恭四郎と愛華
前の話で出した恭四郎と、愛華ちゃんの話を書いてみました。お互いに初めての友達ができる話。
『頼めるか?』
蓮次から恭四郎に電話がかかってきたのは、昨日の夜のことだった。
「別にいいすよー」
蓮次の〝頼み〟は、一日だけ恭四郎の家で愛華を預かってくれないか、ということだった。どうやらその日は、蓮次はもちろん秀二も雅人も組を空けるらしい。
恭四郎は、霧原組の組員に預けたらいいんじゃないんすか、と聞いたが、セキュリティ的に考えると、恭四郎の家が一番安全らしい。恭四郎は苦笑する。過保護なこった。
別に恭四郎も不都合は無かったので、承諾した。朝愛華を連れて来て、夜迎えに来るらしい。
子どもが好きそうなもんはあったっけか、と、恭四郎は家を漁ったが、広すぎて嫌になって、やめた。
***
翌日の朝、恭四郎の家のインターフォンが軽快な音を立てた。カメラを覗くと、前回海に来た顔ぶれが映っている。玄関に向かい、ドアを開けた。
「はざまーっす、組長」
「おう、夜迎えに来るからな」
「うぃっす」
恭四郎が愛華に目を向けると、愛華はぺこりと頭を下げて玄関に入ってきた。入ると、蓮次たちに向かい合う形で立つ。
「で、組長」
恭四郎は、昨日電話で聞きそびれたことを聞いた。
「組の幹部が出払うって、何があったんすか」
霧原組は周囲に恐れられてはいるが、規模自体は小さく、幹部と呼べる者は蓮次と秀二と雅人しかいないのだ。
「あぁ、ちょっとした〝後始末〟のご依頼だ」
「大勢いるんすか」
「まあな」
恭四郎は、少し真面目な顔になり、ふうん、と言った。愛華は首を傾げている。
蓮次の言った〝後始末〟とは、堅気に手を出した下っ端の連中の一掃のことだ。そして〝依頼〟とは、基本的にその下っ端の組の幹部から来る。要するに、馬鹿やらかした下っ端を探すのは面倒だが何もしないわけにもいかないから、捕まえて来てくれ、ということだ。もちろん下っ端と言えどやくざなのだから、危険であることに変わりはない。
「…まぁ、せいぜい気ぃ付けてくださいよ」
「何だお前、俺らの心配か?」
蓮次の後ろから雅人が茶化すように言った。かちんときた恭四郎は、雅人を睨みつけて言い返す。
「あーぁ心配してんだよ組長と秀二をな!」
何だとこの野郎、とまたいつもの取っ組み合いが始まる。そこらへんにしろよ、と秀二が間に入って、何とか収まった。
「じゃあ行ってくるからな。あ、晩飯は食わせといてくれ」
蓮次はそう言うと、二人を連れて恭四郎の家を離れた。三人の背中を見送ると、恭四郎はドアを閉める。
「適当にくつろいでいいぜー何たって俺の家広いから」
「ほんとに、広い」
愛華は本当に感動していた。この間海に行った時にちらりと見た家よりも大きい。あれが別荘と言うのもうなずける。こんな広い家に恭四郎しか住んでいないのだから寂しいのではないか、と心配になる。
いつまでも玄関で呆けている愛華に痺れを切らして、恭四郎は愛華の脇の下に手を入れて持ち上げた。かるっ、と思わず声を出す。愛華は慌てて靴を脱いで、下ろしてもらった。恭四郎が歩き始めると、愛華もそれに着いて行く。
リビング、と思われるだだっ広い部屋にたどり着き、愛華は目を瞠った。机やソファなどの家具家電の他に、大量のパソコンの画面のようなものがあったのだ。思わず、わ、と声をあげる。
「あ、あれ、」
「ん?あぁ、あれか」
恭四郎もパソコンに目を向ける。基本的に人を招いたことがないから特に気にしていなかったが、このパソコンの量は確かに一般家庭にはまず無い量だろう。
