第四話
ここは王宮の謁見室。
「まだか!? まだ魔王は倒せんのか!?」
国王が跪く宰相に声を荒らげるが、宰相に動じた様子は無い。
「おふれは出しておりますが、未だ何の報告も入っておりません」
「何をぐずぐずしておるのだ! 早うせねば伝統有る我が都が森に呑まれてしまうではないか!」
「申し訳ございません。直ぐに関係各所を急かしますれば、これにて罷り出たくございます」
「うむ、早うせい」
「ははっ。御前失礼いたします」
宰相はそそくさと謁見室を退出した。
大きく深呼吸して内心で愚痴る。何が伝統か。たった百年ではないか。現存する最長の国は四百年近い。五百年余り前の大崩壊が起きるまでは千年以上続いた王国も有ったと言うのだから百年など全く取るに足りない。魔王を倒すと言う話もそうだ。魔王が実在するかどうかも判らない。実在されても困る。大崩壊を起こしたと言われる魔王をどうやって倒せと言うのか。いや、瘴気のことを考えれば魔王か、魔王に相当する何かが実在するのは確実だ。実在するなら倒せる可能性も全くの零ではないのだろう。しかし仮に倒したとしたらダンジョンの魔物がいつかは居なくなり、魔法結晶も手に入らなくなる。今の文明は魔法結晶無しには成り立たないのに、それを手に入れられなくしては文明の崩壊ではないか。
取り留めもなく、支離滅裂気味の思考を一頻り回しつつ自分の執務室に戻った宰相は、もっと現実的な対策の進捗を部下に確認する。
「侵入口の拡張の件はどうなっている?」
「まだまだ時間が掛かるようです」
魔物がダンジョンから地上に穴を空けることで瘴気が地上に漏れ出て地上が魔の森に侵食されるのだが、その穴は人一人が這って通り抜けられる程度のものだ。そんな魔物なりの侵入防止策が施された穴を身動き取れない状態で通ろうとすれば、通り抜ける前に魔物に襲われるか、生き埋めになってしまう。そうならないように拡張するのだが、瘴気で強化されたダンジョンの内壁は強固だ。崩したり、穴を空けたりと言ったことが困難極まりない。
「魔物猟師を集める件はどうなっている?」
魔物猟師が活動する町の周辺は魔の森からの侵食を免れている。これは周辺の魔物が狩られるからとしか考えようが無い。だったら魔物を全て狩ってしまえば良いと言う理屈だ。
「それが……、集まりません。やはり侵入口をどうにかしませんと……」
都と言う魔法結晶の大消費地に拠点を設けられるなら利益も大きくなるとして訪れる魔物猟師も居るが、侵入口の安全が確保されないことを知ると早々に立ち去ってしまう。命あっての物種なのである。
実のところ国王はこれらの現実を理解している。侵入口の拡張工事に無闇に人員を投入しても無意味なことも、昼夜を問わない突貫工事を行っていても尚間に合わない見込みであることもだ。侵入口さえ空けば良いと言うものではなく、その後に軍を派遣してでも魔物を駆逐しなければならない。そうしてやっと森の拡大が止まるのだが、それを成し遂げる前に都が森に呑み込まれると予想されている。それが理解できるせいで魔王討伐と言う神頼みに等しいことに傾倒してしまったのだ。
宰相もこのことを理解し、更に国王が生まれ故郷である都を愛するあまりに焦燥に駆られているのも理解しているので表立った諌言を躊躇している。それでもできもしないことを「今か、今か」と要求されれば腹も立とうと言うものなのである。
「避難先の選定も急がせなければならんな」
ダンジョンの魔物が都内部に穴を空ける前に避難をしなければ大混乱だ。万を数える住民が避難した先で生活できるようにするには、それなりの準備も必要になる。ざっくりと住居と食料である。その計画こそ立てているものの、準備のためには予算も人員も必要になる。しかし今は侵入口の拡張工事に予算や人員を投入しているために計画の進みははかばかしくない。それどころか、全く進んでいないような状況なのだ。
「相解った。そのまま作業を進めてくれ」
「はい、失礼いたします」
部下が退出するのを見送った宰相は深く溜め息を吐くのであった。
所変わってダンジョンの最奥、魔王の居室。
「ああ~ん、魔王さまっあ~ん。いいの~、いいの~、イッちゃうのぉ~ん!」
\ビクン/\ビクン/
「くっ、殺せ!」
\ぼっかーん/
「ぐぬぬ……」
悔しそうに歯噛みするのはエミリー。魔の森の拡大の勢いが増しているのが自分のせいだと指摘されたので魔王に魔法を打ち込むのを自重しているのだが、楽しみを奪われたような気分になっている。それでもここに来ているのは、途中に出没する魔物に魔法をぶっ放すためである。
そんな一人を除いたお決まりの騒動の後でリリナが魔王に言う。
「魔王さま。魔王さまを倒そうとする動きが活発になったようですわ」
おふれで魔王討伐の賞金が上乗せされ、魔物猟師からの情報の買い取りも始まった。特別な調査員も巡回するようになった。
「ほう。是非とも我を倒して見せて欲しいものだ。しかし我を倒すのは容易ではないぞ。我は既に死んだ身。倒すには滅するより他に無い。そしてその方法は我も知らぬ」
「死んだ……身?」
三人は思いもしなかった魔王の言葉に驚きの声を漏らした。
「我は人に殺された」
魔王は遠い目をする。
「その後で蘇ったのだ。蘇った我は人を滅ぼさんとして世界を蹂躙した。五百年も前のことだ」
「もしかしてそれが大崩壊……?」
「お前達はそう呼んでいるのか?」
三人は頷く。
「そうだ。その時に文明が途絶えたとされている」
「あれ? でもそれじゃあ何で人が滅んでねぇんだ?」
「途中でそうしようとは思わなくなったのだ。それからはこのダンジョンを造り、ここにこうして座している」
「で……では、魔王さまはもう人を憎んではいらっしゃらないのですか?」
「そのような気持ちは残っていない。未練も無い。ここでいつ来るかも知れぬ滅びの時を待つばかりだ。故に我を滅ぼせると言うのであれば歓迎しよう」
「そんな……」
リリナはショックを受けて頽れた。エミリーとオリエもリリナほどではないがショックを受けたようだ。
「わ、わりぃ。リリナがこんな調子だから今日はこれで帰らせて貰うぜ」
「いや、その前に魔王、少し教えて欲しい」
「何だ?」
「ダンジョンや魔の森は魔王の意志で広げているのではないのだな?」
「うむ」
「では、ダンジョンを広げないようにする方法を知らないか?」
リリナ、エミリー、オリエの三人は世界が魔の森で覆われても生きていけるが、他の人々はそうではない。他の人々が居なくなっては人らしい生活が失われる。それは三人にとっても困ることなのだ。
「そんなもの、ダンジョンを寸断してこことの繋がりを失わせれば自然に消滅する」
「そうか。かたじけない。それではこれで失礼する」
エミリーとオリエはリリナを支えつつ魔王の居室を後にした。