オススメの死亡保険を教えて下さい(謝礼金:-1000万円)
びしょぬれの状態で帰宅すると、淑蓮に出迎えられる。
「お兄ちゃんっ!!」
「淑蓮、風呂」
玄関に濡れた靴を脱ぎ捨てると、嬉しそうに淑蓮が拾い上げる。こういった場面で、日頃の教育が垣間見えた。
「どこに行ってたの? なんで、急に私の前からいなくなっちゃったの? 大気が地球を覆ってるから、人の営みが続いてるんだよ? お兄ちゃんは地球で私は大気なんだから、離れたりしないで?」
その大気、汚染されてない……?
バスタオルをもってきた淑蓮は、甲斐甲斐しく俺の世話を焼き始める。風呂を洗って炊いてきて、俺の頭を優しく拭いて、カフェオレと苺まんじゅうをもってくる。
「苺まんじゅう、食べるか?」
「いいの!? お兄ちゃん、優しい!!」
俺は、中身の苺とあんこを食べて、残った皮を渡す。
「美味しい!! お兄ちゃんの食べ残し、美味しい!! 栄養素が詰まってる!! お兄ちゃんを経由したことで、ビタミンB(rother)が供給されちゃってる!!」
放置した期間が長すぎたせいで、ちょっと壊れちゃってるかな……
立ったままカフェオレを飲み干して、風呂場に移動した。設置されていた隠しカメラを取り外してから、戸の隙間につっかえ棒を立て掛ける。衣服を脱ぎながら、水漏れ用のシールテープで扉に空いていた穴を塞ぐ。
「お兄ちゃ~ん? カワイイ妹がお背中を流し――1番から10番まで、水無月先輩の自撮り写真しか映ってない!? オヴェェ!?」
ありとあらゆる角度から、水無月さんの自撮り写真(野良ヤンデレを追い払えるので便利)を撮るようにカメラを設置し直してから浴場に移る。
浴槽に全身を浸していると、俺の思考は渦を巻いた。
雲谷渚……本当の名前はわからないが……あの女性へのキスによって、俺は、宣戦布告を行った。少女漫画脳の彼女にわからせるには、男女の愛情表現が一番効果的だったのは間違いない。
――き、桐谷! こら! バカ! 変なところを触るなっ!
なにせ、あの女性、とんでもなく初心だからな。
キスなんて、俺にとっては、ただの商売道具のひとつに過ぎない。愛なんてものは、切り貼りされて、ピンからキリまで値付けされている。
――しょーらい、せんせーに、しんじつのあいをささげます!
「……真実の愛、ね」
苦笑した俺は、風呂から上がった。
洗面所の扉を開けた瞬間、こちらにスマホのカメラを向けている淑蓮が、無音で連写してから微笑む。
「お風呂上がりの写真、念の為に撮っておいたよ」
なんで?(当然の疑問)
抱きついてきた淑蓮を引きずったまま、リビングに戻ってソファーに座り込む。対面から俺の膝に座った妹は、甘えるように頭を擦り付けてくる。適当に撫でてやりながら、ぼうっと天井を見上げた。
「……淑蓮」
「お、お兄ちゃん!? その耳元でささやくの、もっかい! もっかい、やって!! 録音するから!! 今からスタジオに連絡して録音機材借りてくるから、この場にて、暫しの時を生きてて!?」
「今日、一緒に寝るか」
瞬間、淑蓮の表情が固まる。
一秒、二秒、三秒……俺以外の人間が静止したのかと思うくらいに、硬直したまま動かなかった。
妹は、瞬きひとつしない。
ようやく動き出した時、頬は紅潮していて、目には涙が浮かんでいた。
「お兄ちゃん……ようやく、私と結ばれてくれるんだね……」
俺のターン!! 『むすんでひらいて』の法則により、お前と結ばれても、直ぐに開くことを選択するぜ!!
