なまこ誘拐淫乱事件
「視て」
すらりと伸びた人差し指、その先には三本の十字架がある。
俺の顔の前に突き出された親指には、愛らしい顔が描かれていて、場にそぐわないニコニコ笑顔をこっちに向けていた。
「磔刑よ……ふしだらにも色欲に化かされ、フィーのアキラくんに手をだした罰……満潮の時間は知ってるでしょ、アレだけ散歩してたもんね……だったら、タイムリミットは簡単に計算できる筈」
フィーネは、俺の顎を掴み、薄い桜色の唇を開く。
「アンドレア・マンテーニャの磔刑図を視たことはあるかな? あんな風に三本の十字架が立っていて、中央のキリストの左右には別の人間が磔にされているの。
そのふたりの人間、どういう素性の者だと想う?」
喉の奥に薄暗い空洞が広がっているのかと疑うくらいに、ぶきみでいびつな笑い声を出す。
「刑の執行日が重なった、ただの“盗人”だよ。つまり、あの十字架には、主菜がまだ運ばれてないの」
中央の十字架に空いた空白……そして、静まり返った水面。フィーネがなにを語ろうとしているのかは、容易に想像がついた。
「ま、そんなのは、今の話には関係ないか。あれ、でも、あれれ? ゆい、海に遊びに行ったまま帰ってこないね? どうしたんだろうね?
もしかして――」
フィーネは、俺の耳に息を吹きかける。
「溺れちゃったのかな?」
えっちだ……とか思いながらも、微動だにしない俺を視て、フィーネの背後に佇む執事たちに動揺が走っている。
だが、フィーネもまた泰然自若としていた。俺がこれくらいでは動かないことを、熟知しているのだろう。
「アキラくん。アキラくんさえ『フィーのものになる』って言ってくれれば、それだけですべて解決《case closed》……哀れにも、準備体操を怠って、海の藻屑になっちゃいそうなゆいを救えるんだよ?」
「なまこって」
「え?」
ようやく口を開いた俺へと、集中したフィーネにささやく。
「なまこって……砂、食べるのかな……」
一瞬――フィーネの気が緩んだ。
手首をとる。フィーネは目を眇めて、直ぐ様手首を返すが遅い。反転しながら立ち上がり、絡め取るようにして彼女の身体を抱え込んだ。
「オラーっ!! 社会なんぞで働く奴隷どもが、よく聞きやがれオラーっ!!」
なまこをフィーネの口元に当てて、俺は声高に叫ぶ。
「てめぇら、そこから少しでも動いて見ろっ!! 動いたら最後っ!! フィーネの口になまこを入れて、こう、前後!! 前後!! 前後ぉ!! 小さな子に『しっ! みちゃダメ!!』とか言いたくなるような、前後運動して無規制垂れ流すぞオラーッ!!」
オーマイガッ! クレイジーボーイ!! ワッツザファック!!
愉快な英語が聞こえてくるものの、傭兵集団はアサルトライフルを構えるだけでなにもできない。それよりも格下の執事たちは、おろおろと無線機を取り出して、無能よろしくなんにも役に立たない本部連絡をしていた。
「あ~ん? なまこが役に立たないとでも思ってたか~? ん~? コイツはなぁ? こうやって使うんだよぉ? イッツ・ア・スモールワールドだったんだよ、お前らの世界はよぉ~?」
ぐへへと笑いながら、俺はフィーネの頬に舌を這わせる。
「くっくっく……如何にも、なまこ慣れしてないお嬢ちゃんだぜ……キュビエ器官の放出なんか視た日には、逝っちまうんじゃねぇのかぁ……?」
「くっ! き、貴様ぁ!! フィーネお嬢様を離せっ!!」
正義感が強いらしい執事が、悪漢を前にして立ち上がる。そんな彼を見つめて、俺はニヤリと笑った。
「だったら、今直ぐ、ヘリを用意しな。それと現金で三億だ。おっと、警察には連絡するなよ。
俺の相棒は、キレるとなにするかわかんねぇからよぉ」
端の方を摘むとうねうねと蠕動して、危うくも先っちょがフィーネに触れそうになり激震が走る。
「わ、わかった!! 用意する!! す、直ぐに用意するから待て!!」
「ふざけた嘘、抜かすのも大概にしろオラァ!! どこの銀行が三億もの引き出しに即日応じられるか言ってみろあぁん!?
