何度も、何度も、何度も、言った
合図もなしに、アサルトライフルが向けられる。
銃口の注視を集めた水無月さんは、不敵な笑みを浮かべたまま、月明かりを背景に立ち尽くしている。
「来たのね、ゆい」
フィーネ・アルムホルトの言葉に、水無月さんは笑顔を返す。
「白々しい。来るって、わかってたでしょ? 貴女の計算機には、わたしの到着時刻まで、明記されている筈。
タイムカードが読めないほど、目が悪くなった?」
「理解できないな」
純白を纏ったフィーネは、つぶやく。
「敗北しに来る人間は……なにを考えてるんだろ?」
「勝ちに来たのよ」
水無月さんは、そっと、ささやく。
「わたしは、勝ちに来たのよ……フィーネ・アルムホルト……もう、恐怖は捨てた……あの時から……わたしは……貴女に教えたかった……」
「なにを?」
彼女は、笑う。
「格の違い」
「笑わせるな、道化」
発射――腹に響く、銃撃音。
M4カービンから放たれた弾丸は、水無月さんの隠れた長椅子に集中砲火し、騒々しい音を立てながら炸裂する。制圧射撃を行いながら、執事服を着た傭兵たちは、ハンドサインを送り合って左右から彼女を挟み込もうとする。
「いい、やめなさい」
フィーネが、面倒くさそうに手を振って、銃撃と行動が止んだ。
「ねぇ、ゆい。外にいた民間軍事会社たちはどうしたの?」
「……アキラくんの人形に釣られて、そもそもの数は減ってた。それに、衣笠さんから、定期的に変更される無線機の周波数は聞いていたから、内部事情を把握して“男声”を使えば、傭兵たちのコントロールは効く」
「なるほど。味方を装って、教会周囲の警戒パターンに“穴”を空けたのね。
英語を解するようになったなんて素敵よ、ゆい」
「どこまで、釈迦の手の上だか」
銃声で痺れた耳を擦りながら、俺は、ふたりの会話に集中する。
「ゆいたちが、衣笠由羅と連絡を取り合えてたのは、ちょっとだけ意外かな……そうなると、あなたはパパとも、フィーの知らないうちに、密談をしてたのかしら……回線は、見張らせてたつもりだけど……」
「連絡のとり方なんて、幾らでもある」
椅子の裏から、水無月さんが少しだけ顔を出し――射撃を受けて、直ぐに引っ込む。
「例えば、夜中、屋根の上に登って、袖口に仕込んだペンライトで、モールス信号を送るとか……ある程度、自由に動ける衣笠さんがいれば……モールス信号で座標の指定をして、手紙を地面に埋めれば、監視なんて出来ない……」
「衣笠由羅の動向は、掴んでいたつもりだけど、まるでニンジャみたいね。
さすが、日本人」
腕時計に触れるフリをして、袖口からペンライトで座標を指定してたが、どうやらバレなかったらしいな。
さすがに、コレでバレてたら、詰みだったが……水無月さんは、特別製の腕時計に、盗聴器が仕込まれてたことを知ってたんだろうか? フィーネが近くにいなくても、今回の策を、絶対に口に出すなと言われていたが。
しかし、読んだ手紙は千切って食べ物に混ぜ、飲み込めなんて酷いことを言う(燃やしたり埋めたりは、絶対にバレるとは言ってたが)。お陰で、納豆やらシュークリームやらケーキやら、なにかと食わされることになったよ俺は。
「で、これから、どうするの?」
「二度も言わせないでくれる?」
椅子の裏から、なにかが、放り込まれる。
「貴女に、格の違いを教えるのよ」
手榴弾。
だが、誰も反応しない。そして、爆発もしない。
「……爆発、するわけがない」
フィーネは、無機質に微笑する。
「ゆいに基地から盗ませた手榴弾は、全部、信管は取り外してある。起動装置がないのに爆発するわけがない」
手榴弾に続けて、すーっと、地面を滑ってくる物体。
無線機。
俺たちの視線が、床を滑ってきた無線機に集まる。
黒色の機体をもった無線機は、雑音を発していて、唐突に人語を発した。
『なら、これは?』
淑蓮の声――強烈な、破砕音。
千千に砕け落ちたステンドグラス、描かれた聖母の顔面をぶち破って、無人航空機が上空から突っ込んでくる。
反応した民間軍事会社たちは、すぐさま、射撃の姿勢に入ろうとして――くくりつけられた“ソレ”を視て硬直した。
『爆発!』
炸裂――無人航空機にくくりつけられていた、大量の発煙弾が破裂し――ガスマスクを着けた水無月さんが、姿勢を低く保ったまま、凄まじい勢いでこちらに駆けてくる。
