動くヤンデレ、祈るヤンデレ
「……やられた」
水無月結は、誰もいない放課後の教室でささやいた。
彼女がもっているのは、最愛の人である桐谷彰の机の中から取り出した真っ黒な弁当箱――蓋の裏に付着した手紙を読み終え、自身のミスを悟る。
「〝わたしが入れた〟弁当箱を逆に利用された……お仕置きのつもりだったのに、アキラくんが無反応だったのはそう云うことか……」
正確に言えば、結がお仕置きと称して入れたのは〝髪の毛だけ〟である。
血液をふりかけた記憶はないし、蓋の裏に手紙をつけた覚えもない。アキラのストーカーに対する恐怖心を利用し、ちょっとした脅しをかけるつもりで、自分の黒髪を切って弁当箱に詰めたのだ。
もし、その弁当箱が他の人間の目に入って大事になった場合、万が一にも疑われないように、わざわざ〝髪型をポニーテール〟にして、髪の毛のボリュームも誤魔化した。
日頃の行いは優等生そのものなので、まず、ストーカーに罪をなすりつけられるだろうと、彼女は高をくくっていたのだが……結果として、逆に悪用されてしまったようだ。
「わたしが弁当箱を入れたのは、昼休み前。だとすれば、誰かが目を盗んで、弁当箱に血液を入れたことになる」
まず、間違いなく、衣笠真理亜の犯行だということは、容易に予想がついた。
だとすれば、この血は宣戦布告。わざと弁当箱を処理しなかったのも、こちらを煽っていると見ていいだろう。
「……左腕の包帯」
血液の入手ルートとして、結は彼女が左腕に巻いていた包帯に着目する。
「いや、間違いなく、アレは嘘……わたしの弁当箱を利用して、アキラくんの信用を勝ち取るような狡猾な人間が、そんなに簡単なミスを犯すわけがない……だとすれば、アレは〝注目を集めるため〟の陽動……」
そう考えれば、傷があるのは右手首だろうか――結はそう考えたが、彼女の右手首には傷がなかったことに気づき首を振る。
「注射器を使うのは、デメリットが大きすぎる……傷を隠す方法があるのかな……?」
殺意を押し殺しながら推理を進める結の腰元が震え、着信に応えて彼女は携帯電話を耳に当てた。
「ファンデーションテープですね」
兄の帰りが遅い――死にかけの動物を思わせる声を出した桐谷淑蓮は、事情を聞くとそう断定した。
「ファンデーションテープ?」
「傷跡隠しテープとも言われる市販品ですよ。普通のシールみたいに肌に貼れて、一週間は効果が持続します。一種の人工皮膚みたいなもので、リストカット痕くらいなら簡単に隠し通せる。
まー、水無月先輩みたいなぁ、お兄ちゃんへの想いでリスカしようなんて考えたりもしない、完璧すぎるがゆえに愛情不足なお人が知らないのも無理はないかなぁって」
「余計なお喋りは要らないよ? で、どうするの? わたしは、ソイツのこと、ブチ殺しに行くけど?」
結の問いかけに、唸り声が返ってくる。
「共同戦線を張ろうって話ですか?」
「そういうこと」
もちろん、使えるだけ使ったら、用済みとして縁を切るけどね。
「ま、いいですよ、組んであげても。今回のは、たぶん、水無月先輩レベルでヤバイですから。
偽造工作の念の入れ方、水無月先輩の出し抜き方、そして何よりも〝私の排除リスト〟に名前が載っていないという事実……加味入れても、私のお兄ちゃんに一番近づけたくない人物です」
「確かに、わたしすらも騙された。今でも、アレが、アキラくんに付き纏ってたストーカーだとは思えない」
衣笠真理亜には、まだ隠された秘密がある……そして、そのことを、彼女は騙し通そうとしている……そんな気がしてならない。
「だとしても、疑わしいのは確かだったし、髪の毛と爪なんて、幾らでも都合がつけられますよね? どうして、彼女がストーカーじゃないなんて言ったんですか?」
「ストーカーだと断じて、アキラくんが素直に謝罪を受け止めたら、彼女とアキラくんの距離は良くも悪くも近づくことになるから。
矛盾しきったことを喚くアホの方が、アキラくんにとって得体が知れなくて、関わる気が失せるでしょ?」
「そう判断して、まんまとお兄ちゃんを連れ去られたと?
ハニートラップに弱すぎですよ、水無月先輩」
「実際に、アキラくんに迫られてみればわかるよ」
通話しながら、アキラの机を撫で続けている結は、あのひと時を思い出しただけで恍惚として頭が霞むのを感じた。
「で、その女、殺すにしても、遺体は処理できるんですか?」
「一体ぐらいなら、どうにかなると思うな。でも、将来のアキラくんとの生活の前にリスクを抱え込みたくないから、豚小屋で飼うことになりそう」
通話口の向こうから、結に向けられた苦笑が聞こえてくる。
「まぁ、どうぞ、お好きに。お兄ちゃんを取り戻せれば、私はそれで満足ですから」
その一言を最後に接続が切れて、結は鞄の底に隠したスタンガンの出力を確かめる。
「待っててね、アキラくん。アナタの愛する結が行くよ」
床に落ちていたアキラの髪の毛を拾い上げ、愛おしそうに嚥下した彼女は、足取り軽く職員室へと向かっていった。
俺の前に立っている黒尽くめの少女は、自作らしい祭壇の前でウロウロとしながら、ブツブツと何事かを呟いている。
「あ、アキラ様を……お、お迎えしたら……ま、まずは、聖水で身を清めて頂き……そ、それから、不浄な腸を取り除き……」
おっと、俺はお魚さんかな?
「なぁ」
「あ、あぁ……! あ、アキラ様……は、はぁあ……!」
俺が呼びかけると、彼女は低頭して、意図的に作っているらしいガラガラ声で応える。
「俺は、神だよな?」
「も、もちろんでございます……ぼ、ボクにとって、アキラ様は……か、神と同じで――」
「うどんが食べたい」
神の俺は、目を閉じて、祈るようにして神託を授けた。
「うどんが……食べたい……」
慌てて駆け出した彼女を見守り、俺は神としての勝利を確信していた。