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生みと育てのドッペルゲンガー

 ――ごめんね


 目が覚めると、枕元には手紙があった。


 愚妹の字で『ごめんね』と書かれた手紙は、台所で炙ってみると、なんの文字も浮き出てこずに燃え落ちる。換気扇を回し忘れていたので、普通に母親に怒られて、淑蓮すみれ似の彼女に説教を喰らう。


「お兄ちゃんったら、淑蓮ちゃんにフラれちゃったの?」

「母親が、普通、そういうこと言う……?」

「なに言ってるの~」


 寂しげに、彼女は微笑む。


「わたしのこと、一度足りとも、母親だなんて思ったことないでしょ?」


 意外だ。


 淑蓮とは似ずに、平平凡凡としていて、昼ドラ世界にうつつを抜かしているような女性ひとが……そういった機微きびを解するとは。


「まぁ、正直、ひとつ屋根の下にいる雌だと認識してました」

「もしもし、お父さん!? アキラくんが、お母さんのことペット扱いする!! 女として視てくる!!」


 秒で、旦那にチクるのはやめろ。


 俺は、彼女の手からスマホを奪い取って通話を切る。休日にまで働いている父親の職場に、こんな用件で電話するとは正気とは思えない。さすが、淑蓮の母親だ。


「アキラくん……時々、わたしの下着がなくなってたのは……!」

「いや、それは、あんたのことを気に食わなかった初期アキラくんが、お隣のポストに投函して嫌がらせしてただけだ」

「なんだぁ~! それなら、いいのよ~!」


 いいのか。


 あいも変わらず、自由気ままで、とらえどころのない女性ひとだった。反抗期時代の淑蓮は、現在いまの淑蓮とはまるで別人だが、この女性ひとに関しては、最初から現在いままで代わり映えしていない。


 なにが起ころうとも、こんな風にのほほんとしている。


「ね、アキラくん」


 テーブルの向こう側で、笑いながら、淑蓮の母親は言った。


「本当のお母さんのこと、憶えてる?」

「いいや、まったく」


 俺は、苦笑する。


「ただ、育ての親は憶えてる」

「え~! ぜったい、それ、わたしのことじゃないじゃん~! なんで~!? 頑張って、こんなクズに育てたのに~!!」


 息子をクズ呼ばわりするような親が、クズ以外、育てられるわけないですよね?


「はんぶん、じょ~だん」


 ぺろりと舌を出して(歳を考えろ)、彼女は結婚指輪を撫で付ける。


「わたしの息子は、アキラくんは、天下一品の自慢のお兄ちゃんです」

「あんたの味付けがまともだったらな」

「だから、淑蓮ちゃんのことも泣かせたりなんてしません」


 俺が顔を上げると、笑顔と向い合わせになる。


「育てのお母さんも淑蓮ちゃんも、その他、ぜ~んぶ……わたしの息子なら、救ってあげられるでしょ?」


 思わず、目を逸らす。


「クズに育てといて」


 視線の先には、敵愾心を剥き出しにしている淑蓮、カメラに向かって中指を立てている俺、再婚したばかりの両親が笑顔で映っている写真がある。そこに映っているこの女性ひとは、これから先、不幸なんて起き得る筈がないと言わんばかりに笑っていた。


「あんたまで、俺に善人ぶれって言うのか?」

「ううん、悪人でいて欲しい」


 あっけらかんと笑われて、俺はしばし、呆然とする。


「だって、善人なんて損するだけだもの。わたし、わたしの息子には、楽して楽しく気楽に生きて欲しいし。だから、ずる賢く生きてってくれたら嬉しい。本当の意味で、他の人を不幸にするような真似しなければなにしたってい~の」


 なるほど、と、俺は納得する。


「少年よ」


 この女性ひとは――


「小志を抱け」


 疑いようもなく、クズの母親だ。


「あ! アキラくん、さいてい!! 今の発言で、わたしのことを母親認定した!! クズに育てたことがバレた!!」


 正気じゃない女性アマを相手にするの疲れる……全自動で、返事してくれる機械、誰か作ってくれないかな……?


「いやしかし、育ての親がわたしだけだったら、どんな怪物に育ってたのか……我ながら、身震いしちゃう……もうひとりのお母さんに、感謝しなくちゃね……もし、その女性ひとがいなかったら……母の日に、フラワーショップのゴミ箱に落ちてたカーネーションすらくれなかったかもしれない……」


 身震いしていいの、俺だけだよ?


 身の毛がよだつような独言には耳を貸さず、俺はとっとと準備を整えて、お気に入りのスニーカーにヒモを通した。


「そんな風に」


 玄関まで追ってきた母親は、背後からそっとささやいてくる。


「ヒモっていうのは、誰かと誰かを繋ぐしるべにもなったりするんだよ?」


 母親っていうのは、話を打ち切りたい息子を追いかけて来たりしないんだよ?


 制服姿の俺は、立ち上がると同時に、くるりと振り向かされる。崩れていたネクタイを直されて、ぽんぽんと胸元を叩かれた。


「ね、アキラくん、貴方のことを産んでくれたお母さんもたまには思い出してあげてね」


 おずおずと、肩を撫でられる。


 そのぎこちなさに、この女性ひとにも、遠慮という概念があったのかと驚く。


「きっと、こんな風に立派になったアキラくんを……一目、視たかったと思うな……たぶん、いーっぱい写真に撮って、甘やかして、その成長を見つめたかったんだろうなって……その幸せ、ぜんぶ、わたしが奪っちゃってるの……」


 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと。


 慈しむように、俺の肩を撫でる彼女の手を目で追った。そこに、記憶に残らなかった母親の影を探すように。


 彼女の手を通して、母親の影が、二重ドッペルとなって重なる。


「だから、わたしには、アキラくんを幸せにする義務がある」


 至近距離から、見つめられる。


 視たこともないくらいに、真剣味を帯びた表情で捉えられる。


「なんとなくね、わかるの……母親の勘ってヤツかなぁ……たぶん、わたし、この時のために貴方をこういう風に育てた気がする……バカみたいって笑われるかもしれないけど……一部分……たったの一部分だけ……わたしは、貴方の生みの親の生き写し(ドッペル)として……貴方を育ててきた気がする……だから……」


 目の前の育ての親に、微かな記憶に残る生みの親の姿が――重なる。


「いってらっしゃい、あきら


 その笑顔に見惚れる。


 現在いま、ハッキリと、俺の目には赤ん坊の俺を見下ろす母親の“顔”が視えた。


「……母さん」


 気づいたら、ダブって視えていた幻視は失せていた。


 残っていたのは、間抜け面した自分と、狂喜している育ての親だけだった。口元を覆っている彼女は、感激の涙を浮かべて俺を見つめている。


「今、わたしのことを母親として視てた……雌として認識してなかった……!」


 そして、彼女は、両手を広げる。


「おいで、アキ――」


 床に唾を吐き捨てた俺は、玄関扉を開けて外に出た。


 目に映る快晴、空を仰いだ俺は目を閉じる。


「あの女にだけは……」


 俺の目から、涙が流れ落ちる。


「母親の姿、重ねたくなかったぁ……!」


 淑蓮母(他人)からチャットで『ママのバブみに溺れてくだちゃい!! 母性忍法、オギャり!!』と届いていたので、ブロックしてから通報しておいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] まともに育ったらただのヤンデレ引っ掛けマシーンだったのかな。  周りに翻弄されたりするアキラ君を見てみたかったなぁ…(諦観)
[一言] 覚悟ガンギまり、、、?
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