Bは、Aに救われる
「んで」
玩具の手錠をかけられた俺は、目の前のテーブルに載せられた、大量の料理群を見つめる。
「雲谷先生は、なにがしたいんでしょうか?」
「お仕置き」
にやりと笑って、先生は、俺の前に炒飯を置いた。
「どうだ、桐谷! ココまでもてなされたら、お前とて、またおイタするような気は起きないだろ!? 視ろ、この黄金色に輝く炒飯を! 我が雲谷家に伝わる秘伝の味が、お前の胃袋に炸裂するぞ!!」
なんなんだよ、このうざったい、雲谷家に伝わるハイテンションは……結局、この女性、俺のことを監禁なんて出来ねぇんじゃねぇか……
「で、なんで、バレたんですか?」
「私の想定よりも、2日ほど早かったと言ったろ? お前がマリアを呼び出したということは、なにかしら仕掛けてくる兆候だ。
基本的に人間は、単一作業……料理中のマリアから、スマートフォンをスるくらい訳はない」
そう言って、先生は、トランプを右手から左手へと素早く移し替える。バラバラと音を立てながら、宙空を飛んだカードに見惚れ、そう言えばこの女性は、異様に手先が器用だったなと思う。
「お前に、アレを見せるつもりはなかった」
「あの制服」
俺は、朧げな過去を思い出す。
「渚が着ていましたよね……つまり、雲谷先生が」
「まぁな」
匙を差し出した雲谷先生は、かぶりついた俺を視て、嬉しそうに微笑む。
「コスプレ?」
「そのようなものかな」
「当時の先生が、髪を短くして、男のフリをしてたことと関係あるんですか?」
「別に……男のフリをしてたわけじゃない。あの頃は、私もモモ姉もいっぱいいっぱいだったから、ああいう形に落ち着いただけだ」
他人の過去には、興味がない。だが、モモ先生の話となれば別だ。
――ももせんせーのまわりを、ぜーんぶ、しあわせにします!
あの女性には、借りがある。返しきらないうちに、終わらせるわけにはいかない。
「先生」
「桐谷、私はな」
雲谷先生は、煙草を口元に咥えてニヒルな笑みを浮かべる。
「悲劇のヒロインになるつもりはないんだよ……そして、兄のことを語れば、私は女々しい受動態になる……救われるなんて、まっぴらごめんだ……もうコレ以上、救われたくなんてない……」
「その癖して、人は救うんですか」
俺は、笑う。
「モモ先生も貴女も、随分と身勝手で傲慢だ。救われる側の意思なんて知らず、好き勝手に救おうだなんて虫が良すぎる」
「温情主義か」
知性的な俺は、賛同を示すために首肯する。
「えぇ、そうです……バターヌリヌリズムです」
「わかった、桐谷、やめよう。私とお前で、真面目な話をしようというのが無理だ。確かに、モモ姉も私も、利己的に救いを扱いすぎた。お前が、私たちに介入したいというなら認めるよ」
手錠を外した俺は、炒飯をかっこんで、オレンジジュースで流し込みながら先生を見つめる。
「では、桐谷。
お前に、私の過去を語ろ――」
「いえ、結構です。俺、漫画とか小説で、過去編は飛ばす派なんで」
「…………」
静まり返った先生を前に、俺は、酢豚へと手をのばす。
なんというか、先生の料理は、全体的に“それなり”だった。たぶん、世間一般的な評価は“美味しい”に値する。だが、なにかが、欠けている。モモ先生の料理にはあって、雲谷先生の料理にはないものがある。
たぶん、それは、雲谷先生が信じていないから宿らなかったものだ。
「桐谷、お前、ただいちゃもんをつけたいだけか?」
「人を煽るのを止めると、死んでしまうので……」
「新種のマグロかお前は」
そんなマグロがいたら、乱獲されて、絶滅に追い込まれそう。
「冗談はともかく、俺は、お涙頂戴のよよよ話を聞くつもりはありませんよ。感情移入なんて、この世で最も、金を稼ぐのに不要な道程ですからね」
「では、なにがお望みかな」
ため息を吐いた先生に、俺は手のひらを差し出す。
「三行でどうぞ」
「……は?」
「雲谷先生が、どうしてこうなったのか、三行で教えて下さい。そうすれば、俺は、納得して次のステップに踏み出せるんだ」
「きりたには
もしかしてアホ
かなしいな」
せんせえは
どくしんだから
いきおくれ
「誰が、五七五で、俺を罵倒しろって言ったんですか」
「お前こそ、人のことを、季語なしで馬鹿にしただろう?」
独身といきおくれは、季語(冬)だが?
「独身といきおくれは、季語として扱われるとか思っているな?」
「気安く、人の心に触れないでくれます? 先生のこと、冤罪で訴えますよ?」
「お前の人心は、全部、そのニヤケ面に出てるだけだ。
ほら」
俺は、なにかを書き付けた先生から、レシートを受け取ってその裏を見つめ――愕然とする。
「なぁ、桐谷」
こちらを見つめながら、煙草を揺らす先生は苦笑する。
「私は、一体、どうすれば良かったと思う?」
なにも答えられず、俺は、その三行を見つめる。
たったの三行……だが、それは、あまりにも重すぎて、重力で周囲の空間が歪んでさえ視えた。
「桐谷」
俺は、ただ、レシートの裏を見つめる。
「私は、一体、どうすればよかった?」
――モモ姉は、私を救えない。
――なぜなら。
「どういう……」
――雲谷渚は、既に死んでいる。
「どういう意味だよ、コレ……」
雲谷先生は、ただ不敵に――人差し指を、唇の前に立てた。