狂愛を捧げよ
「す、崇高なる、アキラ様にご挨拶を申し上げます……」
あ、一言目でわかるわ。コイツ、やべーヤツだわ。
聞こえてくる陰鬱な声音に耳朶をなぶられ、俺は思わず電話を切って、先生に突きつける。
「すみません、電話切れちゃいまし――」
着信。無言の圧力で出るように強制され、仕方なくもう一度耳を当てた。
「はい、崇高なるアキラ様です」
「あ、あぁ……さ、先ほどは、し、失礼致しました……ぼ、ボクのような、ゴミ虫が、アキラ様の声を頂戴するなんて、過ぎた名誉であることは承知しております……」
本人に断りなく、勝手に名誉を感じるな。
「ど、どうしても……お、お褒めの言葉を頂戴したく……お、お電話のほう、かけさせて頂きました……」
「お褒めの言葉? ストーカーしといて、よしよしして欲しいってか?
ふざけんな!! よしよしするので、二度と俺に付きまとわないで下さい!! お願いしまぁす!!」
「……水無月結」
会話の流れを断ち切るささやき声に圧され、水無月さんを一瞥し、電話口の向こうへと意識を戻す。
「それに、桐谷淑蓮……アキラ様のお心を〝今〟、煩わせている〝悪しき者〟は、その二人ではありませんか?」
「お前、どこからか視てんのか?」
「お、美味しそうなケーキですね……ぼ、ボクも食べたかったな……」
俺は周囲に視線を走らせ、カーテンが開いているかどうかなどを確かめるが、外側から室内を見られるような状態ではなかった。
「視るのは無理だよ」
会話が聞こえていない筈の水無月さんが、受話器を当てていない方の俺の耳に、そっと唇をつける。
「アキラくんとの逢瀬に、邪魔が入らないように工夫したもの。
たぶん、彼女が視たのは『雲谷先生』じゃないかな? ケーキを購入してから、ゆいの家に入っていくのを目視したんだと思う。その姿を確認さえしてれば、今頃は、生物のケーキを食べてるってことくらい検討はつくよね?」
「お前、視てないな? お前の嘘八百は、俺の灰色の脳細胞がお見通しだボケが」
見事な推理力をもって、俺が真実を導き出すと、相手は黙り込んで沈黙が張り詰める。
「桐谷、個々人のプライバシーだから、スピーカーで喋れとは言わんが……あまり、喧嘩はするなよ? せっかく、勇気を出して、自首してくれたんだからな」
「自首?」
通話口を塞いで俺が尋ねると、先生は深く頷く。
「お前との面談が終わって直ぐな。
『明日、直接会って謝罪したい』と連絡があって『まだ、教室に桐谷さんが残っているようなら、自分のことを話しておいて欲しい』と言われてはいたんだが……水無月と用事があるらしいし、まぁ、明日の朝にでも話すかと思っていた」
「……ゆいの計画に、気づいていて阻止したの?」
え、元から、俺のことは攫う予定だったの?
「あ、アキラ様を、悪しき者からお救いしました」
先生の無駄に大きな声があちら側にも伝わったのか、俺の守護天使が、ボソボソと喋り始める。
「そ、それに、あ、アキラ様の下駄箱に、ぼ、ボクの〝結界〟を張りました……か、髪の毛と爪で……あ、悪しき者から、ま、守るためです……」
そういう結界とかは、少年漫画でやってくれる?
「あ、アキラ様に、お、お褒め頂きたくて……あ、悪しき者に、て、天罰も下しました……き、気に入って下さいましたか……?」
「俺のクラスメイトに、ネズミとゴキブリの死体送りつけたのはお前か?」
「て、天罰です……」
人災を天罰呼ばわりするのはやめろ。
「正直言って、俺のせいで、周囲にまで被害が出るのは寝覚めが悪い。そういうことするのはやめてくれ」
「お、お兄ちゃん、カッコイイよぉ」
とろけきった顔で、妹が俺の下腹部に顔面を押し付けて過度な呼吸を行う。息がかかって熱いので止めて欲しい。
「あぁ……! も、もちろんです……! あ、アキラ様のご命令ならば……なんでも言うことを聞きます……!」
え? なんでも聞くの?
「……俺を養え」
「ほ、本尊を迎えてもよろしいのですか!?」
用いる言葉の圧が強すぎる。
「あぁ……! 有り難い神託を頂戴し、ボクは天にも舞い上がらん心地です! 明日、お迎えに上がりますので、お支度をお願いします……あぁ……ぁああああ!!」
「あの、やっぱ、キャンセルで」
既に通話は終わっていた。
虚無の表情で、俺は通話時間を示す画面を見下げる。
「で、どうなった?」
「先生、助けて!!」
先生の平坦な胸に飛び込むと「こ、こら、バカ!」と照れる26歳に、勢い良く頭を殴られた。
日光を吸収する漆黒のカーテンによって、その部屋には一条の光すら入ることは許されなかった。
暗闇の中を唯一照らすのは、暖色を示す真っ白な蝋燭。時代錯誤な蝋燭台が床に置かれ、清廉な少女の涙を思わせる蝋を垂れ流す。
「アキラ様……アキラ様……」
真っ黒なローブを着込んだ少女は、両手を組んで祈っている。
祈りの対象は、桐谷彰――を模して作られた人形。
彼から盗まれた身の回りの品を取り込み、彰自身に仕立て上げられた等身大の人形の顔には、クローズアップされたアキラの仏頂面が縫い付けられている。
元の壁紙の色がわからないほどに、四方の壁を埋め尽くすようにして彰の写真が貼られ、そこには血を思わせる赤文字で信仰の言葉が描かれている。
「お慕い申しております……ぼ、ボクは……アキラ様をお慕い申しております……あ、あなた様の幸せのためなら……ぼ、ボクは……」
すっぽりと頭を覆うローブの隙間から、彼女の〝笑う〟口元が視えた。
「死ぬことも殺すことも、決して厭いはしません」
彼女は手首を切って――
「明日、お迎えに参ります」
自作の祭壇に祭り上げられた人形へと血を捧げた。