教会内に充満する白い煙、執事たちが咳き込む声が聞こえてきて、目と口を閉じている俺はにわかに手を引かれる。
両方側から。
「なっ!?」
打撲音。
目も口も閉ざされた俺は、空気のゆらめきで、ふたりの人間が争っているのを肌で感じる。
そして、急に引っ張り込まれて、立ち上がる。
「水無月さ――」
目を開けた時、飛び込んできたのは――崩れ落ちた水無月さんの頭に、銃口を当てるフィーネの姿だった。
「で」
教会に送り込まれる強風。
大型の送風機によって、空間内の煙は一掃されていき、ガスマスクを外したフィーネは綺麗な笑顔を浮かべる。
「どうするの?」
跪いた水無月さんは、マスクを引っ剥がされる。頬に打撲痕を残した彼女は、悔しげな顔で、フィーネを睨めつける。
「ゆいが、基地に入り込んだのは二回。一度目の時に、予備の発煙弾を盗んでおいたんでしょう? 二度目にわざわざ侵入したのは、一度目の時に盗んだ発煙弾から目を逸らさせるため。
ゆいのレベルなら、わかるよね? フィーが、二度も侵入させるわけがないって。だから、そういう策を講じたんでしょう?」
歯噛みする水無月さんは、立ち上がろうとして……フィーネは、警告を与えるかのように、拳銃で頭を、コンコン、ノックする。
「何回も教えてあげたのに、学習しないのね。うらやましいくらいの能天気。何度も何度も、機会を与えてあげたのに、逃げもせずに立ち向かってくる、その馬鹿げた思考回路。
ねぇ、人間を見下す気分がわかる?」
地上の人間を俯瞰した月の女神は、嘲るようにして、銃口で彼女の歯を一本一本なぞっていった。
「9mmパラベラムで、歯を吹き飛ばしたら、どんな顔になるのかしら?」
フィーネは、水無月さんを見下し――笑い声が響き渡る。
この劣勢下で、おかしくてたまらないと言わんばかりに、水無月さんが笑っていた。
「……なにが、おかしいの?」
「わたしが、こんなチャチな爆弾をもってきたと思う?」
フィーネは、微笑む。
「他になにも、もってないでしょう?」
「もってきたわよ……あの時から……この日のために、もってきた……“盤外上”から……貴女専用の爆弾を……」
「なにを言っ――」
「貴女の父親の再婚相手は」
彼女は、満面の笑顔で言った。
「わたしの母親よ」
爆発――そして、ゆらぐ。
ものの見事に、フィーネの意識がゆらいで、銃口が定まらなくなった。
水無月さんは、その機を逃さず、フィーネの手首をとってから捻る。民間軍事会社たちが反応するよりも速く、彼女は、フィーネの頭に銃口を突きつけた。
「質問に答えてあげる」
フィーネに馬乗りになった水無月さんは、長い黒髪を掻き上げながら言い放つ。
「最高の気分よ」
今まで、動揺らしい動揺を見せなかったフィーネが、息を荒げながら、瞳をぶるぶると震わせていた。憤怒なのか恐慌なのか、四肢を凄まじい勢いでバタつかせ、口からは悲鳴とも喘鳴とも思える音を発している。
「やっぱり、知らなかったのね……貴女は、葬式に出席していなかった……別れた貴女の母親は、最後まで、自分が捨てられたことを我が子に告げられなかった……それは、愛なのかしら、ふふ……いずれにせよ、貴女は、秘匿されたことで、自分の父親が生きているという妄想に取り憑かれた……そして、同時に、とっくの昔に死んでいることを自覚して、代替品を用意しようとした……その、代替品がアキラくんでなければ、見逃してあげたのに……残念ね……」
藻掻くフィーネを見下して、水無月さんは勝利の笑みを浮かべる。
「わたしは、貴女を第二夫人になんてしないわよ」
「あの女……パパを奪った、あの女の娘が……お前……」
フィーネは、うっすらと笑って――ぞっとするような、涙を流した。
「お前か……」
演技じゃない。視ればわかる。
あそこまでの、狂おしいほどの怒りを、演じられる人間はこの世にいない。
「……なんで、わたしと貴女が、友達になれたんでしょうね?」
哀しげに、水無月さんは、つぶやく。
「もし、お互いの運命の人が、アキラくんでなければ……わたしたち、支え合えたのかしら……この事実を、わたしが知らなければ、貴女と争わない道も模索できたのかな……わたしも貴女も、ただ、しあわせになりたかっただけなのに……ふたりとも、父親に歪められるなんて、お笑い草よね……だから、気が合ったのかしら……ねぇ、フィーネ、わたし、貴女を尊敬してたのよ……貴女みたいになりたいって……ねぇ、もし、お互いに普通の女の子になれてたのな――」
