ジーパンに空いた穴は、指を突っ込んで広げるためにある
「……どうやって、入り込んだ?」
フィーネが席を外したタイミングで、ベッドの下に生息している希少種を引きずり出す。
当然のような顔で、衣笠由羅は生きていた。
ショートヘアのウィッグと執事服を着込んだ彼女は、頬を紅潮させて、頭を突き出してくる。
「し、執事のひとりに成りすまして……ふぃ、フィーネ・アルムホルトならともかく……ほ、他の連中は、同業者を、把握しきれてないみたいで……が、がんばりました……」
適当に撫でてやると、嬉しそうに微笑みかけてくる。狂犬病にかかった犬を愛でるみたいで、恐怖を手のひらに感じた。
「となると、やはり、執事連中も民間軍事会社と同じように、金で集められた烏合の衆らしいな。契約で縛られた民間軍事会社はともかく、より高い報酬を提示すれば、執事連中は簡単に寝返る筈だ」
とは言え、そんなことは、フィーネだって承知している筈だ。
――わたしたちに達成感を与えつつ目の前に餌をぶら下げて、奥に進むようにこの別荘が“デザイン”されてるの。レベルデザイン。つまり、ロールプレイングゲームと同じ
コレもまた、撒き餌か。喜んで食いつけば、なにかしらの罠が、発動するに違いない。
ふと、俺にひっついて、匂いを擦りつけている由羅に意識を向ける。
「ところで、よく生き残れたな」
「あ、あの爆発ですか……?」
由羅は、ニコリと笑む。
「耐えました」
ついに、人知を超えたなコイツ。
「じょ、冗談です……え、えへ……さ、さすがに、アレだけの量の爆薬を設置していたら……船体のバランスで気づきますから……ちょこっと、起動信号を調節して、遠くから処理しました……アキラ様を創るのよりは、簡単です……」
さすがに、人知を超えてなかった……良かった……でも、人間をもうひとり創り出そうとしてる……今、まさに、人知を超えようとしてるんだね……うどんを作ってた頃のお前が懐かしいよ……
「わかってるとは思うが、フィーネの前に姿を現すなよ? ただでさえ、俺が反抗的で、機嫌が悪いんだ。ヤツの好感を下げるような出来事は避けたい」
「で、でも……あの女は、桐谷彰に触れました……!」
俺が増殖する前提で、話すのやめてくれる?
「そ、それに……な、なぜ、ボクと一緒に逃げてくれないんですか……フィーネ・アルムホルトを選ぶつもりなんですか……!?」
息を荒げて、突っかかってくる由羅の頬に手を当てる。微笑みながら、ゆっくりと、優しく撫でてやった。
「落ち着け、由羅。
誰も、そんなことは言ってないだろ? 俺は、お前が助けに来てくれて、本当に嬉しかったんだ。こうしてこの場に留まるのも、ヤツを打倒するための策だということを、大好きな由羅にも理解して欲しいな」
「さ、策、ですか……?」
徐々に表情がとろけていく由羅を前に、俺は内心でほくそ笑む。
「そうだ。フィーネ・アルムホルトを打ち倒すための策だよ。俺を俺として認めないヤツを、涙目にして土下座させるのが目的だからな。
そのために、お前にも、力を貸して欲しいんだ」
「お、お力になれるのは……う、嬉しいですが……」
とろ~り!! とろ~り!! とろけちゃぇ~ッ!!
「お前には、この島と外部との“繋ぎ目”を探って欲しい」
「つ、繋ぎ目、ですか……?」
俺は、こくりと頷く。
「フィーネの“背後”をとりたいんだ。アイツの考えもしない箇所から、奇襲をかけてやりたい。
食料や水、娯楽が補充されている現状、外部との連絡手段が、必ずどこかしらにある筈だからな。俺をココに運んできた輸送機か連絡船、もしくは通信手段のひとつでもいい。なにかしらを探り当てて、完璧に見えるこの島に“破れ目”を入れる。
フィーネすら知らない、“盲点”を見つけるんだ」
「で、でも、フィーネ・アルムホルトが……その破れ目を、そのままにしておくわけがないと思いますが……」
「フィーネ・アルムホルトは人間だ」
由羅の顎をくすぐってやりながら、俺はつぶやく。
「人である以上、完璧なんて有り得ない……民間軍事会社や執事連中といった外部の連中まで入れ込んだら、どうやったところで異常が起きる……実例もあるしな……」
――……どうやって、そんなもの持ち込んだの?
民間軍事会社のおっさんたちが持ち込んだゲームを視て、フィーネは、間違いなく動揺していた。アレだけ、この島から女を排除しようとしていた彼女が、むざむざ見逃すわけもない。
少なくとも、俺から女を遠ざけようとしているフィーネは、演技をしているとは思えなかった。だからこそ、あの動揺は、真実だったと信じられる。
「勝利への航路は、必ず存在している。少なくとも、俺“たち”には視える筈だ」
恐らく、駒は、既に揃っている。だからこそ、足りない。
盤面上は、完膚なきまでにフィーネ・アルムホルトが掌握している。誰かが、この島をひっくり返す必要があるんだ。
それが、出来るのは――彼女だけだ。
「由羅。この別荘の執事に成りすまして、“破れ目”を探れ。
見つかり次第――」
俺は、笑う。
「フィーネ・アルムホルトに、お遊戯のルールを教えてやろう」
ZugzwangとLuringだ。
なにが、最善かは、これから決まる。
「ヤツの最善手を悪手に変えるぞ」
「は、はい……!」
俺は、盤面遊戯のルールなんて知らない。
だからこそ、ただのお遊戯に変えてやる。
「ここからは、ルール無用の殴り合いだ……楽しみにしてろよ、フィーネ・アルムホルト……お前に、敗北を教えてやるよ……」
ささやき声を漏らして、俺は覚悟を決めた。
別室――
『ここからは、ルール無用の殴り合いだ……楽しみにしてろよ、フィーネ・アルムホルト……お前に、敗北を教えてやるよ……』
ヘッドホンをつけて、腕時計からの音声を聞いていたフィーネは微笑む。
「……素敵」
まるで、デートに行くみたいにして、楽しそうに彼女は腰を上げた。