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ちょっとだけ憂鬱な時間

作者: 光太朗

※この物語は、伽砂杜ともみ先生作『時間シリーズ』のキャラクターを拝借しております。

「最悪だ……」


 天井を睨みつけ、鈴木海斗は悪態を洩らした。

 だれに、というわけではない。もちろん、住み慣れたマイルームの天井に、なにかしらの不満があるわけでもない。

 不満があるとすれば、この状況だ。

 今日は七月七日。七夕とかいわれる特別な日。時刻は四時ちょうど、まだまだ湿気と熱気の絶えない、昼と夜との狭間のとき。

 天井も見飽きた。海斗は、ごろりと寝返りをうった。

 ベッド脇の扇風機と目が合う。しかし、逸らされた。あんたなんて知らないわ、とばかりに首を振る、つれない扇風機。なんてことだろう、古くからの付き合いなのに、扇風機にまで見放されるとは。

 なんだか情けなくて、毛布を頭までかぶってしまいたくなる。しかし、この暑さのなか、そんなことができるはずもなかった。

 隣の部屋から、どっと笑い声。

 別の世界から聞こえてきたみたいで、海斗は唇を突き出す。子供じみた仕草だとはわかっているが、だれが見るわけでもない。

 今日は、海斗にとって特別な日だった。

 七夕だから、というのではない。織姫と彦星にはもうしわけないが、七夕といわれても正直ぴんとこない。

 一般男子中学生である海斗にとって、特別な日というのは、もっともっと身近で、場合によってはくだらなくて、でも本人にとっては何よりも大切な──


「海斗、だいじょうぶか?」


 突然、部屋の戸が開いた。兄の陸が、あまり心配しているとも思えない様子で、顔を出していた。

 ベッドの上から、海斗は無言で兄を見る。アイコンタクト。本当なら声を大にして不満を口にしたいが、壁向こうの兄の友人たちに聞こえては問題だ。

 いいたいことは伝わったのだろう、陸は肩をすくめた。


「悪いな、あと二、三時間でまとまるんだが。手作りの菓子を持って見舞いに来る日下さんを心待ちにする気持ちはわかるが、寝とけよ。まだ熱下がってないんだろ」


 二、三時間かよ──とつっこもうとして、続いた兄のセリフに言葉を飲み込む。そんなこといってない、いってないのに。……いや、もしかしたら、浮かれていったのかもしれない。なんということだろう。熱とは別の意味で、海斗の脳がぐらぐらとゆだる。

 今日は珍しく、陸の高校のクラスメイトが数人集まって来ていた。学校で行うグループ発表の準備ということらしい。兄の友人がやってくることは事前に知らされていて、海斗は今日一日、友人の家で避難するつもりでいた。しかし、当日になってみれば、みごとに風邪。避難どころか軟禁を余儀なくされている。

 いや、そんなことよりも──海斗は、情けない目を兄に向けた。そんな目をしているという自覚はなかったけれど。にやりと陸が笑う。


「日下さんに電話してやろうか。熱で弱った弟が会いたがってますって」

「じょ、冗談だろ、そんな──」

「冗談だよ」


 さらりと肯定し、じゃあな、といい残すと、親愛なる兄は戸を閉めた。

 真っ赤になった顔が、元の色を取り戻すまで数十秒。扇風機の風が、ほてった頬を撫でていく。

 海斗は、ベッドの上で丸くなった。両腕で作った檻に、顔をうずめる。最悪だ、ともう一度喉の奥でつぶやく。

 だって今日は、特別な日だったのだ。

 本当に本当に、楽しみにしていたのだ。

 ピンポン、と遠くでチャイムが鳴る。時刻は四時四分。なんて縁起の悪い。

 期待なんかするもんか、と海斗は目を閉じた。しかし同時に、学校が終わってここまで来るとしたらちょうどこれぐらいの時刻かと、そんなことを考えてしまう。

 一階から、母の陽気な声。まあいらっしゃい、とかなんとか。どうせ兄の友人が追加されたんだ──そう思いこんで、現実から耳を塞ぐ。

それでも、聞こえてきた。

 とんとん、と階段を上がる音。廊下を行く、軽い足音。それが、海斗の部屋の前で、止まった。


「海斗、起きてる?」


 ノックの後、聞こえてきたのは少女の声。

 海斗は文字通り飛び上がった。

 まさか、まさか、本当にこんなことが。

 夢なのかと、古典的ながら頬をつねる。痛い。ということは現実だ。

 現実だとわかると、今度は別の問題が浮上した。お世辞にも片づいているとはいえない部屋。あたりまえだが、パジャマ姿の自分。髪はどうなっているのだろう、寝癖とかついていないだろうか──


「海斗?」

「お、起きてるよ! どうぞ!」


 混乱のなか、どういうわけかベッドの上で正座する。戸を開けて、セーラー服姿の少女が入ってきた。

 日下桜。海斗と同じ中学の同級生だ。いま隣の部屋にいる女子高生と比べてもまったくひけをとらない、大人びた顔立ち。黒く長い髪は、今日は二本の三つ編みに結わえられている。