「株だよ、株。あれで金稼いでんの」
かなり大雑把な説明になってしまったが、まぁ間違いではない、と恭四郎は勝手に納得する。愛華は株というものが何かは分からなかったが、何だかお金を稼ぐものなのだ、と理解すると、一つ疑問に思った。
「しゅーじが、きょーしろうはお金持ちだって、言ってた」
「そうだなー」
「なのにかぶ、やるの?」
愛華の質問に、恭四郎はふとどこか遠くを見つめるような目をして呟くように言った。
「別に親父の遺産だけでも生活には困らねえけど、それなら親父に頼り切りみたいで嫌だし」
その時の恭四郎は、心底苦いものを食べたかのような顔をしていた。何故そんな顔をするのか、愛華には分からない。だがその表情をしたのも一瞬で、見慣れたへらへらとした表情に戻る。
「あ、そうだ、がきんちょ。何かジュース飲むか?何でもあるぜ」
何でもある、という言葉に、愛華は目を輝かせる。急に、喉が渇いた気がした。
「あのね、オレンジジュース」
「おいおいオレンジジュースっつっても色んな種類あるんだぜ?冷蔵庫見るか?」
「見る!」
恭四郎がキッチンに向かって歩き出すと、愛華もとてとてと後ろを着いていく。キッチンに着くとまず冷蔵庫の大きさにびっくりして、恭四郎に抱き上げてもらって中を覗いた。本当に、たくさんの種類があった。
「オレンジジュース、どれ?」
「見りゃ分かんだろ?」
「わ、わかんない」
愛華が少ししゅんとすると、恭四郎はオレンジジュースに含まれるものを指差しで説明してくれた。愛華には名前も聞いたことがないジュースもあり、結局、一番普通に見えるオレンジジュースにした。実を言うとそれも、〝普通の〟ではないのだが。
キッチンから、恭四郎がジュースをおぼんに乗せてリビングに向かう。机に置いて愛華に渡した。愛華は一口飲むと、おいしい!と声を上げた。
「だろぉ?美味いって言われてるみかんから作らせたの取り寄せたんだぜ」
「すごい」
それからも珍しいお菓子などを食べながら喋ったりして、ふと会話が途切れた時に、恭四郎が言った。
「組長たちは大丈夫かねぇ」
「…あぶないの?お仕事」
愛華が心配そうに眉を下げる。恭四郎は少し迷ったが、愛華も霧原組にいるのなら少しは知っておいた方がいいのだろうと、続ける。
「ま、危なくないって言ったら嘘になるな。霧原組は平和な方だけど、それでもまぁ、やくざだからな」
「きょーしろうは、れんじたちのお仕事は手伝わないの?」
愛華が何の気なくそう聞いた時、恭四郎は少し顔を歪めた。痛いとこ突かれたなぁ、とおどけてみせる。
「実は俺、喧嘩とか超弱ぇんだよな」
愛華は驚いて、そうなの、と声を上げる。愛華も何となく、蓮次たちが強いのは知っていた。そして恭四郎は蓮次たちと対等に話していたから、同じくらい強いのだと思い込んでいたのだ。
「俺が霧原組にいられるのは、金があるからだよ」
恭四郎が少し寂しそうな顔をした。ちがう、と愛華は思う。でも、どう違うのかは、漠然としか分からなかった。そこで、ぴんと閃く。
「こ、これ!」
「んあ?」
恭四郎はもう元の表情に戻って、愛華が差し出したものを見た。黄色と白の紐のようなそれを見て、目を丸める。
「あれ、それお前らがおそろで付けてるミサンガじゃん」
恭四郎はそう言い、少し遅れてからはっと気付く。
「あぁ、それ、俺用?」
愛華はこくりと頷く。そして立ち上がると、恭四郎の隣まで行って半ば強引に足首にミサンガを巻くと、言った。
