母と娘
今まで書いてなかった、愛華ちゃんと、愛華ちゃんのお母さんの話です。蓮次が子育てについて考えたり、愛華ちゃんとすれ違ったりします。
「人使い荒いよなあ、秀二も」
蓮次はそう愚痴をもらしながら、愛華の手を引いて組を出た。つい先程、たまには組長も買い物行ってください!と秀二に言われ、拗ねながらも愛華を連れて買い物に行くところだ。
「なに、かうの?」
「えっと、醤油と、芋と、玉ねぎと、煙草…ってあの野郎煙草くらい自分で買いにいけっつーの」
蓮次が秀二に渡された紙に向かってつっこむと、愛華がくすくすと笑った。俺の扱いひどいよな、俺組長だよな、と言いながらスーパーに歩を進める蓮次は、それには気付いていない。
スーパーに着くと、入り口に置いてあるかごを、愛華と手を繋いでいない方の手で持ち、中に入る。
「野菜ってどこにあんだよ」
「あっち」
スーパーに入ってからは逆に愛華が蓮次の手を引きながら、二人で歩き回る。恥ずかしながら蓮次はこのスーパーに入ったことがなかった。近くに来ることはあっても、中に用はないので、だいたいが外の自販機で煙草を買って帰るだけなのだ。
愛華の手引きにより無事に全てを買い終わって、最後に外で煙草を買って組に帰ろうと足を進める。
「愛華がいなかったらスーパーん中で迷子になるとこだったな」
「れんじ、迷子」
愛華が笑うと、秀二には言うなよ、と軽く小突く。そんなことがバレたら秀二には呆れられるし雅人には笑われるに決まっている。雅人に笑われたら恭四郎にも伝わる気がする。あそこの拡散力はえぐい。
そこで、何か音が聞こえた気がした。小さな音、というよりは、音が消える音、とでもいえるものが聞こえたような。そしてその音とともに、蓮次の手が引かれる。正確には、愛華が立ち止まって、連動して手が引かれたのだ。
「…どうした?」
愛華が、前を見据えて目を見開いている。さっきの音は、愛華が息を飲んだ音だったらしい。息をしていないような顔をしている愛華を見て、蓮次は愛華の視線の先にあるものを見た。が、人の波以外、特に見えるものはない。
もう一度愛華を見て、どうした、と聞く。蓮次の声に応えて、というよりは、口からついて出たような小さな声で、愛華は言った。
「おかあさん」
蓮次の眉がぴくりと反応する。もう一度愛華の視線の先を見やると、愛華に似ていると言えなくもない顔立ちの、ショートカットの女が見えた。あいつか、と蓮次が指を差すと、愛華は俯くように頷いた。
蓮次は少し逡巡した。会わせた方がいいのだろうか。愛華が言うのだから間違いない、あいつが本当の母親なのだろう。愛華を捨てた、母親。
だが、と蓮次は目を細める。その女の隣に、どう見てもその女より年下の、十代後半から二十代前半くらいの男がいた。愛華の父親には到底見えない。愛華も、お父さんとは口に出していない。
「どうする、愛華」
蓮次が前を見据えたまま話し掛けると、少し遅れて愛華は蓮次を見た。何を、と言いたいのだろう。
「話すか?」
蓮次は短くそう聞いた。愛華は少し目を見開いた後、さっきよりも小さな声で、こわい、と言った。
「俺も、近くで見ててやるから」
蓮次にそう言われると、少し迷った後、愛華は蓮次の手を離して前に駆け出した。蓮次も、少し後ろを着いて行く。愛華の声が聞こえる範囲に、他人として、着いて行く。
「おかあさん!」
愛華が声を上げた。一度目、女は振り向かなかった。二度目、愛華がおかあさん、と呼びながら女の服の裾を引くと、やっと振り返った。隣の若い男も振り返る。女は愛華を見ると、言った。
「あら、愛華」
蓮次が見る限り、女の表情に動揺は感じられなかった。動揺も罪悪感も何も、愛情どころか愛着すらも感じられない声だった。愛華はまだ、それには気付いてはいないのだろうが。
女は愛華に笑いかけた。愛華はそれを見て、少し安心した。やっぱりお母さんが自分を捨てたのは、何かすごく大変な理由があったのではないかと、有り得ないことを考えて。
「おかあさ―――」
「生きてたのねぇ」
愛華は言葉を発しようとした口の形のまま、固まった。え、と呟く。見ていた蓮次は眉根を寄せた。
女の隣にいた若い男が、女に話し掛けた。
