<第三章>・館の概念
更新遅くなってしまってすみません(;∀;)
午後8時45分。もう既に終業時刻15分前だが、本日何度目かの扉の開く音がして、司は立ち上がった。
『依頼人かも。ちょっと行ってくるね。』
『おう、行ってらっしゃい。』
遊び疲れたのか、ソファに横になってスヤスヤと眠る航大の隣で、蓮は静かにそう言った。
部屋の扉を開け、短い廊下を早足で歩く。エントランスの小さなホールまで来ると、その人はニコッとこちらを見て会釈した。
『すみません、今仕事が終わったばかりで……』
『佐和さん、遅くまでお疲れ様です。
航大くんなら、こっちの部屋で寝ちゃってますよ。』
そう言って、司は佐和を航大のところまで案内した。
『わー、ほんとだ…』
扉を開け第一声。
佐和は、なんだか微笑ましげに目を細めて、航大の隣にそっと座った。
『航大くん、今日園でカルタを作ってきたらしくて。』
カルタなんて久しぶりにやりましたよ、と言う司の手には、マジシャンのごとく温かい紅茶が用意されている。
『佐和さん、宜しければどうぞ。』
『何から何まですみません…』
佐和はそれをフーフーしながら飲むと、ホッと一息ついた。
そして、部屋の中に飾られてる趣味のいい調度品を見回しながら、司に尋ねる。
『そう言えば、この立派な館って……神路さんのお家なんですか?』
佐和は一応依頼主ではあるが、この館に来るのは初めてだ。
司は、いいえと笑った。
『ここは元々、私の祖母の家でした。
玄関前に看板が立ててあったと思うのですが、』
『あぁ、“悟りの館”……って書いてあったような…』
『はい。』
と司はニコリと笑うと、スッとその場に立って鮮やかにお辞儀をした。
『改めまして。
悟りの館二代目当主──神路司と申します。』
すると佐和は、その洗練された無駄のない動きを見て、「格好いい…」と呟いていた。
『痛み入ります。
では、悟りの館について簡単ですがご説明の方を。』
『は、はい。』
司は、一瞬だけ瞑目してから話し始めた。
『館はまぁ、一言で言うとすれば……“何でもお悩み相談所”みたいなところですかね。
金銭の類いは一切受け取らず、ボランティアでたくさんの方々の悩みを聞いて、それに対するアドバイスをしたり、問題が解決するよう微力ですがお手伝いをさせて頂いたり。
普段は、そんな感じでこの館を営んでおります。』
『そうなんですね。
ちなみに神路さんって、まだ高校生…でしたよね?』
『はい、高校一年生です。』
『学業との両立とか、大変ではないのですか?』
司はうーんと首を捻る。
『そうですね…。確かに、忙しい時期もあるにはあるのですが……
何故、ここの仕事は私にとって生き甲斐でもありますので。』
苦ではないです。そう言って微笑むと、佐和は静かに頷いた。
『ほんと、神路さんって大人ですよね…』
『そう……ですかね?』
とはいえ、よく周りからそういう風に言われるので、さすがの司とて自覚していないわけがない。
ただ、あまり積極的に否定や肯定はしないだけであって。
『こんなこと聞くのもあれですけど……神路さんって、子供の頃からそんなに落ち着かれてたんですか?』
さほど今と変わらない幼少期を思い出し、司は苦笑する。
『えぇ、まぁ、そう……ですね。
まだ私が航大君くらいの時、好きな男の子を取り合って喧嘩している女の子達を見て、「ハハハ、…」と乾いた笑みを浮かべるくらいには、幼い頃からませていたとは思います。』
『それもう、ませてるとかのレベルじゃないような…』
と言う佐和の後ろで、悪魔が遠い目をしたのは言うまでもない。
『実は私、一つ神路さんにお尋ねしたいことがあったんです。』
『…何でしょう?』
『どうして…って言われても難しいのかもしれませんが、神路さんはなぜ、過去を見透かしたり、千手先まで見通せたり出来るんでしょうか?』
この会話だけを聞いていると、まるで司が神か仏にでもなったかのようだ。
でも違う。司は、きちんと佐和の意図を分かった上で答えた。
『先程もお話しした通り、昔から精神年齢が老けていたというか、どこか世の中を達観した節があったというのもあります。
ですがやはり、この館で多くの方の人生に触れた…という経験が、一番大きいのではないでしょうか。』
たくさんの依頼主と接し、一つとして同じものはないその価値観に触れ続けたことで、司の視野は多様に広がったと言えよう。
『それに残念ながら、私は神の子でも新興宗教の教祖様でもないので、決して過去を見透かしたり、千手先を見通したりすることは出来ません。
さらに言うなれば、千手先を見通す…と言うのは、少しだけニュアンスが違います。』
『と、言いますと…』
すると司は、ニヤリと口の端を歪めた。
『私がやっているのは、千手先の未来を読むことではなく、一手先の未来を千通り…いや、それ以上想像することです。
例えるならば、数学の樹上図……みたいなことでしょうか。
