ヤンデレのかくれんぼ上級者率は異常
フィーネとの交渉を終えた雲谷先生と部屋に戻った時、既に時刻は深夜を回っていて、俺の眠気はピークを迎えていた。
「桐谷、どうした? もうお眠の時間か?」
「そのとおりなんで、先生の胸の中で眠らせてください」
「ガキに私はまだ早い」
微笑した先生は、俺の頭を優しく撫でる。
「おやすみ、アキラ」
「……ん? アキラ?」
「あ、いや、なんでもない。大人の気まぐれだ、あまり気にするな」
何かがバレるのを恐れるかのように、先生はそそくさと退場していき、その背中を見守ってから扉と鍵を閉める。
俺は寝ぼけ眼を擦りながら、純白のベッドをめくり――瞬きもせずに、こちらをじーっと見つめる恐怖と目が合った。
「……ダーリン」
目潰しが有効そう(感想)。
視なかったことにして布団を元に戻すと、服の裾を掴まれて退路を阻まれ、捨てられたアフリカライオンのような目をしたフィーネに振り向いた。
「もどって。ダーリン、もどって。
もどらないと……何するかわかんない……」
なんで、捨てられた側が脅迫してるの?
仕方なくベッドの端に腰掛けると、上半身だけを動かしたフィーネが、しなだれかかるように抱きついてくる。
「フィーと一緒に寝よ?」
ヤンデレに言われると、心中の誘いにしか聞こえないのはなぜでしょうか?
「別に俺は構わんが、こんなところを雲谷先生に視られたら、不純異性交遊を疑われてもおかしくないぞ? そうしたら、お前は勝負に挑む前に自分から負けを認めたことになるし、あまり良いアイディアだとは言えないんじゃないか?」
「I know what you’re saying」
英語、わかんねぇよ。
「but I couldn’t」
ここはハワイだぞ、ハワイ語で喋れよ。
「……ダーリン、なにしてるの?」
「アロハ出身の先輩に翻訳してもらってる」
耳にアロハ・カニオを当てていると、頬をハサミで掴まれていやいやされたので、丁重に床へと投げつける。
ちょこまかと床上を逃げていくアロハ・カニオを見つめながら、月光に照らされたフィーネはささやいた。
「そもそも、手段を選ばずにダーリンを手に入れる気があったら、今頃はウンヤの手の届かないところにダーリンを連れ去ってるよ。それをしないのは、本当の意味でダーリンが手に入らないことを知ってるから。
フィーは――」
潤む瞳で、フィーネは俺を見上げる。
「ダーリンの心が欲しい」
今なら、三百万ドルで売ってやるよ。
「つまり、俺に好きになって欲しいのか?」
「……ただのオキシトシンの分泌」
「ん?」
「好意は、ただのオキシトシンの分泌だよ。猫の毛づくろいと同じグルーミング行為の一種で、下垂体後葉から分泌されるホルモンの一種にしか過ぎない。
その気になれば、ダーリンをオキシトシン漬けにして、無理矢理にフィーのモノにすることだってできる」
だから、オキシトシンじゃなくて、金で漬ければ思い通りのアキラくんになるんだって!! レシピを間違ってるの!!
「フィーが欲しいのは、ダーリンの心だよ。魂が欲しい。別にカトリックだとかスピリチュアリズムがどうとかじゃなくて、『絶対に自分のことを裏切らないたったひとつの存在』が欲しいの」
爛々と瞳を輝かせたフィーネは、思い切り俺の胴体を両腕で締め付けながら、決して離さないと言わんばかりに顔を擦りつけてくる。
「フィーが初めて恋に落ちた対象だもの、ダーリンにはそれができるんだよ。そして、フィーが好きになった対象は、フィー以外の雌の視覚情報や聴覚情報で脳のメモリを埋めたらいけないし、表在感覚や内臓感覚で他の雌を感じちゃいけないの。フィー以外の雌は劣等遺伝子をもつゴミクズ以下の存在、絶対にフィーのことを裏切らないたったひとつの存在であるダーリンは、フィー以外の雌との接触を完全に断つことで〝フィーに心をくれる〟んだよ」
あれだね、刷り込みってやつだね。ひな鳥が最初に見た対象を母親だと思いこむってやつのグロテスクバージョン。
「そうだよね、ダーリン? だよね? ね?」
「もちろんだよ、フィーネ」
俺は彼女の額にキスをして、ぽうっとこちらを見上げるフィーネを抱き寄せる。
「俺の心、お前にやるよ」
ずっと後ろをついてきて、金を供給してくれるひな鳥……ありだね!
「ダーリン、フィーにくれるの?」
「あぁ、お前にあげ――」
パチン、と音がして、バタフライナイフの刃先が俺の左胸に当てられる。
「大丈夫……摘出はフィーがやるから……他の雌になんか触らせないよ……それに、ダーリンも死んだりしない……」
恍惚とした表情で、フィーネは俺の左胸に耳を当てる。
「フィーの心臓をあげるから……目が覚めたら、ダーリンとフィーは繋がってるの……うん、大丈夫、ただの心臓移植だから……永遠に結ばれようね……」
結局、心(物理)かーい!!
「ダーリンの心があれば、フィーは負けたりしないから。だから、フィーにダーリンの心をちょうだ――」
「あげない」
暗闇から伸びてきたスタンガンが、フィーネの首筋に当てられて――
「それだけは、あげられない」
「……悪い子」
暗がりから現れた水無月結の手は、何かに怯えるかのようにふるふると震えていた。