「このミサンガ、まさとが、言った」
「ん?雅人が何だって?」
「まさとが、きょーしろうの分もつくってやれって、言った」
恭四郎はまた、目を丸くする。言葉を発せないでいると、愛華は尚も続けた。
「だからきょーしろう、お金だから、いるんじゃない」
恭四郎は愛華のたどたどしい言葉が言わんとしていることを察すると、いつものような表情ではなく純粋に、笑った。
「…ふーん、そっか。雅人がなぁ」
ぐしゃっ、と勢いよく、愛華の頭を撫でる。愛華は驚いて少し肩を揺らしたが、恭四郎が笑っているのを見て嬉しくなる。
「がきんちょに慰められる俺!」
「?」
何が面白いのか恭四郎はひとしきり笑うと、愛華を撫でるのをやめて、言った。
「お、もうこんな時間か。がきんちょ、何食う?俺洋食しか作れねえけど」
「…たまご」
「は?卵?」
「たまご、使ったやつ」
「あー、そういう意味か。作ってくるわ。ちょっと待ってな」
***
「うっし」
袖を捲って、キッチンに立って、腰にエプロンを巻く。二人分作るなんて久しぶりすぎ、と、自然と顔がにやついてしまう。鼻歌混じりに食材を揃えて、作り始めた。
「がきんちょは薄味のがいいのか、やっぱ。まぁいつも秀二が作ってんなら薄味だよなぁ」
独り言を呟きながら、いつも自分が作るものよりは香辛料を抑える。甘い方がいいかな、と調味料を変える。最終的には少しの変化だろうが、どうせなら、といろいろ手を加えた。
完成すると、皿に盛る。今更、量ってこんなもんでいいのか?と思うが、愛華が食べきれなかったら自分が食べたらいい話、とあっさり解決する。皿を二つ、手に持った。
「おーいがきんちょ、できたぜー」
柔らかいソファで体を揺すっていた愛華は、恭四郎の声に顔を上げた。恭四郎が皿を二つ机に並べると、愛華は顔を輝かせた。
「たまご、乗ってる!」
「何だよただのオムライスだろー?」
愛華はぶんぶんと首を振った。
「いつものオムライス、もっと、ぺちゃって、」
愛華が言っているのは、普通の一般的なオムライスだ。対して恭四郎が作ったのは、米の上にオムレツのような形の卵が乗っていて、後から卵を割りさいて食べる形のものだった。
「上の卵開けて食うんだよ、こうやって…」
恭四郎は持ってきていたスプーンで、愛華のオムライスの上に乗っている卵に切れ目を入れ、米に被せるように開いた。それをじっと見ていた愛華は、すごい、と声を上げる。
「んじゃいただきまーす」
「いただきます!」
二人で同時に食べ始める。一口含んで、愛華は幸せそうな顔をした。ご満悦だ。
「旨いか?」
「おいしい」
そうい言われ、だろ?と恭四郎は笑う。誰かに食べてもらうのは新鮮だな、と思った。
愛華は、いつも秀二が作ってくれる和食中心のものも美味しいが、恭四郎が作るものも負けず劣らず美味しい、と素直に思った。正直、恭四郎はそういう細かいことができるタイプには見えていなかったので、良い意味で裏切られた。
愛華がもくもくと食べていると、ふと恭四郎が聞いた。
「なぁがきんちょ、お前からしてさ、組長たちってどういう立ち位置なわけ?」
「…?」
何を聞かれているのかいまいち理解できなかった愛華は、首を傾げる。あー、と、恭四郎は分かりやすい言葉を探した。
「つまり、お前は組長たちのこと何だと思ってんの?」
「…れんじ…お父さん?」
「ぶふっ、お父さん⁉」
あの組長がなぁ、と恭四郎は笑う。ダメ亭主だな、と心の中で格付けした。
「秀二は?」
「お母さんみたい」
「即答かよ!」