「あ、意外と元気そう」


 顔を見るなり、桜はそういって笑顔を見せた。

 いつもなら平気なのに、海斗の精神ポイントが衝撃を受ける。ゲージが減ったのは増えたのかはわからないが、とにかく大衝撃。

 自分の部屋で。

 二人っきりで。

 海斗はさりげなく、桜の手荷物を確認した。いつも持っているスクールバッグ。これといってふくらみがあるわけでもない。そのほかに、かばんの類があるわけでもない。

 今日の調理実習は……──と、もっとも聞きたいことが口から出てこない。

 そう、海斗が今日という日を心待ちにしていた理由。

 今日は、料理実習だったのだ。作るのはカップケーキ。冗談みたいなやりとりで、お互い作ったものを交換するという話まで出た。売り言葉に買い言葉みたいな展開だったけれど。


「よ、葉は?」


 さして気にしてもいない質問が口からすべり出た。

 だが、考えてみればおかしい。桜が来て葉がこないというのは、ちょっと変だ。逆ならまだしも。


「一緒に来たんだけど、忘れ物を取りに戻ってる。あとから来るよ」

「忘れ物?」


 どう考えても、胡散臭い。葉の性格上、よほど大事なものでない限り、明日でいいやといいそうなのに。

 海斗が眉根を寄せていると、桜はさっさとベッドの前に座り込んだ。海斗に倣ったわけでないだろうが、膝を折ってきっちりと正座する。スクールバッグを開け、てきぱきとプリントの類を取り出した。


「どうぞ。見るのは治ってからでもいいかなって思ったけど、ついでだから。ノートとか、もしかして、見たい?」

「もしかしてって……見たいよ、そりゃあ」

「いま頑張る?」

「……明日頑張る。じゃなくて、コピーがいいな、やっぱり」

 

 頼むなら、やはり葉よりも桜だろう。

 そう、じゃあそれは明日ね、と桜がいったのを最後に、会話が途切れた。

 途切れた、というほどではないのかもしれない。しかし、なんだかなにをどうすればいいのかわからなくて、海斗は口を閉ざしてしまった。

 緊張していた。一気に熱が上がりそうだ。


「やっぱりまだ、調子悪そうね。やめといた方がよかったかな」

「いや、もう熱は下がってて。ヒマしてたから、ありがたいよ」


 慌てて否定すると、桜は笑った。目を細めて、楽しそうに海斗を見る。


「なんかちょっとヘン。風邪だから? でもよかった、部活休んでまでお見舞いにやってきた甲斐がございました」

「休んで? あ、ほんとだ!」


 時計を見ないでもわかる、まだ四時を過ぎたころだ。学校が終わって来るならこれぐらい、と思ったのは間違いではなかったが、完全に部活のことが頭から抜けていた。感動すればいいのか、もうしわけないと思えばいいのか、海斗はますます混乱する。なにもかも風邪のせいだ、と自分にフォローするものの、それで症状が回復するわけでもない。

 いよいよ目眩がしそうになったとき、ノックもなく戸が開いた。


「あ、ごめんなさい!」


 すぐに閉まる。一瞬見えたのは、兄の高校の制服を着た女子生徒だった。部屋を間違えたのだろう。

 海斗と桜が、顔を見合わせる。沈黙をはさみ、控えめなノックが響いた。なんだろうと思いつつ、海斗がどうぞと声を返す。


「ごめんなさい、間違えたの。弟さんが風邪で寝てるっていうのに、うるさくしてごめんね。もうすぐ終わると思うから」


 わざわざ、それをいうためにもう一度顔を見せたのだろうか。そう思うと、悪い気はしなかった。


「だいじょうぶです、もうほとんど治ってるし」

「そう? ありがとう。──ふふ、やっぱり鈴木くんにちょっと似てる。あと二、三年で、そっくりになったりしてね。そしたら、モテるよ、きっと」


 意味深なセリフを残し、戸が閉められた。

 似てる、といわれることは、それほど多くはない。海斗は兄を慕ってはいるが、ライバルに対するような思いもある。同性の兄弟というのは、そういうものだ。なんだか複雑な気持ちになった。


