愛する人は奪い合うもの
「桐谷、はい、あ~ん」
切り分けた林檎を口元に運んでくる衣笠から、逃れるようにして俺は顔を背けた。
「ちょっと、なに? なんで、すねてんの?」
甘えるように密着してくるが、この女の本性を知った今となっては、受け入れてやるつもりは毛頭ない。
「ね~、桐谷ぃ~」
「黙れ、魔の使いが。丁度良いぶら下がり先を見つけて貰ったのは有り難いが、俺のことを騙したのは疑いようのない事実だ」
「それはごめん! ホントにごめんなさい!」
ごめんで済んだら、ヤンデレはいねぇんだよ。
「こちとら、朝の礼拝とか言われて、結跏趺坐の状態で、三時間も祈りの言葉を捧げられてんだぞ? 疲れを通り越して、謎の悟りを開きかけとるわボケが!」
「け、結跏趺坐する意味はなくない……? というか、昨日はどこで寝てたの? あの子が夜中に『本尊が消失を遂げられた!!』とか騒いで大変だったんだけど?」
「床下だ」
「えっ」
「そこの押し入れの中に、布団と古い工具セットがあったからな。畳と床材を剥がして、床下に布団を敷いて寝た。
寝込みを襲われて、腸されたら困るしな」
笑顔を凍りつかせた衣笠が、恐れ入るかのように問いかける。
「そ、そこまでやる?」
「そこまではやってない。最初は有刺鉄線と祭壇でバリケードを作ろうとしたが、反感を買いそうだからやめた。
俺は女性に対して、気が使える男なんだ。ヒモの嗜みだよ」
「え、えぇ……」
人のことを拉致監禁しといて、なにドン引きしてんだコイツ。
「ね、ねぇ? そ、そもそもさ、本当にあの子のヒモになる気してるの? 私が言うのもなんだけど、狂気の沙汰だよ?」
「素人が」
俺が吐き捨てると、衣笠は「どういうこと?」と疑問の声を上げる。
「まず、アイツが、俺を刺す確率は3割程度しかない。昨日、俺を刺せなかった時点で、ヤツには迷い刺しの症状が出ている。というより、昨日のアレは、ただの〝演技〟だった可能性が高い」
「……なんで、そう思ったの?」
林檎の刺さったフォークを下げ、露出の高い私服を着ている衣笠真理亜は、すうっと目を細めた。
「〝最初から〟、武装していたからだ。
はじめは、俺のことを本尊化するために包丁を持ち込んだかと思ってたが、ヤツは『まずは、聖水で身を清めて頂き』と言っていた。アレだけ教義に拘るアイツが、聖水による浄化も終わらないうちに、腸するとは思えない。
神である俺との謁見の場に、必要のない武器を持ち込む無礼が許されるのは、腸抜きを行う時だけ……そう推測すれば、あの包丁は〝俺を脅すため〟に持ち込んでおいたと考えるのが普通だ」
「……桐谷って、案外、頭良いの?」
「いや、良くはない。命の危機に陥り、かつ頼る相手がいない場合にのみ、頭の回転率が上がる気がする。つまり、拉致場の生存本能だ」
ヒモにのみ使用を許された、ユニークスキルとも言えよう。
「ね、桐谷」
衣笠は哀しそうな顔をして、そっと俺の手を握る。
「桐谷の推測通り、アレは私があの子に指示して持ち込ませたものだよ。だからね、あの子の愛情は歪んではいるけど、アナタを傷つけようとするほど狂ってはないの」
お前、拉致監禁が、相手を傷つけないと思い込んでねーか?
「桐谷、ココから出たい? 出たいよね? あの子、何するかわかんないもんね?」
「いや、別に」
「ココから出る方法はひとつだよ」
話、聞けよ。
「私に恋をして」
潤む瞳で俺を見つめる衣笠は、必死の形相で正面から俺に抱き着いた。柔らかな膨らみが胸元に当たり、心地の良い暖かさが俺の全身を包み込む。
その瞬間――俺は、気づいてしまった。
「お前……まさか……」
「桐谷、お願い! 一生懸命、お世話するから! 愛さなくていいから! 私に恋をして! 恋をしてるって言っ――」
着信を示すバイブ音が鳴り、愕然とした表情の衣笠が電話を手に取る。
「もしもし、どうし――えっ?」
「スピーカーにしろ」
俺の指示通りに、彼女は震える手でスピーカーをオンにした。
「み、水無月結が、そちらに向かっています!!」
聞き慣れない女の子の声が、拡声されて部屋に響き渡る。
「有り得ない……偽造工作は、完璧なんだよね?」
「は、はい! アキラ様に誓って! 水無月結に偽の住所を知らせた教師は、我々の同士ですから裏切ることは有りえません!」
俺の管轄外で、信者を増やすのやめてくれる?
「だ、だとしたら、なんでバレたの!? どうして!?」
「わ、わかりませ――」
何らかの攻防が行われているらしい雑音が聞こえてきて、その後、電話口から何も聞こえてこなくなる。
息を呑んだ衣笠は、右手を握り込んで、推移の行方を推し量ろうとし――
「見つけた」
水無月さんの堂々たる宣告と共に電話が切れた。
「き、桐谷! 行くよ!!」
「お、おい! 下手に移動しない方が――」
「位置がバレてる!! このままじゃ、水無月に桐谷を奪われちゃう!! あの子はまだ、想いを伝えてないのに!!」
パニックで頭の中に浮かんだ感情を言葉にしている衣笠は、震える手で有刺鉄線と南京錠を解除し俺を引っ張って外へと出る。
「あっ」
そして、コチラを見つめている無人航空機と目が合った。
「見つけた!! 目星通り、ビンゴ!!」
結の行先を中心として、半径25mの円内を周回させていた無人航空機が、見事に捜索相手を見つけ出し淑蓮は喜びの声を上げた。
「でも、遠すぎる……! 尾行が気づかれないように、水無月先輩と距離を開けすぎた……!」
舌打ちし、彼女は、携帯電話で結を呼び出した。
「水無月先輩、見つけたよ!! 位置は――」
位置情報を送りつつ、淑蓮は既に駆け出している。
「二人で争っている間に、お兄ちゃんを奪う……漁夫の利だ……待っててね、お兄ちゃん!」
三者三様のアキラ争奪戦は、ひとつの結末を迎えようとしていた。