ガラスの靴は、所望しない
無音の時が流れてはや30秒……気まずい雰囲気が場に立ち込めたのを察知した俺は、髪を掻き上げてから口を開いた。
「フィーネ、愛してるよ」
「ダーリンの奥の手は、声が届かない奥の奥にまで逃げ込んで、片手すらも伸ばせないみたいだね」
俺の愛した(過去形)雲谷先生来ず。
勝利を確信したらしいフィーネがじりじりと迫る中、拒否するべきなのか迎合するべきなのか、未だに判断がつかずに後ずさりを繰り返す。
「時計の針は十二時を指した。お姫様の魔法はいい加減溶け落ちて、魔女の用意したドレスはあるべき姿に戻る」
世界中の男どもが欲するであろう蠱惑的な笑顔、フィーネは誘惑の手腕を俺へと捧げる。
「さぁ、ガラスの靴を履いて」
用意されたガラス靴と王子様、万全を期して敷き詰められたハッピーエンド……グリム童話において、灰かぶり姫の靴が脱げてしまったのは、王子があらかじめヤニを塗っておいたからだ。
もし、俺がシンデレラだったら、
「俺を口説くつもりなら、ガラスの単価を調べてこい」
“靴を盗んだ代償”を王子に支払わせる――為替市場で最高額を戴く通貨で。
「ようやくわかった。なぜ、金と無労働をこよなく愛する俺がお前を許せないのか」
ゆっくりと、一本ずつ指を真っ直ぐに立てる。
「三大ヒモ原則の一、ヒモは決して歯向かうことなかれ。
三大ヒモ原則の二、相手の気持ちを考えて、最善の手を打つ」
二本の指を立てたまま、俺は吐き捨てる。
「俺の誓約に反してるんだよ、お前は」
ぴしりと――音を立てて、フィーネの仮面にヒビが入る。
恐れおののくかのように、執事と民兵たちが後ろに下がる中で、フィーネ・アルムホルトだけは前に踏み出した。
「なんで、歯向かうの?」
「お前の顔が札束に見えて、罠だと言い張るからだ」
「なんで、気持ちを考えてくれないの?」
「お前の心に口座番号が控えてあって、詐欺だと主張するからだ」
「なんでっ!? なんで、ダーリンだけは、フィーの思い通りにならな――」
「そこだ」
悪鬼羅刹を前にして、俺は彼女を指差す。
「他のヤンデレと違う点はそこだ。
お前は、“ありのままの俺”を愛そうとしていない。子供が粘土で遊ぶみたいにして歪めて捻って踏みにじり、俺を“自分の理想”として作り変えようとする。俺を透かして“最愛の人”を再現しようとしている」
呼吸の仕方すらも忘れたのか、微動だにしないフィーネに言葉の弾丸を撃ち込む。
「水無月さんも淑蓮も由羅も、間違えた方法ではあれ“俺”を愛そうとしている。だからこそ、俺そのものを捻じ曲げようとはしない。
正直言って、俺が俺でなくなったら、ヤンデレなんぞに飼われてやるメリットなんてないからな。
札束の仮面で素顔を隠し、心に口座番号を懐いて、清く正しいATMマークを掲げる金融美少女戦士であろうと――」
俺は、口の端を歪めて言い放つ。
「お前の傀儡として生きるつもりは毛頭ない」
「……アキラくんの意見は聞いてないよ」
急激かつ唐突に、フィーネの纏う空気の“色”が変じて、別人が現れたかのように冷めた目玉が俺を見据える。
どうやら、スイッチを切り替えたらしいな。こうして俺に“圧”を与えて脅すつもりらしいが、今になって引き下がるような俺ではな「ごめんなさい」と謝って、俺は静かに素早く土下座をした。
一瞬にして、静まり返った場。どうやら、和の精神、大和国の真髄に触れて、フィーネの琴線を鷲掴みにしてしまったらし――
「今更、赦さないよ?」
ヤンデレ界隈で大人気の死亡フラグT(ogether)S(weetheart)U(nloved)M(arry)I(love you) TSUMIを集めなくても勝手に積み上がる簡単死にゲーが人生に登場! ヤンデレツミツミ(来世登録受付中)!!
「アキラくんは、フィーの好きな目をしてる」
恍惚とした表情で俺に歩み寄るフィーネは、小刻みに震える指を隠そうともせずに、“俺の目玉”に手を伸ばす。
「パパ……パパがそこにいる……同じ目をして、そこにいるの……フィーの大好きな目……パパ……パパ……愛してるよ、パパ……アキラくんだけだよ……フィーのパパになれるのは……大丈夫、“整形手術”の準備はしてあるから……“脳”も弄って、パパに近づいてもらうの……フィーが愛せる計算式は、パパ+アキラくんの足し算……今なら、お父さん指の意味もわかるよ……愛して……愛してね、パパ……パパ……」
人差し指が、迫って、俺の背中が大樹につき、逃げ場を失い、その先端がゆっくりとねじ込ま――
「アキラくん!! 伏せ“ないで”っ!!」
穴の空いた円筒状の“なにか”が投げ込まれて、自分以外の全員が後方へと頭を抱えて飛び込み――全速力で俺は駆け出した。