これは秀二に入ったら面白いネタになるな、殴られるけど、と思う。確かに秀二が鼻緒やくさいというのは、恭四郎も何となく分かる。
「雅人は?」
「…お兄ちゃん?」
「うわ、喜びそー」
愛華にお兄ちゃんなんて呼ばれたら、雅人は喜びすぎて何も言えなくなるのではないか。容易に想像できて面白かった。
俺にとっては、と想像する。恭四郎にとってあの三人は、みんな兄のように思える。若干一名腹の立つのもいるが、全員兄貴だな、と。
「がきんちょ、俺は?」
「ともだち!」
愛華が勢いよく言い切るので、恭四郎は少し驚いた。初めて言われたな、とふと思った。そう言えば友達とか、いなかったな。
「じゃーお前は俺の友達一号だなぁ」
「?」
わしわしと頭を撫でる。愛華はくすぐったそうに喜んだ。随分と小さい友達が一号になったもんだ、と自分でも可笑しかった。
「あ、そだ、ちょっと出かけてもいいか?」
「? どこ?」
「新作のゲームが出てんだよなぁー。一緒に来るか?」
「うん」
恭四郎はそう言うと、財布だけという軽装で愛華と一緒に外へ出た。少し歩くが、比較的に近くにゲームショップがあるのだ。まぁ、近くにあるからここに別荘を建てたのだが。愛華はこの家が恭四郎の本宅だと思っているが、実を言うとこれも別荘である。
少し歩くと、ひっそりとしたゲームショップが見えてきた。下手したら、閉店しているかのように見える店だ。少し大通りからは外れるところにあるからだろう、人の気配も少ない。愛華は少し不思議に思った。
「ここ、ほんとにお店?」
「あーやっぱ店に見えねえよなぁ。めっちゃ古い店だけど、新作は発売日に入荷してくれるし並ぶほど有名な店じゃねーから、楽に新作が買えるわけ」
愛華は、へぇ、と感心した。もはや、恭四郎は何でも知っているのではないか思えてきたほどだ。
恭四郎と一緒にその店に入ると、ずらりと並んでいるゲームソフトと、眼鏡をかけた老人、おそらく店主が見えた。
「おっさーん、新作入ってる?」
「おぉ、相楽んとこの」
相楽とは、恭四郎の名字だ。ここの店主は、恭四郎が小さい頃から知っているのだ。
「新作ってのはこれだろ?」
店主はそう言うと、古びた店に似合わないくらいに小奇麗なゲームソフトを恭四郎に渡した。
「いくらだっけ?」
「あー十万くらいだな」
「嘘つけ狸親父」
恭四郎が実際の値段を聞いて払うと、店主が愛華に目を向けた。
「で、そのガキはどうしたんだ。お前女なんかおないだろ」
「うるせーな。組長の拾い子を預かってんだっつーの」
「あぁ、霧原んとこの坊主か」
愛華は黙って二人のやり取りを見ていたが、店主が蓮次のことを坊主と言ったのが面白くて、笑った。なかなかべっぴんさんじゃねえか、と店主に頭を撫でられ、嬉しくなる。
恭四郎はゲームソフトを袋に入れてもらうと、じゃあ、と言って店を後にした。愛華もぺこりとお辞儀をして店を出る。
「何のゲーム?」
「一狩り行こうぜー」
何のことかは分からなかったが、恭四郎が楽しそうだったので愛華も笑う。
恭四郎の、『いかにこのゲームが面白いか』という話を聞きながら帰路についていると、ふと目の前に影が落ちた。二人が顔を上げると、体格のいい男が三人、前に立ちふさがっていた。恭四郎は、反射的に愛華を自分の後ろに隠す。
「…ちょっと、何すかおっさんら」
「霧原組の奴だな?」
真ん中に立っている男が、太い声で言った。恭四郎はそれには答えず、男を睨み返す。
「後ろのガキは、最近霧原組に拾われたガキだな?」