「似てる、かなあ」


 桜が、まじまじと海斗を見てくる。

 彼女の気持ちを知っているだけに、ますます複雑だ。海斗は思い切り不快そうに、眉を曲げた。


「なんだよ。似てたら、ナニ」

「やだ、感じ悪い。似てるかなあっていっただけじゃん」


 負けじと、桜が唇をとがらす。

 海斗は惨めな気分になっていた。今後、もし、自分の想いがむくわれる日が来るとしても……それが兄と似てるからとか、そんな情けない理由だったらどうしよう。

 表情で思っていることが伝わってしまったのか、桜は呆れたようにため息を吐き出した。


「海斗は海斗でしょ。なに弱気になってんの」


 いいかえせない。なにをいっても、見透かされそうだ。

 海斗は、桜の言葉を胸のなかでくり返した。ボクは、ボク──そんなことはあたりまえだ。

 けれどそれは、とても大事なことなのかもしれない。

 ひどくしぼんだ気持ちだったのに、そう思ったら、大丈夫だという気がした。

 そうだ、自分は自分でしかないのだから。焦る必要なんてない。


「よう、元気かー?」


 バタン、と無遠慮に戸が開いた。今日はよく戸が開く日だと、頭の片隅で海斗は思う。

 現れたのは、ひょろりと背の高い、海斗の昔なじみ──忘れ物という胡散臭い理由で登場の遅れた、佐々木葉だった。

 元気なわけがない、海斗がそう返すよりも早く、葉は細い目をさらにくしゃりと細める。


「なんだ、元気そうじゃん。どーよ、桜と風邪のうつるようなことしちゃったか?」


 にやにや笑って、そんなことをいってくる。どういうことかわからず、海斗は数度まばたきをした。


「──は?」

「葉! あんたって、そういうとこ、ほんっとサイテーね。信じらんない」

「なんだよ、冗談だろー」


 なにやら二人が盛り上がっている。

 やっと、海斗はことの重大さに気づいた。

 そうだ、自分は風邪をひいているのだ。しかも、治りかけがいちばん人にうつしやすいと聞く。


「うつったかも……」


 なかば絶望的な気持ちでつぶやく。その顔はもはや蒼白だ。

 葉が目を見開いた。


「マジで?」

「海斗! あんたね!」


 桜はなぜか怒っている。

 怒るのも当然だ、と海斗は泣きそうな気持ちになった。


「ごめん、マスクもしないで。桜も、葉だってうつるかもしれないよな。こんな空気悪そうな部屋でさ」


 桜と葉は、顔を見合わせた。

 二人して脱力したように、大きく息を吐き出す。いったいどういうリアクションなのか、海斗にはわけがわからない。


「……まあ、これ食ったら治るよ。せっかくダッシュで取りに戻ったんだ、ありがたく受け取れ」


 疲れたような声で、葉が紙袋を差し出す。見当もつかなかったが、海斗はおとなしくそれを受け取った。

 小さな紙袋だ。なかには、透明のフィルムで包まれた──


「カップケーキ!」


 思わず、叫んでいた。

 忘れ物というのはこれだったのだ。たしかにこれなら、忘れたからまた明日、というわけにはいかない。自分のお見舞いにと思ってくれていたのなら、なおさらだ。


「いっとくけど、葉じゃなくて私が作ったカップケーキよ。交換の約束してたでしょ。交換は無理だけど、お見舞いってことで、特別」

「うわ、すげえ嬉しい!」


 取り繕うこともなく、海斗は満面の笑みで歓声をあげる。

 桜と葉は、眩しいものを見てしまったという顔をして、顔をそむけた。


「ちょっと反省した……」

「私も、なんかよくわかんないけど、負けた気分」


 なにやらテンションが下がっているが、海斗はもう、夢にまで見たカップケーキのことで頭がいっぱいだ。

 まさか、本当にこんなことが。

 朝からくり返し想像した、都合の良すぎるシナリオが実現するなど、思っていなかったのに。

 風邪などひいている場合じゃない、これを食べれば不治の病だって治るに決まっている──大げさでもなんでもなく、海斗はいまなら不機嫌絶頂の母にだって勝てそうな気分だ。

 七夕なんて関係ないと思っていたけれど。

 もしかしたら、快晴だった今日という日に、織姫と彦星が幸せのおすそわけをしてくれたのかもしれない。


「明日はぜったい、学校行くから」


 決意を込めて、宣言する。休むなんてもったいないこと、もうしたくない。


「あたりまえでしょ」

「おまえいないとつまんないんだよ、からかう相手いなくてさ」


 心からの友は、そういって笑った。




 明日にはきっと、いつもの笑顔が三つ、青空の下に花開く──






読んでいただき、ありがとうございました。


前書きにも記しましたが、この作品は伽砂杜ともみ先生作『時間シリーズ』の設定を拝借しております。覆面企画のプレ開催にて私を見つけて下さった伽砂杜先生へ、感謝の意を込めて執筆いたしました。

あくまで光太朗による捏造ですので、伽砂杜先生及び『時間シリーズ』のファンの方々、どうかご容赦を……。本編へリンクが貼ってありますので、もし未読の方がいらっしゃいましたら、ぜひ。


伽砂杜さま、改めまして、素敵な世界のおすそわけ、ありがとうございました。

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[一言] 初めまして、篠北凛と申します。 ええと、伽砂杜ともみさんの友人の者です。 時間シリーズのこの3人のキャラは、凄く大好きなキャラなので、こうして光太朗さんバージョンでの作品を拝読出来て凄く嬉…
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