ヤンデレの取り扱い説明書は、選ばれし者だけが読める
「アキラくん、諦めて」
マリアの後ろに隠れた瞬間、あっという間に取り囲まれた。
代表面した水無月さんは、眼光鋭く、降伏勧告を送ってくる。この程度で屈するアキラくんではないので、培った反発精神を発揮することにした。
「お断り!! アキラは、あたしのモノよ!!」
「ち、ちがっ!! コレ、あたしの声真似ですから!! 似てるけど、コイツの仕業です!! あ、あたしは、皆さんと敵対するつもりは一切ありません!! 味方です、味方!! 正義の味方!!」
つまり、俺の味方じゃん?
「……お兄ちゃん」
顔を強張らせている淑蓮は、らしくもなく、涙目で俺を見上げる。
「お願いだから、やめて。私は、お兄ちゃんなしじゃ生きていけない。他のものを全て失っても生きていけるけど、お兄ちゃんを失ったら死んじゃうの」
おまえ、心臓を失っても、生きてられるのかよぉ~!?(小学生)
「あ、アキラくん、は」
ひとり、距離をとって電柱に隠れているフィーネは、しきりに髪を掻き上げながら、こちらをチラ見してくる。
「ふぃ、フィーたちを信じられない……? べ、別に、アキラくんのこと、その、好きっていうか、アレだけど、貴方のためなんだよ……?」
「信じられないね」
俺は、マリアを引っ張り込んで、彼女の額にキスをする。
「なぜなら、俺は、コイツを愛してるから」
「はぁ!? いや、嘘!? ちょっと!?」
「「「…………」」」
濃厚な殺意に当てられて、マリアは青ざめた顔で身震いする。肩をガッチリと抱き込んでいるせいで、逃げることも出来ず、両足をガクガクと左右に振動させていた(ロボットダンスかな?)。
「水無月」
民家の塀に身体を預けている雲谷先生は、煙草を咥えたまま、不敵な笑みを浮かべる。
「桐谷のいつもの手口だ。ノるな」
「マリア、代わりにノれ」
「い、いや、あんたが勝手にノッてなさいよ」
「ふぅ~!! いぇ~!! 最高のエブリバディ~!! 金と欲の吹き溜まりへ、カムォンカモォン!! ぉ~、ぃえ~!!」
「「「「…………」」」」
「ノッてるか~い!?」
「「「「…………」」」」
「ノッてるか~い!?」
「「「「…………」」」」
まさか……ノッてるのは、俺だけか……?
泣きべそをかきながら、孤独の俺は、スマートフォンを取り出して音楽を流そうとする。雲谷先生さえも、哀れみを覚えたのか、止めようとはしなかった。
だから、甘いと言うんだ。
『ピンポーン!!』
住宅街に、大音量のピンポン音が響き渡る。
俺の意図を解したのは、『近所の家にピンポンダッシュしまくった』と言っておいたマリア、そして、俺の策を警戒していた雲谷先生だけだった。
「しまっ――」
「ぐぉらぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
マリアの家の近辺から、わらわらと出てくるおっさんたち。せっかくの休日を邪魔されたせいか、その目は怒りに燃えている。彼らは、近場にいたフィーネや水無月さん、先生や淑蓮を捕捉するなり説教を始める。
全員の注意が逸れて、死角が生まれる。
「行くぞ」
そのタイミングで、マリアの手をとった。
後方へ。マリア宅の庭を引き返して、裏口から、後ろ側の道路に飛び出した。
そのまま、駆け抜けようとして――目の前に、淑女が下り立つ。
「失礼」
ふわり。
純黒の長髪を踊らせた少女は、美しき笑みをもって俺たちを迎える。
「この先は、幸せな未来に向けて、突貫工事中よ。
幸福な結婚生活っていうのは、愛犬と愛子と愛妻と……愛のあふれる一軒家があって、成り立つんだもの」
「俺は、金も夢も愛も支払うつもりないんで、そんな工事、一生終わりませんよ?」
「大丈夫、夫婦は支え合うものでしょう?」
