<第二章>・不審な手紙
『で、今回の相談は何でしょう?』
そう切り出したのは、この館の主、神路 司だ。
『お、早速も仕事モードだね、司ちゃん』
心なしか、美羽の声は少し弾んでいるように思う。
『そうそう、それがね…』
と、言いかけたはいいものを、
『それよりさ、近況報告!』
と題し、美鈴は一枚の絵を取り出した。
『綺麗…』
四つ切りくらいの大きさのキャンバスに、その絵は壮大に描かれてあった。
宇宙のように壮大な星空と、その空を息を呑むように見つめる幼い兄妹──。
特に、今にも吸い込まれそうなほど澄みきったその空に、少し怖くなったのであろう妹の小さな背中を兄が優しく手を添えているところをみると、愛があり、幼いながらに頼もしさも感じる……
そんな、一言で言えば…とても温かみのある作品であった。
『上手くは言えないのですが…
美鈴さんの今までの作品で、一番好きかもしれません。』
今年、美鈴は二十一になるが、約四年前……
美鈴は、初めてこの館を訪れた。
昔の彼女は、今とは対照的でどこか影のある少女だったが──それにはある理由があった。
それは、‘’幼い頃から絵を描くことが好き‘’で、‘’将来を見据え美大に進みたい‘’と前々から思っていたのだが、いざそれを両親に告げると、難色を示されてしまったのだ。
それまでの美鈴はというと、普通科の高校を選び、ほぼ独学や趣味の範疇で絵を描いていたこともあって、両親はまさかまさかの娘の宣告に戸惑ってもいたらしい。
そして、彼女はここに助けを求めた。
そのとき既に司もこの館にいたのだが、まだ館の主は司の祖母清美であり、学生だった美鈴の話に熱心に耳を傾け、悟りを説いたのは、紛れもなく清美自身だった。
清美の言葉に背中を押された美鈴は、なんとか両親を説得して美大を受験し、見事現役合格を果たした。
そんな経緯もあり…司の代になってからも、暇があれば顔を出してくれるほど懇意にしてもらっている。
『ありがとう。
これはね、自分の昔の記憶を描いたものなの。』
しかし、その表情はどこか晴れない。
『ということは、深海さんにはお兄さんがいらっしゃるんですか?』
『そうそう。二つ上に一人いてね、別にブラコンって訳じゃないんだけど、今でもすっごく仲がいいの。
都内でカフェを経営してて、家も近いから、よく遊びにも行くのよね。』
『二十三でカフェを経営って…凄腕ですね』
美羽の言葉が、驚きから尊敬するような声色に変わる。
『そーかなぁ…
今のお店だって、‘’思い立ったが吉日!‘’みたいな感じで始めちゃったお店だから、赤字出さないのに必死みたいで…』
なんて言いつつ、自分の兄が褒められて嬉々としている姿は、誰から見ても一目瞭然だった。
──確か四年前、美鈴が美大に通うことを両親に説得する際、美鈴の兄も助け船を出してくれたとか何とかで……。
本当に、思いやりに溢れた素敵な兄妹である。
『それにしても、この空すごく綺麗で…
目を奪われるって、こういうことを言うんだなぁって』
美羽は、心からの感動を訴えた。
彼女も、司からすれば比較的素直な性格だと言えよう。
『いやぁ~
いつもコメントもらうの司ちゃんだけだから、そんなに褒められると調子狂うなぁ』
なんて言いつつ、内心まんざらでもない様子の美鈴。
そして、作品のお披露目会が終わると、
『早速本題なんだけど…』
と、美鈴はある手紙を司の前に差し出した。
『これは?』
『今朝、ウチのポストに入ってたの。』
『拝見しても?』
美鈴は、首を縦に振って承諾する。
見たこところ、なんの変哲もない普通の手紙のように思える。
ただ…
『宛名がないですね…
それに、切手も貼っていない』
『そうなの、それもすごく気にはなるんだけど…』
『…?』
『それより、中身の文章の方が……』
促されるまま、司は文面を声に出して読み始めた。
『えぇ…と。
《あなたの絵には才能がない。
特に、‘’星の子‘’は最低最悪な作品だ。》
…って、なんだこれ。
文面も、パソコンで打ち込まれているみたいだし…』
『ね、気味悪いでしょ?