「じゃ、じゃあ、シャワー……浴びてくるね……お兄ちゃんは、先に部屋に行ってて……」
「わかった」
恥ずかしそうに俯いた淑蓮は、はにかみながら洗面所へと向かった。シャワーの音が聞こえてきたのを見計らって、給湯器の設定温度を5℃にまで下げると、甲高い悲鳴が家中に響き渡る。
何度かそれを繰り返していると、青ざめた顔の淑蓮が戻ってきた。
「お、お兄ちゃん、イタズラしなかった?」
「えぇ!? 兄を疑っちゃうのぉ!? 一緒に寝る気、失せるわぁ!!」
叫ぶと、淑蓮の顔が青を通り越して白くなる。
「ち、ちがうちがうよぉ!! う、疑ってなんてないもん!! 私、お兄ちゃんのこと心底信じてる!! もし、お兄ちゃんが冷水でシャワーを浴びろって言うなら、心臓が止まるまで凍え続けるっ!!」
ちゃんと、死亡保険加入しといてね?
夕飯を食べ終えてから、俺たちは二階に移動する。珍しく緊張している淑蓮は、こちらを一瞥もせずに、キョロキョロと周囲を見回していた。
「俺の部屋でいいか?」
「ひゃいん!? も、もちぃひょん!!」
俺は、淑蓮を連れて、部屋の中に入る。
大体、ゲーム機が占めている俺の部屋。淑蓮に掃除を許可しているので、常に綺麗な状態を維持していた。隅の方にあるハンモックは、たまに昼寝用に使ったりするが、ほとんどホコリをかぶっているようなものだった。
猫耳フード付きのパジャマ(あざとすぎるだろ)に着替えていた淑蓮は、床を見つめたまま、顔を真っ赤にしていた。
「…………」
驚いたことに、一言も喋らない。襲ってもこない。ただ、瞳を潤ませているだけだ。
俺は、布団をかぶって、手招きする。
「ほら、入れ」
「……ほ、本当に、いいの?」
「あぁ、早くしろ」
こわごわと、淑蓮は、布団の中に入ってくる。
俺も淑蓮のシャンプーを使っているせいか、同じ匂いがした。
微動だにしない妹は、一定の距離を空けて自戒するかのように、股の間に両手を挟んでいる。ただ、ゆったりとした呼吸が聞こえ、上げ下げしている胸元が視えた。
何もしてこなそうなので、壁の方を向く。
「…………」
恐る恐る、妹の腕が伸びてきて、背後から抱きしめてくる。
「淑蓮」
「あっ! はいっ!! じゃない、うん」
俺は、ゆっくりと目を閉じる。
「俺が報われずに、誰かのために死んだら困るか?」
「……どういう意味?」
「良いから答えろ」
数分間、押し黙っていた妹は、意を決したかのように口を開く。
「私、耐えられないから死ぬよ」
「死んだら、俺がお前を愛することはない」
「ねぇ」
淑蓮が、俺の服を引っ張る。強く。まるで、昔みたいに。
「お兄ちゃん、なんか変だよ……どうしたの……なんで、そんな変なこと聞くの……いつもみたいに、笑いながら受け流してよ……なんで、私と一緒に寝てるの……こんなこと、普通、しないでしょ……ねぇ、お兄ちゃん……」
「俺もお前も、半分ずつ欠けてるからな」
決して、振り向かずに、俺はささやく。
「もう半分を満たしてやれば、楽に貢いでくれるだろうと思ったから優しくしたが……世の中には、妹を想いながら生き続けて死ねる人間もいるらしい……俺にとっては、理解の向こう側だが……」
頑なに、俺は、目を閉じ続けた。
「なぜか、お前には死んで欲しくない」
「お兄ちゃ――」
「寝ろ」
『死ね』とか『キモい』とか『近寄るな』とか……散々に、俺を詰っていた頃の妹を思い出す。
「いい夢をみろよ、淑蓮」
まぶたの裏側に、かつての妹を投影してから――俺は、眠った。