A to B――『to』 the defeat
「敗因をひとつずつ、丁寧に教えてやる。
敗けるのは初めてだろ? まぁ、座れよ。ゆっくりしていけ」
祭壇に腰掛けた俺は、ネクタイを緩めて着席を勧める。
フィーネ・アルムホルトは、硬直したまま動けず、アサルトライフルを構え続ける民間軍事会社たちもまた行動できなかった。
だから、立して、座すコチラを視る。
「まず、お前は、ふたつの敗因を抱いていた。
人間と機械だ……お前は、機械で有り続けようとしていたが、不可能だった。人間だからな。かと言って、人間にも成りきれなかったから敗けた。
寓話のコウモリの話を知ってるか? アレだよ」
「…………」
冷静さを取り戻したフィーネは、終了音が鳴り響く中、ゆったりとした動作で長椅子に座る。
「ひとつ目は、コイツだよ」
俺は、自分の腕時計を、指でトントンと叩く。
「ZugzwangとLuringだ。俺とお前が、お遊戯で勝負した時、途中で俺は駒を投げた」
「そして、その時、腕時計を偽物と交換し――」
「してない」
フィーネの顔に、驚愕が押し広がっていく。
「俺は、偽物とすり替えなんてしてない」
「……嘘だ」
感情を押さえつけるように、フィーネは言葉を選んだ。
「キリタニ・アキラが、あのタイミングで、腕時計をすり替えないわけがない。わざわざ、フィーに腕時計を賭けさせて、テーブル上に置かせた意味がなくなるもの。
それに、偽物とすり替えなかったら、どんな意味があ――」
ぽかんと、フィーネは口を開く。
俺が、指先でつまんで、ぶらぶらと揺らしているソレを視て。
「偽物じゃなくて――」
俺の腕から外した“腕時計”が――揺れていた。
「“本物”とすり替えた」
フィーネ・アルムホルトは、愕然と、目の前の現実を見据える。
「う、嘘だ……う、腕時計には鍵がかかってた……う、腕から……は、外せるわけがない……」
――桐谷、外すか?
「そうだよ、盤外上だ。お前には、視えなかった盤外上の一手」
――まぁ、鍵をもってるからな
「雲谷先生だ」
この島に来た当初、俺は、雲谷先生と砂浜で出会って――腕時計の鍵を受け取っていた。
雲谷先生からもらったあの鍵は、フィーネが管理していたものではない。管理者がフィーネ・アルムホルトである以上、鍵を紛失したまま放っておくなんて有り得ない。
だとすれば、俺のもっているこの鍵は、“事前に”複製されていたモノ……雲谷先生が、この島に訪れる前から、準備していた盤外上の一手だった。
「つまり、お前が偽物だと看破して、俺の部屋に置いていった偽物は本物だった。
それらしい、偽造をしておいたからな。腕時計の鍵を絶対に外せないという絶対法則をもっていたお前は、どう足掻こうとも、偽物を本物だと疑うことはできない。機械が間違えないのは、法則性に基づいた盤面の世界だけだ。
お前がどれだけの天才であろうとも、人間である以上、視えないものに対処することはできない」
「……結婚式を、そっちから提案したのは?」
「島に上陸した時に、俺は新築の教会を視てたしな。ルールを聞いてピンときた。指輪交換じゃなくて、時計交換をするつもりじゃないかってな。
だから、命ごと全額、賭けした」
ニコリと笑って、俺は腕時計を着け直す。
「ふたつ目。俺は、そんなに、納豆が好きじゃない」
「……え?」
「亡くなった母親の好物だったから、なんとなく、毎朝食うようになっただけだよ」
ぶらぶらと足を揺らしながら、俺は、数多の銃口を観察する。
「俺の行動履歴をスパコンで解析させて、行動の先読みが出来るって言ってたけどな……毎朝、納豆を食う男が、納豆を好きだとは限らない」
俺は、彼女に微笑みかける。
「俺は、俺だよ。お前の俺じゃない」
目を見開いたフィーネは、ゆっくりと、頭を垂れる。
「……だから、フィーの前で、何度も納豆を食べて見せたの? 結婚式場に、納豆パックを持ち込んで、中に本物の腕時計を隠すために?」
「そういうことだ」
時計交換によって、俺の腕に嵌められた、フィーネの腕時計を揺らす。
「お前の父親は、納豆、食わないんだろ?」
「……ははは」
だらんと、全身を弛緩させて。
顔を伏せていたフィーネの片手が、ゆらり、持ち上がる。
そして、パチン。
指を鳴らした瞬間、水無月さんたちに銃口が突きつけられる。
「……詰めが甘かったね。結婚相手は、もう、選べないよ。カードが揃わなきゃ、誰だって上がれない」
微笑して、俺は祭壇を下りる。
「正直言って、何度も敗けると思った。お前は、俺の考えついた、策を尽く打ち破っていったからな」
納豆パックを取り出して、俺は誓いの鐘に耳を澄ませた。
「だから、この最後の策に至るまで、ありとあらゆる偽装を仕掛けることになった。水無月さんも淑蓮も由羅も、全員が本気の本気で、ココまで必死にならなかったら、きっと、お前は盤外上の策すらも見破っていただろうな。
すんなりとココまで来ていたら、絶対に、お前は俺に疑いを投げかけていた筈だ」
「……なにが、言いたいの?」
「この策の考案者は、水無月さんだ」
驚きで振り返ったフィーネを、水無月さんは真っ直ぐに見つめる。
直線で、最短距離、彼女だけを見通す。
「無線機の扱いや無人航空機を操作できたのは淑蓮だけだ……お前の目を欺いて、実寸大の俺フィギュアを持ち込んだり、情報伝達を行えたのは由羅くらいのものだった……」
「なにが……なにが……言いたいの……?」
「貴女は、敗けたのよ」
目と目を合わせて、水無月結は、フィーネ・アルムホルトを見つける。
幼き頃から上に立っていた彼女と、同じ目線に立って、ただただ簡明直截に対峙する。
彼女の目には、様々な思いが過ぎっていた。
期、道、愛、烙。
その感情の渦巻きを視たフィーネは、徐々に呼吸を荒げて、恐れるかのようにじりじりと後ろに下がる。
そして――彼女は、告げる。
「彼を愛してないから――貴女は、敗けたの」
「まだ」
フィーネは、叫ぶ。
「まだ、敗けてないッ!!」
「喜べ、フィーネ。
最後の演出を考えたのは――」
俺は、ゆったりと、特大納豆パックを開く。
「俺だ」
そして、結婚相手を引っ張り出す。
「…………っ!?」
腕時計を巻きつけられたカニは、俺の手元でワシワシと蠢く。
腕時計装着型最終甲殻類《ラスト・アーロン=アロハ・カニオ》を視たのが初めてなのか、フィーネは、言葉さえも失って立ち尽くしている。
だから、俺は、会心の笑みを浮かべる。
「ルールには、明記されてなかったよな――参加者が、“人間”に限るなんて」
「撃っ!? 撃ちなさ――」
「おせぇよ」
月明かりの差す教会。
俺は、やさしく、愛するカニに口づけし――
「ぁあああああああああああああああああああああああああああっ!! 鼻がもげぁああああああああああああああああああああああああああああああん!!」
死ぬほど、鼻を挟まれた。