私が起こした行動により起きる可能性を考える、そしてその可能性のそのまた先を考える。』
途方もない作業です、と苦笑する司に、佐和も蓮も何も言えなくなっていた。
『人は私を、“天才”というふうに呼ぶことがあります。
さっきの佐和さんのように、私が相手の過去を言い当ててみせたり、今起きている問題の解決策を提示してみせた時に。』
まるで探偵の如く、物事の真相を追求するのに長けている司だが、それはただの才能なんかではなかった。
『確かに私は、一度見た顔は忘れない…と言う変わった特技は持っています。
ですが、それ以外は全て、培った経験と想像力を基にした単なる憶測に過ぎません。
だから、私の言葉は絶対的な正解でも正義でもない。
未来を見通しているように見えて、実は何度も何度も考えて捻り出した最善策が、私の語る“悟り”です。
こうすればああなって、いやでもこうなるかもしれない、だったらこうした方がいいのではないか、いやでもそれは本当に依頼主のためになるのか……と、何度も何度も。』
『でもそれだと、神路さんの頭がパンクしてしまう……』
司を気遣って出た佐和の言葉に、彼女は気丈に微笑んでみせた。
『確かに、私の頭はいつもパンク寸前です。
でもそれでも、考えることだけは絶対にやめちゃいけない。』
誰も傷つかない世の中を作るなんて無理だ。全ての人を救いたいなんて傲慢だ。そんなの司にだって分かっていた。
でも例え、そんな考えは無謀だと分かっていても、少しでも多くの人が幸せになってくれたらいいな…という希望を、司はずっと捨てれずにいた。
『堂々巡りの、答えのない問いを考え続けるのは苦しいです。
だって、どれだけ考えてもゴールはないのですから。
だからつい、意識を手放したくなることもあります。
それに、最善策……と言っても、それは誰かにとっての最善策であってはいけません。
全ての人にとっての最善策でなきゃ意味がない。』
だから司は、常に冷静で客観的であることを心がける。
誰かの相談に乗るということは、その人の人生の一部に関わるということだ。
そして、その人の人生の一部に関わるということは、その人が関わってきた多くの人の人生にも影響を与えるかもしれないということだ。
『生半可な解決策は提示できません。
なぜなら、例えその解決方法で依頼主が救われたとしても、その依頼主の周りの人間が迷惑をしたら、私が悟りを解いた意味がないではありませんか。』
すると佐和は、もっともなことを聞いてきた。
『どうしてそこまでして、この館を営もうとするのですか。』
『そう…ですね、』司は、やっぱりどこか嘲るように笑う。
『誰かに、自分を必要としてもらいたいからかもしれません。
…単なる承認欲求ですよ、深い意味はありません。』
『そう……ですか。』
佐和は素直に納得したが、蓮はやはり合点がいかない。
でもそれを司に悟られまいと、蓮は無理やり納得した風を装った。
『さ、そろそろ本題に入りましょう。長話になってしまってすみません。』
そう言うと、司はポケットから二つ折りにしたメモ用紙を取り出した。
『これは…?』
『沢崎慎二のスマホの暗証番号です。』
どうやって…?という佐和の顔を見て、司は不気味に目を細める。
『非合法なやり方ではありませんが、非現実的な話なので聞かない方が宜しいかと。』
『は、はぁ……』
おかげで存分にこき使われた悪魔は、半分呆れた目で司を見る。
しかし司は、その視線に気づいてもなお口の端を不気味に持ち上げていた。恐ろしい人間である。
『まずそれを使って、ここ半年の沢崎の通話履歴及び通信履歴を確認してください。出来れば私のスマホに直接写メを送って下さると助かります。
そして次に、私は今から沢崎のスマホに偽インフォメールを送ります。
なので佐和さんは、そのメールに添付してあるURLを一度開いて下さるだけで結構です。そして必ず、そのメールは削除しておいてくださいね。』
『わ、分かりました。』
あまり機械に強くないのだろう。司の意図を微塵も分かった様子はなく、佐和はただ、言われた言葉をそのまま頭に叩き込んでいるようだった。
『後それと、沢崎の書斎にある本棚も、少し調べて欲しいことが。』
『本棚ですね。』
『はい。沢崎のデスクに一番近い本棚だけ、何故か同じ本が二冊ずつ入っていると思うんです。それを確認してください。』
『同じ本…ですか?』
『はい。そして多分、そのうちのどちらかがサイン本である本が、いくつかその本棚には紛れていると思います。』
『……それも、今回の件と何か関係が?』
『まだ断定できませんが、無関係ではないと考えていいはずです。
お願いします、探して頂けませんか。』
蓮は言った。
“ある一定の秩序通りに並べられた他の三つの本棚に比べ、その一つの本棚には何故か、全ての本が二冊ずつ用意されていた…”と。
そしてその本棚の中には、黒瀬 真幸の本もあった──らしい。




