42話
御所に、先にたどり着いたのは六角定頼の軍勢であった。
「囲め! 囲め!」
定頼はそう叫ぶと兵達に御所を囲むように命じた。
その様子を見て御所の中から「六角の兵だ!」という若い公家衆の声が聞えてくる。
「我が名は六角定頼! 三好の軍勢を討伐すべく、陛下よりお言葉を戴きたい!」
定頼は焦っていた。
武力で天皇を脅すというのは本来許されることではない。
だが、定頼には後がない。
将軍と天皇の両方を味方につければ、万事問題ないと考えていた。
「天子様はどちらにもつかぬ! 詔を出すとすれば『戦を辞めよ』としか言わぬ!」
彼らの前に現れたのは、近衛前久であった。
門を開け放つと槍を片手に仁王立ちする。
「関白。近衛前久が命じる! 兵を退け!」
彼はそう叫んだ。
その直後、定頼の後方が騒がしくなった。
「何事だ!」
彼がそう叫んだ直後、銃声が響く。
「来たか」
その音を聴いて前久は笑みを浮かべた。
「どけえい! どけえい!! 邪魔するものは叩き斬る!」
先頭を走るのは赤松門右衛門。
そして、その後ろに続くのは──。
「安正殿!」
「前久様!」
大祝安正であった。
呆然とする定頼をよそに二人は300程の紅衆と共に御所の中に駆けこんだ。
彼らを追い、門の中へと入ろうとする六角の兵達に前久は「退け!」と叫ぶ。
御所の中へと入った紅衆の面々はすぐさま塀の上から鉄砲を定頼の兵達に向ける。
「旗を掲げよ!」
門右衛門の言葉に応じて、3種類の旗が御所にたなびく。
大祝家の『折敷の内三の字』。
近衛家の『近衛牡丹紋』。
そして──。
「あれは……菊の御紋」
天皇家の『菊花紋章』。
「この御所に指一本触れてみよ! それ即ち天子様に刃を向けることと心得よ!」
前久の言葉に定頼はたじろいた。
それを見て門右衛門は門を閉めさせる。
「大祝め!!」
門の前に佇む定頼はそう叫んだ。
「安正様、貴方様にしかできぬことがございまする」
六角家の様子を見て安堵した門右衛門はそう安正に伝えた。
「従五位上、常盤介にしかできぬことが」
その言葉に安正は頷く。
安舎の持っていた、常盤介は安正へと継承されていた。
実態のない官位ではあるが、それでも官位は官位だ。
「安正殿は殿上人であると、認識しておる」
そこに、前久が訪れた。
殿上人。つまりは清涼殿の天上の間に昇ることが許されている。
大祝家が今まで大三島に公家衆を呼び、大金をかけて接待して来た成果がこれであった。
「前久様、私を天上の間に通していただけますか?」
安正の問いに前久はニコリと微笑むと「ついてまいれ」と清涼殿の中へと消えて行った。
覚悟を決めた面持ちで、安正はそれについて行く。
「よくぞ参った。大祝安正といったか」
天上の間に通された安正の前に、簾が1枚垂れ下がっていた。
その奥から男の声が聞える。
「大山祇神社にて神主を務めさせていただいておりまする」
「そうか、苦労。朕も一度は大三島とやらに行ってみたいものだ」
その言葉を聞いて安正は目の前にいる人物が誰であるかを察知した。
時の天皇、後奈良天皇である。
「天下が治まりし時には、ぜひ」
安正の言葉に天皇は「如何様にすれば天下は治まる?」と尋ねた。
その問いに安正は自信をもって答えた。
「三好と大祝にまかせていただければ、天下は治まりまする」
彼の言葉に前久は一瞬眉をひそめた。
そんな簡単に約束してしまってよいのかと。
「大祝だけでは成せぬか?」
「成せませぬ、三好に我が大祝はかないませぬ」
安正の言葉を聞いて天皇は唸る。
「だが、三好は裏切り者だ」
彼の言葉に安正は言葉を詰まらせた。
確かに、三好家は裏切りを重ねて天下に手をかけている。
将軍家を裏切り、細川家を裏切り。
まさしく下克上を成し成り上がっている。
「すべては天下泰平のため。足利では成し得ませぬ」
その言葉を聞いて天皇はさらに悩んだ。
確かに、三好家が将軍家を裏切る前から日本各地で戦があった。
足利では力不足ではないかと。
誰もが思っていた。
「我ら三好と大祝が陛下を奉じ、天下を治めまする」
安正はそう言って頭を垂れた。
彼の言葉に天皇は頷くと「どうすればよい?」と尋ねた。
その問いに安正は笑みを浮かべるとこう答えた。
「足利義輝の廃位を宣言なされれば良いのです」
その頃、大三島では小春が縁側に座りながら松丸を抱えていた。
「これは、博打ですよ」
そう呟く。
彼女の言葉にみつは興味深そうな表情を浮かべる。
「三好に恩を売る絶好の機会、そして三好を縛るのに絶好の機会でもあるんですよ」
小春の言葉にみつは「どういうことですか?」と首を傾げる。
「この戦の決着を朝廷につけさせる」
彼女はそう言って空を見上げる。
天皇より決着の一手を引き出し、彼の手で戦を終結へと向かわせる。
そして安正が天皇家の元で「三好、大祝が共に天下を治める」と約束すればどうなるだろうか。
三好家は天皇家に逆らえなくなる。
今、大祝家は三好家に頭を抑えられ自由にできない状況にある。
だが、さらにその上を取り込み三好家を抑えさせれば多少の自由が利くようになる。
「六角を存分に利用してあげますよ」
小春はそう得意げに笑った。
彼女は、定頼決死の作戦を大祝家と三好家の勢力争いに利用しようとしていた。
「ご慧眼、敬服いたします」
みつはそう言って小春に頭を垂れた。
この大祝家で一番策謀に長けたのは、小春なのかもしれない。