「殺す」
フィーネは、愛らしい笑みで告げる。
「お前だけは、殺す」
告げられた水無月さんは、優しげに笑い返した。
「しあわせにしてあげられなくて、ごめんね」
そして、水無月さんは、引き金に指をかけ――カチッという、空々しい音が響いた。
彼女の顔に、驚愕が浮かぶ。
カチッ、カチッ、カチッ……何度、引き金を引こうとも、弾丸が発射されることはない。両手を広げて倒れ伏しているフィーネが、貼り付けたような笑顔を浮かべたまま、水無月さんの腎臓に膝を入れる。
「…………ぉ!」
横倒しに、倒れる。
立ち上がったフィーネは、つまらなそうな顔で、苦悶を漏らしながら蠢いている水無月さんを見下げた。
「やっぱり、学習しない……弾なんて、最初から入ってないから。
銃撃音は、すべて、偽装。教会内に設置されてるスピーカーから鳴らしてるだけ。M4カービンから発射されてたのは、ただのゴム弾よ。
一度、見せてあげたでしょう? パパがいるのに、実銃を撃つわけないじゃない」
「……ぐ……ぉ……!」
俺へと手を伸ばした水無月さんの頭を、フィーネは、当然のように踏みつけて地面に叩きつける。
「たかだか、ゆいごときが、フィーに勝てるわけがない。貴女の愛が、フィーの愛を上回るわけがないのよ。
哀しいわね、鼠さん。わざわざ、海の底から、這い上がってきたのに」
小声で三匹の盲目鼠《Three blind mouse》を口ずさみながら、フィーネは、俺の手をとって静かにささやく。
「愛してるわ、パパ……だから、この女に、わたしたちの愛を証明しようね……また、家族三人で、しあわせになろうね……」
そして、哀しそうに言う。
「残念だけど、やっぱり、貴方ではフィーは救えなかったね……フィーを救えるのは、パパだけなのよ……わかってくれるでしょう……?」
「ご、ごめん、お兄ちゃん」
両脇をもたれて、ひきずられてきた淑蓮が、酷く憔悴した顔で言う。
「ダメだった」
「あ、アキラ様……」
三人組は、民間軍事会社たちに取り囲まれて、処刑を待ち望む罪人のように頭を垂れていた。
ゴム弾とは言え、当たりどころによっては命に関わる。ここから逃げ出そうにも、逃げ出せるわけもなかった。
隠れていた神父が、銃口を突きつけられ、誓いの言葉を震え声で読み上げる。
ニコニコとしているフィーネは、自身の腕時計を外し、恭しい手付きで俺の腕に着けた。そして、俺の腕時計の鍵も外され、フィーネの腕に着けられる。
「新婦フィーネ、あなたはここにいる新郎アキラを、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います」
弾む声で、フィーネは誓う。
「新郎アキラ、あなたはここにいる新婦フィーネを、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「ダメ、お兄ちゃん!! 絶対、ダメッ!!」
「アキラ様っ!! いけません!! 絶対に!! 絶対にいけませんっ!!」
「……アキラ、くん」
「殺すよ?」
フィーネは、笑いながら言う。
「誓わないなら、三人とも、この場で殺すよ?」
「……誓います」
絶句した三人は、こちらを見上げていて、フィーネはこくりとうなずく。
「それじゃあ、鍵を外すね……誓いの鐘が鳴って、フィーたちは、家族になるの……」
潤む瞳で、フィーネは俺を見つめる。
「きっと、しあわせになれるよ……」
鍵が外される瞬間、俺は、目の前のフィーネにつぶやく。
「フィーネ、俺は、何度も言ったよな?」
「なにを?」
腕時計を弄るのに夢中になって、気もそぞろに、フィーネは問い返す。
「何度も、何度も、何度も言ったよな?」
「だから、なに――を!?」
誓いの鐘が鳴る。教会内に、鳴り響く。
その瞬間、はじめて、俺は素の彼女を見つめる。驚愕で後ずさる彼女は、現実を疑うかのようにか細い悲鳴を漏らした。
「お前に」
甲高い音で、誓いの鐘が鳴る。
俺の着けた腕時計と――
「敗北を教えてやる」
懐に入れた、“納豆パック”の中から。