恭四郎の後ろで、愛華がびくっとした。恭四郎は舌打ちする。愛華の存在がバレているなら、他の組に愛華が狙われるのも頷ける。やくざの中で警察のような存在である霧原組はもちろん、うとまれているのだから。
「…やー、人違いじゃないっすかねぇ。きりはらぐみ?知らねえな~」
「とぼけるな相楽恭四郎」
恭四郎はもう一度、舌打ちをした。自分のことも知られているのか、と。後ろにいる愛華の手を握る。震えていた。
「…で、俺が霧原組関係者だから何?金?」
「そっちのガキ、渡してもらおうか」
「やーだね」
恭四郎が言い返すと、目の前の男がため息を吐いた。憐れむようなため息だった。どうにか逃げられないか、と後ろに身を退くが、退いた分、詰められる。少し下がると、愛華の背中が壁に当たった。冷や汗が恭四郎の背中を伝う。
「そのガキを渡せば、お前は逃がしてやるが」
「いやいやいや」
恭四郎は愛華を指差して、言った。
「こいつ俺の友達なんで」
そう言った瞬間、恭四郎の腹に鈍痛が走った。どん、という鈍い音が後から聞こえる。
「…っふ、い、きなり殴ってくるとか、無いわぁ」
ひ、と愛華が短い声を上げた。すると、右側にいた男が愛華に手を伸ばした。その手を、恭四郎が蹴る。
「はぁ…もう勘弁してくれよ、俺弱いんだって」
次に顔を殴られる。男たちの顔は、弱い者を甚振るときの愉快さに満ちていた。べっ、と口の中に込み上げてきた血を吐き出す。
「きょ、きょうしろ、」
愛華はたまらなくなって、声をかけた。恭四郎が自分のことを弱いと言っていたのを思い出したのだ。恭四郎は血のついていない方の手で愛華の頭を撫でた。
それから恭四郎はゆっくりとポケットに手を伸ばし、男たちに見えない位置で、電話の着信履歴を開く。画面を見ずに操作をしているから誰にかかるかは分からない。が、元から恭四郎の電話帳に入っているのはあの三人だけだ。誰か、誰か。
スマホを素早く耳に当てる。男たちの手を何とか避けて、今恭四郎たちがいる場所を早口で言った。
「早く来い!俺じゃ五分ももたねーからな!」
スマホを弾き飛ばされる。がしゃっという嫌な音がして、スマホが地面に叩きつけられた。
「あーぁ…高かったのになぁ」
「誰に電話しやがった」
「さぁ、俺もわっかんね」
実際、分からなかった。先程とは違って余裕がなくなった男が、力任せに恭四郎を殴る。どん、と後ろの壁に背中が激突した。また愛華に伸ばされた手を、愛華を引っ張って避ける。
「っは、やっぱ五分も無理だわ」
男に前髪を引っ張り上げられ、立たされる。男が言った。
「…弱すぎるな。所詮、金だけか」
「………うるっせぇ、な!」
後ろの壁に手をついて、男の腹を蹴る。いや、蹴ろうとしたが、片手で止められてしまった。くそ、と心の中で叫ぶ。足が離されると、男が拳を恭四郎の顔面に叩きつけようとしているところだった。反射的に、目を閉じる。
「はぁいそこまで」
恭四郎が覚悟していた痛みは来ず、代わりに聞き慣れた声が聞こえた。愛華が、まさと、と声を上げる。恭四郎が目を開けると、恭四郎の目の前で男の拳が止まっており、その腕は雅人の手にぎりぎりと握られてた。
雅人は、愛華と恭四郎に目を向けた。そして、男たちに目を向ける。
「たった三人かよ。それで霧原組に手ぇ出すとか頭悪っ」
雅人はそう言うと、掴んでいる男の腕を離した。男たちを無視して、愛華たちに向き直る。
「恭四郎お前なぁ。易々とこんな人気の無いとこ来てんじゃねえよ。俺が近くにいなかったらどうするつもりだったんだ」
「…………ごめん」
