病んでる彼女は、鼻が良い
「バレてるわけじゃないと思うよ」
戻ってきた水無月さんにメールのことを報告すると、彼女はニッコリと笑ってそう断言した。
「アキラくん、そのメールに返信した?」
「い、いや、してませんけど」
「良かったぁ」
水無月さんは笑ったまま、俺へと手を伸ばす。
「じゃあ、ちょうだい」
「え?」
「携帯、ちょうだい?」
俺の携帯は、飴玉じゃねぇぞ?
「あの、何するんでしょうか?」
断れば発狂即死コース待ったなしなので、十二分に理解している俺は、ニコニコ笑顔の水無月さんへと携帯を手渡す。
「え? することは、ひとつしかないよね?」
水無月さんは、満面の笑みを浮かべ、スタンガンの持ち手の部分で俺の携帯を破壊し始める。
「えいえい! えいえい! アキラくんを惑わす機械は、こうだこうだ!」
台詞に反して、目が笑ってないんだよ。なんなの、その殺意に象られた瞳。
腕を組んだまま見守っていると(悟り)、数分後、見事にひしゃげたスマートフォンが出来上がる。
「あのね、アキラくん。妹さんはね、アキラくんに〝カマ〟をかけてたんだと思うよ?」
「え、どういうことですか?」
顔だけ見れば、聖母マリアの生まれ変わりは、慈愛溢れる微笑を俺に向ける。
「推測に過ぎないけど、妹さんは、アキラくんのいそうな場所を回って、訪問を終えた後に、そこにアキラくんがいるかいないかの確信を得られなくてもメールを送ることにしてたんだと思う。
それで『え、なんでわかったの?』みたいな返信が返ってくれば、アキラくんがそこにいることはわかるよね?」
そう言ってから、水無月さんは、ダイニングキッチンの冷蔵庫を開けて、冷蔵保存していたらしい俺のスニーカーをもってくる。
「え、俺のスニーカー……靴箱の上に隠したんじゃ……」
「アキラくんの匂いが染み付いた〝宝物〟、靴箱の上に隠したりなんてするわけないじゃない。せっかくの香りが、劣化しちゃうでしょ?」
さも同然の体で、ヤンデレ理論の同意を求めるのやめて?
「靴箱の上に隠してたのは、ゆいが貰った『アキラくんコレクション』のひとつだよ。
前に、アキラくんがくれたでしょ?」
俺の靴箱から盗んだものを、『貰った』と言っても過言ではないのでしょうか? 誰か、教えてください。
「淑蓮ちゃんがブラコンだとしたら、アキラくんの〝今〟履いている靴くらいは把握している筈だよね? だとすれば、この家に来てからの一連の質問もさっきのメールも、確証のない嘘ってことになるんだよ」
真剣な顔つきで言い切った後、水無月さんは、至極当然な所作振る舞いで俺の携帯をゴミ箱に捨てた。
「さ、それじゃ、アキラくん」
水無月さんは、溢れ出る嬉しさを隠しきれずに、ニマニマとしながら俺にささやいた。
「お、お風呂、入ろっか?」
もしかして、俺、逃げ場がないのでは?
拒否権のない俺は、頬が引くつかないように注意しながら、微笑むしかなかった。
「……通信が途絶えた」
兄の携帯に仕込んだGPSの発信が切れて、ガードレールに腰掛けていた桐谷淑蓮は舌打ちをする。
「もう少し、精度の良いソフトウェアを導入すれば良かった。こういう時に、お兄ちゃんを救うためのものだったのに」
淑蓮はガシガシと両手で頭を掻き、誰かへと向けられる呪言をブツブツとつぶやきながら爪を噛む。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんは、私と一緒に暮らすんだ。ずっと一緒に暮らすんだ暮らすんだよだって私はお兄ちゃんがいないと生きていけないんだから」
彼女は、ふと顔を上げて、自らの携帯の待受けに映る兄の姿をうっとりと眺めた。
「お兄ちゃん……んっ……」
そして、画面に口づけをする。
幾度か繰り返した後、ようやく淑蓮は落ち着きを取り戻していた。
「GPSが指していた付近に暮らしてるのは、あの三人……正直言って、確証は得られなかったけど……」
小さな少女は、袖元から出した指を組む。
「早まったね、水無月先輩」
彼女の顔には、確信が浮かんでいた。
「あのスニーカー、微かにお兄ちゃんの匂いがしたよ」
幼い頃から兄の匂いを嗅いできた桐谷淑蓮は、嗅覚という点で水無月結を上回っていた。
「それに、あのスニーカーを『捨てようと思ってた』って言うのは本音だよね? だとしたら、水無月先輩は〝本命〟を手に入れたことになる」
淑蓮は、ふらりと立ち上がった。
「待っててね、お兄ちゃん……あの女、殺してでも……」
彼女の目には、水無月結と同じ〝殺意〟が刻み込まれていた。