突撃! 独身女性の自宅ご飯!!
「おー! 久しぶりの日本ー!!」
俺は、牛丼屋に駆け込む。
「アイ・アム・ビーフ!!」
「桐谷。お前は、人間だ」
俺は、寿司屋に駆け込む。
「アイ・アム・SUSHI!!」
「桐谷。お前は、人間なんだ」
俺は、コスプレショップに駆け込む。
「アイ・アム・アホ!!」
「…………」
「おい。なんか言えや、おい」
フィーネに攫われたと思ったら、今度は、担任教師に拐かされて、再び日本に舞い戻ったアキラくん。
久しぶりの日本を堪能した俺は、猫耳を外してから、ため息を吐く。
「で、雲谷先生」
「なんだ、桐谷」
俺のローキックを、先生は、ものの見事に片足で捌き切る。
「なんで、あんなことしたんですか? 教師がする悪ふざけにしては、どう考えても、度が過ぎてると思いますが?」
「悪ふざけ?」
雲谷先生は、煙草を咥えたまま微笑する。
「本気だよ」
わからない。
俺は、コスプレショップの中で、ナース服を矯めつ眇めつ観察している先生を見つめる。彼女は、いつもどおりにしか視えなかったし、そこに内在しているような狂気も感じられない。
ただの人間だ……狂女じゃない。
「目的は? 男子高校生とラブチュッチュして、三十路生活に終止符を打ち、ハワイあたりで倒錯ハネムーンしたいとか言いませんよね?」
「私は、グアムがいいな……」
グアムでもハワイでも地獄でも、大して変わらねぇから答えろや。
「なぁ、桐谷」
司祭のコスプレ衣装を見つめながら、雲谷先生はささやく。
「なぜ、人は、愛なんて不定形なモノに縁を覚えるんだろうか。婚姻なんて契約を結んでまで、どうして、人は愛を固定化させようとする。そこにあるのは、永遠なんかじゃない。
欺瞞で満ち溢れた……相互利用の定役だ」
まるで、白昼夢を漂っているみたいに。
雲谷先生の目つきは、うとうととしていて眠たげで、現実を捉えられていないかのようだった。
「桐谷、お前の考えもわかるよ。互いの幸福を願って結婚しても、数年後には、ネット上に『旦那に、早く死んで欲しい』なんて平気で書き込む。結局のところ、婚姻なんて契約を結んで、社会上の安全手形を手に入れ、遺伝子を頂いて子を為したら生物としての目的は達したことになる」
「先生」
「夫への愛は不要となり、残るのは、不要物と契約だけだ。愛情は子へと移り変わり、遺伝的アルゴリズムに則って、自身の遺伝子を次代に遺すために子供を守ろうとする。人間なんてのは、所詮、遺伝子の搭乗機に過ぎない」
「先生」
「桐谷。遺伝学的に言えば、至って普通のことなんだよ。世間一般で情がないと言われるようなことは、至極真っ当な遺伝構造なんだ。だからこそ、私は、愛なんておためごかしを、平気な面で言う人間を――」
「先生」
俺が腕を掴むと、先生は、ようやくハッと顔を上げた。
「これ、もう、買い取りじゃないですか?」
自身の手で、ぐちゃぐちゃに握りしめていた衣装を見下げ、雲谷先生は哀憐に満ちた苦笑を浮かべる。
「……そうだな」
カウンターに行こうとした先生の手を、握って引き止める。
振り返った彼女に、俺はささやいた。
「先生、愛はあるよ」
驚いたかのように、目を見張った彼女に続ける。
「愛がなかったら、俺は、ヒモになれないからな。商売道具が、この世に存在してなかったら困る」
先生は、笑う。
「桐谷、お前、いつか、刺されて殺されるぞ?」
「なに言ってんですか。俺が刺されるようなヘマするわけないでしょ」
手を離すと、先生は、カウンターまで行って支払いを済ませてくる。その間に、逃げることもできたが、どうにも逃走する気にはならなかった。
なにせ、先生には、驚異と思えるモノがひとつもない。逃げられる機会なんて、幾らでもあった。ただ、俺を、日本に連れ帰ってきただけじゃないかと、そう思わざるを得ない対応だ。
だから、なんとなく、言われるがままに付いていった。
「ココが、私の家だ」
「……マジすか」
雲谷先生が、自分の家だと紹介したそこは……今にも、倒壊してしまいそうなほどに、傾いて、色あせたおんぼろアパートだった。
赤色のトタン屋根は、ところどころ剥げている。壁には蔦と蔓が絡みつき、ヒビが入っていた。敷地内には雑草と謎の野菜が繁茂し、タイヤが外れて壊れた自転車が放置され、奥の方ではカラスが生ゴミを突いている。
築何年なのか……察するにあまりある光景。
異世界を前に呆けていると、雲谷先生は、音を鳴らしながら二階へと上がっていく。
「上がってくれ。靴は脱げよ」
「俺を、どんな、無作法者だと思っ――」
先生の部屋の内装は、また、ものすごかった。
なにも、ない。
本当に、ココに、人間が住んでいるのかと疑うほどになにもない。無だ。
調度品らしい調度品はなく、中央に、ちょこんと丸テーブルが置いてあるくらいだった。収納は、備え付けのクローゼットを使っているらしく、テーブルひとつが唯一の家具だと知って愕然とする。
「どうした? 靴を脱げば、上がっていいぞ?」
「いや、先生。コレ、本当に、ココに暮らしてるんですか? 現代日本とは思えない、数奇なる光景が広がってるんですが?」
「……どういう意味だ?」
うわ~お! 教育、やり直してこ~い!
俺と先生が部屋に上がると、四畳半ほどしかない部屋がみちみちになる。丸テーブル越しに向かい合うと、気だるげに頬杖をついていた先生は、唐突にその場に横になって目を閉じる。
「え? 誘ってるんですか?」
「そういう意味ではないが……別に、お前がそうしたいならそうしろ。抵抗はしない」
26歳児を襲って、責任なんてとりたくないので動くわけがない。
「先生、冷蔵庫は?」
「ない」
「飲み物とか食べ物、どうしてるんですか?」
「腐らせる前に食べる。飲み物なら水道を契約している。契約する必要性はあまりないが、水は、いざという時の使い勝手がいいからな」
「電気とガスは?」
「契約してない。暗くなったら寝ればいい」
「いつも、なにを食ってるんですか?」
「必要な栄養素を必要なだけ……各種ビタミン錠は、そこの引き出しの中にある」
「……この部屋で、普段、なにをしてるんですか?」
「カロリーを浪費しないため、横になっている」
す、すげぇ、この人……現代日本で、平原に暮らす少数民族よりも、よっぽど酷い暮らししてる……
「雲谷先生」
俺は、正座して、深々と頭を下げる。
「お世話になりました。わたくし、実家に帰らせて頂きます」
そう言って、立ち上がると――先生に、足首を掴まれる。
「ダメだ、桐谷」
にっこりと、笑った先生は言った。
「今から、お前を、ココに監禁する」
俺は――今までに感じたことのないほどの絶望を覚えた。