「ま、それはさておき」
雅人は、雅人の背後から殴りかかってきた男の顔面に、恭四郎たちの方を向いたまま拳を叩き込む。男は一発で倒れた。
「あららぁ手が滑った」
雅人がわざとらしく手を振ると、残り二人の男は青筋を浮かべ、同時に雅人に殴りかかってきた。だが、雅人は二人の拳を片手で一つずつ受け止める。
「はぁ…お前ら、どこの組?体格良いくせに殴り方が成ってねえな。いいか、殴るってのは、」
雅人は二人の手を離すと、足を踏ん張り、片方の男の腹に拳を叩き込んだ。
「こうやるんだよ」
倒れた男を見下ろし、言う。残った男は情けない声を上げると、雅人に背を向けて走り出した。正確には、走り出そうとして、首根っこを雅人に掴まれ、そのまま雅人に引っ張られて壁に叩きつけられる。
すると雅人は、男たちの体を調べ始めた。
「…何やってんだ?」
恭四郎が座り込んだまま、聞く。少しすると、雅人が、うわ、と声を出した。
「こいつら発信機つけてやがる。三人だけとかおかしいと思ったんだよなぁ。面倒くせえから逃げるぜ恭四郎。愛華ちゃん、おぶってやるからこっち来なー」
そう言われた愛華は雅人のところに行こうとして、気付く。立てない。どこも怪我はしてないから、腰が抜けたのだろう。それに気付いた雅人が、愛華を抱き上げた。
「そっかそっか怖かったよなー。恭四郎より俺の方が頼りになるよなー」
「…うるせーな悪かったっつってんだろ!」
「さっきの素直な謝罪はどこ行った」
「黙れハゲ!」
「ハゲてねーし!」
言い争いながら、二人は走り始める。とりあえず、恭四郎の家に向かうことにした。走りながら恭四郎は、吐き気を堪える。腹を一発殴られたのが効いたのだ。
くそ、ほんと、弱すぎてムカつく。
***
恭四郎の家に着くと、雅人は愛華をソファに座らせ、恭四郎にも座っとけと伝える。
「どこだ?」
「は?何が」
「包帯」
「……あっちの棚の一番上」
恭四郎がそう言って指差すと、雅人は少し離れたところにある棚に向かった。兄貴面すんな、と恭四郎は小声で言うと、ソファに身を預けた。
「…なー、がきんちょ」
愛華が恭四郎の顔を見た。愛華の顔は見ずに、恭四郎が言う。
「…ごめんなぁ」
愛華は首を傾げた。そして、言った。
「きょーしろう、悪いことしてない」
「いやだってお前、怖かったろ?」
「きょーしろう、いたから」
怖くなかったと言えば嘘になるが、実際、恭四郎が愛華を守ったのは事実だ。
「まぁ恭四郎にしちゃあ、上出来だろ」
戻ってきた雅人が、恭四郎に薬を投げながら言う。塗れ、ということだろう。
「この薬痛いんだよな」
「ガキか」
結局塗って、包帯も巻いてもらった。自分もよく怪我をするからか、雅人の手付きは慣れたものだった。時計を見ると、もう五時を過ぎている。ぐぅ、と音が聞こえて何の音がと思うと、雅人の腹の音だった。
「腹減った。恭四郎何か作れよ三人分」
「…お前仕事は?」
「蓮次と秀二だけで十分だよ」
「…怒られても知らねえぞ」
恭四郎はため息を吐いた。いいから作って、と雅人が急かす。
「あー作ってやるよ二人分」
「俺と愛華ちゃんのか。ダイエットか?」
「俺とがきんちょのだよ馬鹿」
「死ね」
「お前が死ね」
愛華がくすくすと笑う。二人が、特に雅人がいつも通りなので、先程までくすぶっていた恐怖がだいぶ薄れていた。頭の中で、お兄ちゃんと友達の喧嘩、と思えるぐらいには。
恭四郎はキッチンへ向かう。ふんふんと鼻歌を歌いながら。
三人分なんて、久しぶりすぎ。
END