SNSでの批判ならまだしも、わざわざ家に届けてくるって…』
『ほんとですね…。
ちなみに、‘’星の子‘’って…』
とは、美羽の談。
『さっき二人に見せた作品。
最初、私の絵を知ってる人のアンチか嫌がらせかな…って思ったんだけど、よくよく考えるとこの作品、つい三日前に出来たばっかりで、SNSにもあげてないし…』
『つまり、この絵を見せた人、この絵の存在を知ってる人の仕業なんじゃないか、と?』
美鈴の知り合いとなると、「犯人」という言葉を容易に口にすることは、もちろんのこと躊躇われた。
『そうなの。
でも、そんなこと言ってもごく限られた人にしか見せてないし…
ねぇ、司ちゃんどうしよう…』
美鈴は更に顔を曇らせながら俯いた。
すなわち、美鈴がこの作品を見せた人───
つまり、美鈴の知り合いなり、それなりに交友関係のある人物がこの手紙の送り主なのだ。
これでは、犯人を特定出来たところで、美鈴のためになるとは思えないが…
『とりあえず、この絵を見せた人、又は、この絵の存在を知ってそうな人を教えて下さい。』
すると、美鈴は指折り数えながら、一人ずつ名前を挙げていった。
『まず、よく同じ授業を受ける牧村と渡瀬さん。
後、最近始めたバイト先の先輩にも、写メだけなら見せたかな…』
『その、三人だけですか?』
『うん、多分…
でも、三人ともすっごくいい人なの、ほんとに。
だって、今回の作品は特に、今の司ちゃん達みたいに絶賛してくれてたし…』
美鈴の気持ちは、痛いほどよく分かる。
でも、司は質問を続けた。
『その中で、‘’星の子‘’っていう題名も知ってる人は?』
すると、美鈴から驚愕の答えが返ってきた。
『誰も…知らないわ。
だって、牧村と渡瀬さんに見せたのは、作品が出来上がった日の三日前、バイト先の先輩に見せたのはその次の日、
──でも、‘’星の子‘’っていう題名をつけたのは、つい昨日のことだもの。』
『えっ…
それじゃあ、誰もその手紙を書けないのでは…』
美羽は、驚きのあまり思わず声をあげる。
しかし、司は至って冷静に言葉を続けた。
『では、昨日会った方を思い出してください。』
『昨日は、大学の友達には会ったけど、題名どころか作品の話すらしてないし…
……あっ!』
すると、美鈴は思い出したかのように目を見開き、でも次の瞬間、あり得ないとばかりに首を横に振った。
『昨日、お兄ちゃんに少し相談したいことがあって……
確か、夜遅くまで一緒に飲んでたの。
その時、酔った勢いでしたかもしれない、作品も、題名の話も…』
でも、と美鈴は、事情を知らない美羽のために言葉をかいつまんで説明した。
『司ちゃんも知ってるように、両親が反対している中、美大に行くことを応援してくれたのは、唯一お兄ちゃんだけだったのよ』
美羽は、その言葉に賛同するように、後に続いてこう言った。
『それに、さっきの作品、幼い頃のお兄さん自身も描かれてましたしね…』
『そうよ、お兄ちゃんならきっと、私がこの作品に特別な思い入れがあることくらい、分かるはずよ。』
『……特別な思い、ですか』
淡々とした司のその反応に、美鈴は少しだけ表情を暗くした。
──すると。
『美鈴さんって 確か…お酒、あんまりお好きじゃなかったですよね?
以前、サークルでの飲み会の話をして頂いたときに、そう言ってらしたような…』
唐突も甚だしい──司の的はずれな質問に、美鈴は頭の中に疑問符を浮かべずにはいられなかった。
『…う、うん。あんまり好きではないけど…』
それとこれと、どういう関係があるんだと言いたそうな美鈴と美羽に、司は、ゆっくりと事の真相を話し始めた。
『先程、‘’酔った勢いで‘’と、言ってらっしゃいましたが、
──お酒の苦手な美鈴さんが、‘’酔わないと‘’話せなかったお兄さんへの相談事って、一体何だったんですか?
もしかして、‘’美鈴さんの将来のこと‘’、又は‘’自分は画家になるべきか否か‘’を話されていたのではないのですか?』
美鈴は、驚いたように司を見入る。
『…そうよ。まさに、司ちゃんが言った通り。』
『ちなみに、お兄さんにはどういう風にお話しされましたか?
