桐谷彰は、情報のプロフェッショナルである
「桐谷、明日から学校だが、準備は出来てるんだろうな?」
「……は?」
手慣れた手付きで夕食を作っている雲谷先生が、こちらを視もせずに放った一言……あまりの驚きに、マヌケな声が出た。
ダンボールハウスを作っていた俺は、入口から顔を突き出して、調理中の雲谷先生の後ろ姿を眺める。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。
長期休暇はもうオシマイだからな。明日からはこの家から通学して、品行方正な桐谷彰として帰ってくるように」
「……あんた、なに考えてる?」
くるりと振り向いた先生が、くすりと微笑む。
「大切な教え子の将来」
「あのですね。監禁素人にも程があるから口出しさせてもらいますが、水無月さんやフィーネだったら、絶対に俺のことを外になんて出しませんよ。水無月さんなんて、ペットゲージまで用意してたんですから」
「お前のことはカワイイと思っているが、ペット扱いするつもりはないな。
ほら、片付けてくれ。なんで、ただでさえ狭いのに、家の中にダンボールハウスなんて作るんだ」
芸術を理解できない三十路が、最高傑作たる『マイスウィートハウス・キリタニ』を足蹴にして退かす。
「なぁに、気安く、足で退けてんですか。ぶっ殺しますよ、先生。装着可能で変形まで組み込んだ、俺の最高傑作に土足で踏み入れるとは、天が許してもアキラは許しませんからね。ぷんぷん」
「カワイイカワイイ」
頭を撫でつけられ、俺は、その掌にダンボールナイフを突き刺す。
「じゃ~ん! 今日の夕食は、中華だ~! 桐谷が食べたいと言っていたエビチリにも、先生、がんばって挑戦してみたぞ~!」
小さな丸テーブルの上に並ぶ、中華料理の数々。
どれほどの時間と労力と金銭を費やしたのか、チンジャオロースにエビチリ、水餃子にワンタン麺、レモンチキンまで用意されていて、ほかほかと湯気を立てている料理群は、見事なまでに美味しそうだった。
「どうだ、桐谷? 美味しそうだろ~? あ~ん、してみろ、あ~ん!」
「で」
ダンボールハウスを変形させて装着した俺は、ダンボールヘルムをかぶってから、エビチリに箸を伸ばす。
「なにが狙いなんですか、先生は」
「……笑ってくれよ、桐谷」
先生は、つまんだエビを下ろして、哀しそうに苦笑する。
「フィーネに囚われていた時のお前は、私を頼って愛らしく縋ってくれたのに……今では、敵扱いだ……辛いものだな、懐かれていた子に遠ざけられるのは……」
「最後の敵を自称したのは、あんたでしょうが」
俺は、ダンボールメイルを着込む。
「覚悟がないなら、するなよこんなこと」
そう言って、俺は、ダンボールシューズを履い――
「待て待て待て!! 真面目な話をしながら、ダンボールで完全武装するのはよせ!! 一言一句、会話が頭に入ってこない!!」
俺の孤独を癒やしてくれた唯一の友を愚弄するつもりかこの女……俺を優しく抱き包んでくれたのは、魂縛盟友だけだったというのに……
「だって、先生が、抱いてくれないから!!」
「待て待て待て。浮気した彼女みたいな言い訳で、急にダンボールを正当化するな。お前の頭の中を、私が読むことはできないんだ。たすけてくれ」
なんの娯楽もないこの牢獄では、あまりにもやることがなくて、俺はダンボールで工芸品を作って売りさばくことを生業としていた。近所の子供たちからは、段紙工匠と呼ばれ、俺の作った作品の多くは、小学生の間で出回って高額取引されていたらしい。
「というわけで、先生、よかったら使ってください……三日かけて作り上げた、三十路殺しです」
禍々しい形をしたダンボールの剣を差し出すと、雲谷先生に膝で叩き折られる。
「桐谷、私の思惑が知りたいなら、直接、聞けばいいだろう」
ため息を吐きながら、三十路殺しを素手でねじ切った先生は、凄まじい勢いでゴミ箱に叩きつける。
「どうして、そうしない? また、過去編は飛ばす派だとか言って煙に巻くのか?」
「先生の口から聞いて、どうしろって言うんですか?」
ダンボールヘルムを外して、俺は、箸をテーブルに置いた。
「きっと、貴女は、その話に嘘を織り交ぜる。汚い事実に綺麗な嘘を混ぜる、詐欺師特有の方法で。漫画に出てくる登場人物みたいに、悲しき過去を語られたら、感情移入した側は不利にしかならない。
まぁ、俺は、貴女がどんな罪業を背負ってようと気にしませんが」
「桐谷にしては、合理的な理由だな」
「交渉の場で有利なのは、基本的に語る側ですからね」
「雄弁は銀、沈黙は金という言葉もあるが?」
「場合によっては、銀のほうが高くなる」
煙草を咥えた先生は、口端を曲げる。
「桐谷、お前は、黙るべき時を知ってる男だな。金を掘り当て、銀を懐に仕舞い込める側の人間だ」
「俺は、俺しか信じない」
レモンチキンを口に含んで、カリカリとした食感とレモンの風味を感じ、その香ばしさに笑みをたたえる。
「だから、答えは自分で探すし、貴女の言葉はひとつ足りとも信じない」
「困ったな」
頭を垂れた先生は、ささやく。
「かくれんぼは……昔から、苦手だ」
「お兄さんのことを思い出しますか?」
とてつもない速さで――雲谷先生は、顔を上げた。
手負いの獣のように、ぎらめいた両の目玉が、真っ黒な髪の隙間からこちらを覗き込む。一挙手一投足を脳に投写して、現実の世界に現像するみたいに、まばたきひとつしない先生はじっと俺を睨めつけた。
「……ゴミ捨て場から、『幸福な王子』を拾ったのはお前か」
「やっぱり、あれ、先生のだったんだ。
では、問題です」
俺は、例の写真を取り出して、先生に見せつける。
「これ、な~んだ?」
「…………」
「先生」
返せとも、殺すとも、ふざけるなとも、口にはしなかった雲谷先生は、ただただ嵐の渦中で耐えるようにして身じろぎひとつしなかった。
「俺が、貴女を、暴いて差し上げますよ」
にっこりと笑った俺は、目の前の暗闇に宣告する。
「案外、教え子に教えられることも多いって……よく言いますからね」
「なら、私も」
目は笑っていないのに口元は三日月で、あべこべな笑顔をした先生は、歯車の音がしてきそうな声で言った。
「教えてやるよ、桐谷……愛しい教え子に……この世には、愛なんて、存在しないってことを……お前が、諦めた後に、教師の責務として教えてやる……」
矛盾の前で、俺は嘲笑う。
「俺の情報捜査網を舐めるな。ありとあらゆる可能性を模索して、蓋然性を突き詰め、どれだけの時間を費やそうとも……あんたを暴いてやるよ」
その日の深夜――
「モモせんせ~! 雲谷せんせ~の過去、おちえておちえて~!!」
俺は、最短で、攻略本を開きにいった。