ゆっくりでいいからね!! 焦らなくてもいいから、お金さえくれればオッケーだよ!! フィーネ拉致して、良い子で待ってるね!!」
さっきから、フィーネの反応がないな……ジリジリと下がりながらも不吉に思っていると、腹に響くような低音が響いた。
「……道化芝居」
声が聞こえた瞬間――ふわりと、全身が一回転した。
優しく砂浜に転がされた俺は、あまりのことに唖然として、慈愛溢れる笑みで見下ろすアクアマリンを見つめる。
「アキラくんから、抱きしめてくれたのははじめてだね」
熱に浮かされたように頬を染めて、フィーネは瞬きひとつせずじっと俺を観察する。
「やっぱり、アキラくんはフィーの運命だね。パパ以外の男の人に触れられても、なんの嫌悪感もない。それどころか、衝き上げるような悦びがあるの。こんな感情は初めて。その目もパパそのものだもの。パパ。パパだよ。やっぱりパパは、フィーとママのことを捨てて、あの女のところになんて行かなかった。ちゃんと、フィーのところに帰ってきてくれたんだ」
ひたすらに、フィーネは俺を見つめ続ける。まるで、おもちゃ箱をひっくり返して、楽しいものが落ちてくるのを待ち望んでるみたいに。
無邪気で無垢な瞳は――真っ黒だった。
「……パパ」
フィーネが、俺の顔を掴む。体温を感じる距離。至近距離で顔を覗き込みながら、俺の眼窩に指を突っ込む。
「パパ……パパ……愛してるよ……フィーは、ココだよ……パパ……撫でて……愛を頂戴……パパ……パパ……」
ぐっと、両指が押し込まれ――フィーネの顔面が弾け飛んだ。
「きたねぇ手で」
顔についた海水を腕で拭いながら、淑蓮と由羅は、フィーネを蹴飛ばした脚を同時に下げる。
「アキラ様に触るな」
水面から顔を出した水無月さんは、呼吸器を外してフィーネを見つめる。
「フィーネ、あなたの負けよ。アキラ君は、あなたの手先が、海中に待機しているのを事前に知っていた」
「……どうやって」
「邸宅の地下倉庫だよ」
抱きついてくる淑蓮を脇に押しのけながら、俺は言った。
「俺がこの島にいる間、暇を持て余してたのはお前も知ってるだろ? もちろん、あんな面白そうな地下倉庫を見逃すわけがない。
だから、わかった。ダイビング機材一式、丸ごとなくなってるのがな」
沈黙しているフィーネに、言い連ねる。
「後は簡単に予想はつく。お前と俺は似てるからな」
「アキラくんが私用としてパクっ……もとい、借りていたダイビング機材が、別の浜に隠してあったのよ。海に潜っていったフリをしてその浜に行き、ダイビングスーツに着替えてから改めてふたりを助けに行った。
海面付近から来ると思ってたヤツが、自分の下から準備万端で襲ってきたら……慣れていても、まぁパニックを起こして終わりよね」
満面の笑顔で、水無月さんは海面を指差す。
「早く助けに行かないと、手遅れになるかもしれないわよ?」
匂いを嗅いでくる由羅を退かしながら、俺は言った。
「さっきのなまこ云々の猿芝居(半分本気)は、お前らに救出中で無防備な水無月さんの邪魔させないための策だよ。浜辺から十字架目掛けて制圧射撃仕掛けられたら、さすがに手出ししようがないからな」
黙り込むフィーネの前にかがみ込み、俺は解答編を突きつける。
「ところで、お前の質問に答えておくと」
そして、満面の笑顔で――
「一億回くらいある」
狂愛を語った。