もし…差し支えがなければ、教えて頂けると助かります』
美鈴は、一瞬何かをためらうような素振りを見せたが、司の真剣さを感じ、ゆっくりと口を開いた。
『いつか、司ちゃんにも聞いてもらおうと思ってたし…
あ、もちろん、司ちゃんのお友だちにも、良かったら聞いていて欲しいな。
少し、話は長くなっちゃうんだけど…』
その言葉に、司も美羽も同時に頷く。
─そして。
『私ね、ずっと‘’絵‘’に守ってきてもらってたの。』
ポツリ、ポツリと、美鈴の口から力ない言葉がこぼれた。
『…幼い頃からね、運動神経が悪くて、成績だって中の下で、容姿にだって自信がなくって…そんな自分が、あんまり好きじゃなかったの。
何をやっても中途半端で、人に誇れるものなんか一つも持ってなくて、地味で、大人しくて。
それでもね、そんな私がクラスで浮かずに済んだのは、絵が、描けたから。
もちろん、始めはただ‘’好き‘’ってだけでお世辞にも上手くはなかったんだけど、何度も描くうちにだんだんと上達していって、気付けばそれが、いつしか自分の特技になってた。
ほんと、特技って凄いもんだよ。
だって、絵が描けるってだけで、いろんなところで必要としてもらえるからね。』
自嘲気味に、美鈴の声は途切れる。
『それでさ、きっと天狗になってたんだと思う、私。
私には、絵がある。だから何も怖くない…って』
勘違いも甚だしいよ、と笑う美鈴の声は、心なしか、少し哀愁を帯びている気がした。
『…でも、美大に入って気づいたんだ。
ここでは、私の武器は全く通用しない。むしろ、人より劣って見える欠陥品だ、ってさ。
つまり、自分の存在価値を証明してくれていた、自分に居場所を与えてくれていた絵は、ここでは何の役にも立たない。
だって、‘’絵が描ける‘’ことは、あそこでは当たり前のことなんだから、って───。
……もちろん、分かってたよ。
自分で選んだ道なわけだし、ちゃんと覚悟もしてた。その、はずなんだけどさ……
なんか、自分のステータスが一気に0になったような、元の、何の取り柄もない不甲斐ない少女に戻っちゃったような、そんな気がして、正直…辛かった。
自分の特技が特技じゃなくなることの怖さを、そこで知った。
今までずっと絵に守ってきてもらってたんだっていう事実を、痛いほど実感した。
だから私は、逃げれなかったの。
今まで私を守ってきてくれていた絵を、今度は私が守りたいと思った。私の特技を、特技のままにしてやらなきゃ、そう思った。
変な話だよね、ほんと…。
…でも、私は、他の人なんかに負けないくらい、自分の絵を輝かせてやりたかった。
絵に勝ち負けなんかないけれど、いつか私の絵が、‘’誰かにとっての特別な一枚‘’になるよう、描き手である私が頑張ろう、そう誓わずには、いられなかった…』
あまり思い出したくない話のはずなのに…なぜなんだろう。
まるで、我が子を愛おしく見守るようなその優しさと強さが、美鈴全体から溢れ出しているように感じる。
──多分美鈴は、美大を選んだこと自体を後悔しているわけではない。
直感的ではあるが、司には、そう思えてならなかった。
『表現はあまり良くないのですが……‘’絵‘’を自分の身を守るための道具として利用するんじゃなくて、‘’絵と共に‘’強くなろう、成長しよう…──そう、心に決められたんですよね?』
司の言葉に、美鈴は力強く頷き返した。
『でもね…これからは、それでいいのか分からなくなった』
美鈴の突然の言葉に、美羽は首を傾ける。
『誰かに負けたくない、その思いで努力はしてきたけれど、そう思うばっかりに、‘’絵を描くことが楽しい‘’より、‘’完成した絵の評価‘’ばかりに気を取られるようになってた。
もう、本末転倒もいいところよね。
もちろん、描くこと自体が全く楽しくなくなったわけじゃない。
筆が進むときや、自分の想像が上手く表現出来た時は、すごく嬉しいし、この上なく幸せで…
絵を描き続けて良かったとすら思う。
でも、昔のように‘’無心になって描き続ける‘’ことは、今ではもう出来そうもない。
それはもちろん、体力の衰えもあってのことだとは思うけれど、そういうことじゃなくて、私が……
私自身が、絵を嫌いになってしまったことがあったから。
…だから、出来ない。
上手く描けないと不甲斐ない自分に腹が立って、描いてる絵ですら見たくなくなる。
周りは出来てるのに、って思って、心が急に締め付けられる。
自分が弱いあまりに、こんな思いをするくらいなら、いっそのこと──絵を描きたくない、そう思ってしまう自分がいる。
だから、こんな自分が、絵を生業にして生きていけるのかすごく不安になる。
だからといって、両親を自分で説得した以上は、のこのこと帰ることも出来ない。
……でも、ほんとに不安なんだ、これからも私、絵を好きでいられるのかな、ってね』
少しではあるが吐露できたことで、美鈴の表情はふっと軽くなった気がした。
『ごめんねー、重い話で。
絵を仕事にしたくても出来ない人もいるのに、贅沢な悩みだよね、ほんとに』
美鈴は、重い空気を和ますように笑って見せた。
その様子を見て、司よりも先に美羽が口を開く。
『なんか、すごく新鮮な気がしました、さっきのお話を聞いて。
…すごく偏見ではあるんですけど、そういった才能に恵まれた人達って──最初の話でもあったように、自分の武器に磨きをかけるというか、己のためにその能力を振りかざしてるって感じがしていたんですが、美鈴さんはなんだか…
絵を、我が子のように感じて接しているというか、決して‘’扱ってる‘’って感じがしなくて……
すみません、上手く言葉に出来なくて…』
その言葉に、司も首を縦に振る。
すると、美鈴は優しげに目を細めてこう言った。
『…ありがとう。
美羽ちゃん…だっけ、話を真剣に聞いてくれてただけでも嬉しいのに、そんなこと言ってくれて…励みになるよ』
美羽も、その言葉を嬉しそうに受け止めていた。
『……では、早速ですが』
司は、和やかになりつつあるこの空気を再び壊してしまうことに内心躊躇したが、それでも本題に戻ることにした。
『この手紙の送り主が、分かりました。』




