騙し合いの狂愛線
「水無月先輩、タイムリミットは今日までですよ」
「わかってる」
「居所の推測は?」
「……つかない」
結の声に焦りが混じる――衣笠真理亜がアキラを連れ去ってから、丸一日が経過していた。
「日曜の次は月曜日……登校が始まって騒がれる前に、ヤツは間違いなく拠点を移動する筈です。それまでに、お兄ちゃんを確保しないとゲームオーバー。
職員室で、衣笠真理亜の住所を聞き出せなかったんですか? 優等生の先輩なら、幾らでも方法はあるでしょう?」
「アレは、別人の名前。向かったら、〝別の生徒の家〟だった。
恐らく、校内に後援者がいる……しかも、自分自身を生贄にするくらいの〝狂信的〟な自己犠牲精神をもっているようなのが」
雲谷先生は、飽くまでも2-Cの担任で、全校生徒の顔と名前を一致させているわけではなかった。
彼女の性格的に、匿名で彼女にのみ電話を入れた女の子の素性を探るような真似はしないだろうし、正面切って謝罪をしに来ているのに〝1年生〟の女の子の名前を名乗っているなんて思いもしなかっただろう。
「その生徒からは、何か聞き出せなかったんですか?」
「今は、北海道に旅行中らしいよ。ただの土日なのにね」
電話口の向こうから、爪を噛む音が聞こえてくる。
「お兄ちゃんに仕込んだ携帯電話は、机の中に放置されっぱなしです。幾らGPSの精度が良くてもどうしようもない」
「無人航空機は?」
アキラをストーキングするために使われていたらしい淑蓮の無人航空機は、アキラが攫われた金曜の時点で飛ばされていたが、未だに芳しい報告が届けることはなかった。
「ダメです。そもそも、家に閉じこもってカーテンを閉め切られているようなら、どうやっても見つけられません。それに人工密集地区の上空で飛ばすのは航空法に抵触していますから、そろそろ通報が入ってもおかしくないですね」
「つまり、使えない?」
無言の肯定が返ってくる。
「……情報、何か隠してないよね?」
「えぇ? どうして、そう思うんですかぁ?」
人をおちょくるような甘ったるい声が聞こえ、結は右耳から左耳へと受話器を移動させる。
「兄狂いの淑蓮ちゃんが、玩具を飛ばすだけで、満足するわけないなって思ったから。
他にも、何かしてるよね?」
「いいえ、別に」
ほんの僅かに声質が変化した――生まれ持ったカリスマ性、そして培ってきた人心掌握術、二年生の時点で現生徒会長よりも人望を集める結にとって、対している相手の微かな動揺を察知するのは造作ないことだった。
「……そう、わかった。何か情報があれば連絡して」
「えぇ、もちろんです。それじゃあ」
電話が切れて、結は微笑む。
「さて」
彼女は、画面に映る〝隠し撮り〟した衣笠真理亜の写真を見つめる。
「淑蓮ちゃんは、まだ調査段階か……陽動は十分、あの子が辿り着くまで時間はある」
つぶやいて、彼女は歩き始める。
「人相が割れてれば、幾らでも住所を調べる方法なんてあるのよ。
覚えておいてね、淑蓮ちゃん?」
教師から聞き出した住所へと、水無月結は向かって行った。
「ま、自分自身の位置情報が、バレてるとは思わないよね」
白色のニットを着込み、デニムのショートパンツを履いた淑蓮は、お洒落用のサングラスをずり下げ『水無月結』を示す点を見つめた。
「水無月先輩の弱点は、間違いなく〝お兄ちゃん〟。意識の念頭に『桐谷彰』がいるから、私がGPSで監視するのはお兄ちゃんだけだと思ってる……でも、その考え方が甘すぎるんだよ」
甘ったるいマンゴージュースを啜りながらつぶやくと、彼女の整った容姿に惹きつけられた男性が声をかけてくる。
「あのさ、今って時間あ――」
「殺すぞ?」
満面の笑顔で、美少女は言った。
「私の聴覚は、お兄ちゃんのものだ。許可なく使用するなら、殺すぞ?」
剣呑な言葉を吐いた彼女から慌てて距離をとり、男性は「頭オカシイよ、アイツ!」と怯えながら仲間の元へと逃げ帰る。
「そだね。それが、フツーの反応だよ」
全身を紅潮させながら、淑蓮はニットの下に着込んでいるアキラのTシャツを直に肌で感じた。
「でも、お兄ちゃんは違う……あの人なら、私の愛情でさえも受け止められる……特別、特別なんだよ……」
淑蓮はうっとりとしながら、結がアキラと入浴している際に、彼女の携帯に仕込んでおいたGPSが指し示す位置情報を見つめた。
「頑張ってね、水無月先輩。最後に勝つのは私だけど、精々、努力するんだよ?」
空になった容器を捨て、淑蓮は立ち上がった。