バチバチとスタンガンを鳴らしながら、水無月さんは、一歩目を踏み出した。その瞬間、俺は、マリアのハーフパンツからヒモを抜き取る。
「ひゃわぁん!!」
マリアはその場にしゃがみ込み、突き出されたスタンガンは空を切る。
想定した通り、狙ったのはマリアだった。俺を愛している以上、水無月さんは、俺に対して凶器を向けることは出来ない(狂気は向けられる)。俺とマリアを相手取る以上、マリアは一撃で失神させる必要があると判断し、首元を狙うことは推測がついた。
なので、容易に軌道は読めて、水無月さんの手首を取ることに成功する。
「…………ッ!」
勢いがついたまま流れる身体、俺は、そのまま彼女を引っ張り込んで――
「じゅぼぉ……!」
耳の中に、吐息を流し込んだ。
「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
消滅するラスボスみたいな声を上げながら、水無月さんは腰を抜かしてへたれ込む。焦りながら、ハーフパンツを押さえていたマリアを引っ張って走り始める。
「き、桐谷、ぬ、脱げる!! ぜ、ぜんぶ、視えちゃうって!!」
「お兄ちゃんの匂いが流れた!! こっち!!」
俺は、思わず、舌打ちする。
この場を逃げおおせたところで、淑蓮の嗅覚によって追跡される。どうにか、誤魔化す手段を講じなければならない。
「借りるぞ」
「あたしから、なんでもかんでも奪わないでくれる!?」
マリアが首元にかけていたタオルを奪って、自分の汗を丹念に染み込ませる。なるたけ、匂いのきつそうな箇所を拭ってから近隣の庭に投げ込む。
「あ! お兄ちゃん、塀を登った!! たぶん、どこかの家の庭に逃げ込んだんだよ!!」
鼻、効きすぎだろ……警察妹になれるよ……。
俺たちは、そのまま、駆け抜けようとして――待ち伏せしていたフィーネが、嬉しそうに片頬を上げる。
「へ、へぇ、フィーは、別に待ってたわけじゃないけど、アキラくんの方から飛び込んでくるんだね。別に待ってたわけじゃないけど、こういう些細な巡り合わせが大切だって、恋愛レクチャーの本に書いてあっ、あっ、あっ!」
無言で詰め寄って、壁にフィーネを押し付ける。彼女は、耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆う。
「NoNoNoNo!! こ、こういうのは、最初が肝心だって言うから、フィーはまだダメ!! きょ、今日の恋愛運もあんまり良くないし、カワイイ服も着てこれなかったからまた別日にして!!
で、でも、French kissならいい、かも……?」
俺は、フィーネを放置して、マリアと一緒に駆け出す。
駆けて駆けて駆けて……目の前に、見慣れた痩身が立ち尽くす。
暮れ始めている空の下、憂鬱そうな顔で立ち尽くしている先生が、紅色の煙をくゆらせていた。
「桐谷、そうやって、利用するのが愛なのか?」
「意味は多岐に渡るんでね。ネットで検索するか、辞書でも引いてくださいよ」
隙が見当たらない。フィーネたちのように、愛で引っ掛けて、退けられるような相手でもない。
俺の得意とする武器が、まるで通用しない相手。
「……先生」
涼風が身を煽り、俺は口端を曲げる。
「しゃらくさいから、一対一で決着を着けましょうよ。
あんたが負けたら、俺の言うことを聞いてもらう」
「構わない」
薄目を開いて、先生は煙を吐き出す。
「桐谷、お前が負けたら、お前は私のものになれ」
「ついでに、マリアもつけますよ」
「良いだろう」
「良くない良くない良くない!! なんで、本人の意思を介在せずに、勝手にふたりで決めてんの!?
人身売買、反対!! 人身売買を許すな!!」
ギャーギャー喚いているマリアを無視して、俺は笑った。
「本当に、良いんですね?」
「……あぁ」
「なら」
俺は、笑った。
「俺の勝ちだ」