BOOM
「……日が落ちる」
水無月結は、舌打ちをして、暮れゆく日を見上げる。
消え失せた愛しい人の捜索を開始して数時間、要所に配置された民間軍事会社の警戒を掻い潜って得た結果は――桐谷彰は、フィーネ・アルムホルトと共にいる。
「水無月先輩」
ゴールデンバンブーの隙間から、桐谷淑蓮が顔を出し、成果がないことを表情で示す。
「どうしますか、お得意の特攻します?」
「貴女が盾になってくれるならね。
ねぇ、アキラくんへの愛の下に、尊い犠牲になってくれない? よくいるでしょう、面白おかしい漫画の世界に。主人公の幸福を願って、泣く泣く身を引く女の子が」
「はぁ? ばっかじゃないですかぁ?」
爪を噛みながら、淑蓮は笑う。
「この世界でお兄ちゃんのことを幸せにできるのは、私だけですよ?」
ま、そう言うとは思った。
ゆいは、頭を振って苦笑する。
「衣笠さんは?」
「見つかりませんよ。見つけるつもりもありませんし。見つからなければいいなとも思ってます」
「恩知らずだね。助けてもらったくせに」
ゆいは、ビーチサンダルを脱ぎ、足裏についた砂粒を叩き落とす(こうやって、アキラくんにくっつく、邪魔な女どもも叩き落とせたらいいのに)。
「まぁ、確かに、フィーネ・アルムホルトからは救ってもらいましたよ。金属製の開閉する梨を、下の口で食べさせられる寸前で。もちろん、感謝してますが、別に、恩を返すタイミングなんて人それぞれでしょ?」
「恩を返さない人間の吐くセリフよ、それ」
ふと、砂浜を落とすために、片足を上げていたゆいは気づく。
「ねぇ。衣笠さんは、どうやって、あのフィーネから貴女を助けたの?」
淑蓮の表情筋が強張って、リップを塗っている唇が割り開かれる。
「……交渉」
不穏な単語がまろび出て、つい、顔をしかめた。
「交渉? 衣笠さんは、フィーネと交渉をしたの? その交渉の内容は?」
「…………」
無言。知らないという意味。もしくは、情報を明かすつもりがないのか。
「余計な時間を使うのは、お互いにやめましょう。わたし、アキラくんに関すること以外に時を費やすのは、すべて無駄な瞬間だと思ってるから」
「……内容は、知りません」
嘘は、吐いてないな。
ゆいは、体表に出ている情報(発汗、声質、視線、言積、etc……)を読み取り、彼女に虚偽がないことを見て取る。読中、読填、読了、たったの数瞬、自家薬篭中のものとする。
「だとしたら、その交渉によって、衣笠さんがフィーネに取り込まれた可能性もあるんじゃない?」
「有り得ない。フィーネ・アルムホルトの目には、“女”と付くすべてのモノは、“汚”の頭文字が映り込むことになるんですよ?」
「違う、わかってない」
ビーチサンダルを履き直し、ゆいはため息を吐く。
「フィーネは、語りが異様に上手い。特に、論理立てて奇術めいた嘘を吐くことに長ける。まるで、その交渉によって得られるものが『有用な戦利品』のように思えても、その実は『中に兵士が潜んでいる死の担い手』だったりするかもしれない」
「……トロイの木馬?」
こくりと、頷く。
「①衣笠さんが消えた。
②衣笠さんとフィーネとの間に特別な交渉があった。
③このふたつが、無関係だとは到底思えない」
みっつを上げて、ふたつを上げ直す。
「Zugzwangと Luringよ」
「状況悪化の一手と犠牲良好の一手……」
――Luringは自分の駒を犠牲にして、より良い駒を手に入れること。そして、Zugzwangは、相手が状況悪化の一手を打たざるを得ない状況に追い込むことよ
まるで、フィーネの解説が聞こえてくるようで、ゆいは苦笑する。
「つまり、Zugzwangは、私が人質をとられた時の衣笠先輩の置かれた立ち位置ですよね?」
「そうね。貴方を助けるには、状況が悪化するとわかっていても、衣笠さんは交渉を切り出す他ない」
「だったら、Luringは――」
「フィーネは、桐谷淑蓮という人質を失ったけれど、最終的に、衣笠さんとの交渉で“より良い駒”を手に入れた。
例えば、桐谷彰とか」
目を見開いた淑蓮が、冷や汗を流しながら爪を噛む。
「だとしたら、捕まっていた私と衣笠先輩を解放したのも……同じZugzwangとLuringか……」
「たぶんね。十字架に縛られていた貴女たちを放置していたら、ふたりとも溺れ死んでいたんだもの。
助ける他ないでしょう?」
「あの女……どこまで、先を読んで……」
「たぶん、あの子、今頃は勝利後の盤上遊戯で遊んでるわよ。アキラくんとの優雅な結婚生活をね」
さすがの淑蓮も、してやられたと思ったのか、鬼気迫る表情で砂浜を睨めつける。怒気と称するよりも殺気と呼ばれる類の視線が、沈みゆく太陽の代わりに、黒い炎で海岸を焼き尽くそうとしているかのようだ。
「でも……なぜ、わざわざ、私たちを二度も見逃したんですか? どうして、二度もLuringを行う必要が?」
問いかけられ、ゆいは気がつく――時間切れだ。
水無月結が気づいたということは、フィーネ・アルムホルトの設定した設定時間が“0”になったことを意味する。あの化け物が、水無月結の思考力と理解力を自らの計算機に入力していないわけがない。
だから、諦めと共に、ゆいは二本の指を立てる。
「一度目のLuringは、準備」
二本立てた指のうち一本を、ゆいはゆっくりと折りたたむ。
「なら、二度目のLuringは?」
桐谷淑蓮は、大きく、目を見開いて――
「実行」
世界が、破裂する。
耳をつんざくような大音響、視界が白一色、全身が宙に浮いた。
閃光が迸ると同時、吹き付ける熱風、木々がへし折れて海面が波立つ。どこからか噴き上がった大量の砂が、背後に倒れ込んだゆいにどっと覆いかぶさる。明滅、耳鳴り、甚大被害、パニックに沈む。
熱・光・音。
無、無、無。
白、白、白。
絶無、純白、沈着し……ゆるやかに、静まり返る。
そして、なにもかもが止まった。




