ」
安吉は筆を止めると、小春にそう尋ねた。
「兵を動かす様に働きかけたのは私でございまする」
彼女はそう言って平伏する。
それを見て、安吉は「知っているさ」と笑った。
「怒らないのですか?」
「何故だ?」
小春の問いに安吉は呆気からんと答えた。
「この軍事行動で儂は不利益を被っていない。寧ろ、利益を得れた」
静かに安吉は言葉を続ける。
今回の戦で、安吉は数多の利益を得た。
三好家からの信頼。
三好へ恩を売る事にも成功した。
朝廷からの信頼。
帝の言葉。
いずれも変え難い物であった。
「感謝していると表だって言えぬのだよ」
安吉はそう言ってため息を吐いた。
「感謝している」
彼は、小春にそう告げた。
それを聞いた小春はほっと胸をなでおろすと顔を上げた。
「頼むから、儂よりも先に死んでくれるなよ」
不安げにそう伝える安吉に小春はクスリと笑った。
「辻屋……ここか!」
その頃、光秀は京で鉄砲を追い求め武具屋を渡り歩いていた。
「これは、見慣れぬ男だな」
中にいたのは、大柄な男。
彼の発する異様なオーラに光秀は圧倒された。
「名は?」
「明智、光秀」
そう答えた光秀に「国は?」と続ける。
「美濃でございます」
光秀の返答を聞いて男は「あぁ。美濃か」とこぼした。
「失礼ですがお名前は?」
その問いに男はニイッと笑うとこう答えた。
「三好長慶」
彼の言葉に光秀は後ずさった。
「み、三好様?!」
そう言って頭を垂れようとする光秀に長慶は「よいよい」と笑った。
すると興味深そうな表情を浮かべて長慶はこう尋ねた。
「わざわざ、美濃から何しにきたのだ」
「鉄砲を買いに」
光秀の返答を聞いて長慶は「ほう」とこぼした。
「鉄砲に興味があるか」
その問いに光秀は神妙な面持ちでうなずく。
光秀の反応を見た長慶は「面白いところに連れて行ってやろう」と笑った。
すると店の中から鍛冶職人が現れ、長慶に一振りの太刀を手渡した。
「それは?」
興味深そうな光秀に長慶は「これから会う人間に渡すのだ」と笑った。
怪訝そうな表情を浮かべる光秀をよそに長慶は馬に飛び乗ると、走らせた。
慌てて光秀も馬に飛び乗るとその後を追った。
彼を追うと、港に辿り付いた。
そこには三好の兵20程がいた。
「兄上、そこの者は?」
そう尋ねたのは十河一存であった。
一存の問いに長慶は「鉄砲を買いに美濃から来たらしい」と笑った。
「美濃、ですか」
彼はそう目を細めると光秀を見定めるように視線を向けた。
そうこうしていると一隻の大型帆船が港に入って来た。
「何と大きな……! 南蛮の船ですか?!」
驚く光秀に長慶は笑い声をあげた。
「あれは大祝の船だ。アレで大祝は日ノ本の海を制するらしい」
長慶の言葉に光秀は「日ノ本の、海」と続けた。
あまりにも壮大な言葉に彼は圧倒されていた。
天下人三好長慶の名声はいまや、日ノ本全土に知れ渡っている。
だが、大祝の名を聞いたことはなかった。
「大祝、というのは知りませんでした」
そう素直に言う光秀に長慶は笑い声をあげた。
「そうかそうか! 安吉殿が知ったら悲しむだろうな!」
彼の言葉に一存もまた笑った。
そんな会話をしていると目の前の帆船は悠々と港への接岸作業を終了させた。
するとすぐに船の上から板が渡され、ゾロゾロと赤い直垂に身を包んだ男たちが5人程降りて来た。
「三好長慶殿とお見受けいたす!」
「いかにも!」
男たちの言葉に長慶は堂々とそう答えると一歩前に出た。
「長慶殿、鉄砲を100丁お持ちいたしました」
すると船の中から現れたのは一人の若武者であった。
その堂々とした姿に光秀は驚いた。
「うむ、かたじけない。一存!」
長慶がそういうと、一存が配下の兵達に檄を飛ばす。
兵達は何やら木箱を持ち上げると次々に帆船の中へと運び込んでいく。
「ところで、見慣れぬ方がいるようですが」
安吉の問いに光秀は声を上げた。
「鉄砲を買いに美濃より京に参りました。明智光秀と申しまする」
光秀の言葉を聞いた瞬間、安吉は一瞬固まると「光秀、光秀か」と何やら繰り返していた。
「知っておるのか?」
長慶の問いに安吉は「しりませぬ」とけらりと笑うと、困ったような表情を光秀に向けた。
対して、光秀は期待するような表情を安吉に向けた。
「鉄砲が、欲しいと」
「は、はい」
安吉の言葉に、光秀はそう答えた。
それを聞いて安吉はため息を吐くと長慶に「鉄砲は足りておらぬと申しませんでしたか?」と困ったような表情を向ける。
「わざわざ美濃から来たのだ。1丁くらいどうにかしてやれんか?」
長慶の言葉に安吉は「長慶殿がそう申されるのなら」と笑うと、光秀に歩み寄った。
「何丁欲しい」
その問いに光秀は「1丁で十分です」と答えると、安吉は安堵したような表情を浮かべた。
「大三島について来たら、1丁くらい余っているかもしれぬ」
渋々といった具合にそう言った安吉に光秀はぱぁっと表情を明るくさせると「本当ですか?!」と声を上げた。
だが、と言って安吉は言葉を続ける。
「このまま、我らは尾張へと向かう。その際に貴殿が口利きするのなら連れて行ってやろう」
その言葉を聞いて光秀は驚いた。
なぜ、自分が織田家に顔が利くのを知っているのだろうかと。
怪訝そうな表情を浮かべる光秀をよそに安吉は「どうする?」と尋ねた。
意を決した光秀はこう答えた。
「行かせていただきまする!」