「おい、真奈美、誰だよこのガキ」
「私の子ども…みたいな?」
しばらく愛華には、母が何を言っているのか飲み込めなかった。まるで子どもであるかすらどうでもいいというような、明らかに我が子に向かって放たれるべきではない言葉。
「あ、そうそう、紹介するわ、愛華。この男の人はね、とても親切でお金持ちなの。今はあそこのマンションに住んでるんだけど」
そう言って女は―――真奈美は、遠くからでも見える大きさの高層マンションを指差す。愛華は力なくそちらを見た。女は尚、笑顔で続ける。
「今なら別に、戻ってきてもいいわよ」
あぁ、と愛華は、小さな頭で誘った。あぁ、この人のにとって自分は。
そこで、真奈美が悲鳴を上げた。驚いて見上げると、真奈美の目前、鼻先に触れそうなところに、拳があった。
「…愛華の親でさえなけりゃあ、殴ってるぞ」
蓮次だった。聞いていられなかった蓮次が、真奈美に寸止めで殴りかかったのだ。遅れて、隣にいた男が蓮次の腕を掴む。
「おい!てめえ何のつもりだ、急に―――」
「何のつもりだ、だぁ?」
言いながら蓮次は、男の手を逆に捻り上げて背中側に回す。ついでに、というように野次馬に睨みを利かせ、その場にいるのは蓮次たちと、遠巻きに眺める人間だけになった。
「お前は愛華の親じゃねえよな。なら別に、手加減しなくてもいいな」
ぎりぎりと、腕に力を込める。男が声にならない声を上げ、真奈美は口に手を当てて呆然としている。愛華は、焦点の合っていない目で地面を見つめていた。
「はっ…離せ、このっ、俺が誰だか分かってんのか!」
「ほー、そんなに偉い人間なのか?言ってみろよ」
「俺は、本条組の…」
そこで、蓮次は手を離した。蓮次がびびったものと思った男は蓮次に向き直る。
「そうそう、俺に手ぇ出したら―――」
男の言葉はそこで途切れた。顔面に蓮次の拳が叩き込まれ、軽く飛んだのだ。蓮次が手加減をしていたのでそんなには飛ばなかったが、男に恐怖を与えるには十分だった。
「おいおい今じゃ自分がやくざだって名乗るだけで警察沙汰だぜ?あとな、」
尻餅をついている男に歩み寄り、胸倉を掴むと、続けた。
「わざわざ名乗ってくれたお前に俺の名前教えといてやるよ。霧原蓮次ってんだ。よろしくな」
「霧原…!?」
蓮次が手を離すと、男は情けなほど呆気なく地面に背中を打ち付けた。蓮次は目を逸らすと、今度は真奈美に目を向けた。
「あんた、本当に愛華の母親なのかよ」
真奈美は未だ呆けていて、何も言わない。蓮次は真奈美の方に歩を進め、胸倉を掴んで引き寄せる。
「答えろ」
そこで、愛華が、くいくいと蓮次のスーツの裾を引っ張った。蓮次が愛華の方を見る。愛華は、いい、と言って、弱々しく首を振った。蓮次はゆっくりと胸倉を掴んでいた手を離した。
組の方に向かって歩く愛華に、蓮次も続く。
真奈美は、何も言わなかった。
***
「組長、遅いです…って、どうしたんです」
どう見てもいつもと様子が違う愛華を見た秀二は、蓮次に聞いた。蓮次は言うべきか言わぬべきか、愛華を見る。蓮次が何も言わないので、秀二は愛華に話し掛けた。
「愛華、どうし―――」
秀二の言葉を聞かずに、愛華は駆け出して自分の部屋に行き、扉を閉めた。訳が分からず、秀二と一部始終を見ていた雅人は呆然とした。
「…母親に会った」
蓮次がそう言うと、二人は驚いて蓮次の方を見た。そして雅人が、眉を寄せながら聞いた。
「…話したんスか」
「……あぁ」
しばらく三人の間に沈黙が落ちた。最初に沈黙を破ったのは、秀二だった。
「その母親は何て言ってたんですか」
「“別に戻ってきてもいい”…だそうだ」
雅人が、はぁ?と声を荒らげた。
「別にって、それより前に…!」
「声でけえよ、馬鹿」
雅人が口を噤む。少し迷った後、蓮次は先程あったことを二人に話し始めた。
***
「愛華」
秀二と雅人に今日のことを話し終わって、蓮次は愛華が飛び込んだ部屋の扉をそっと開けた。一瞬愛華がどこにいるのか分からず焦ったが、部屋の端に丸まっている布団を見つけ、そこに足を進める。丸くなった布団は、小刻みに震えていた。
「愛華」
もう一度呼び掛け、布団をめくった。束の間、蓮次は動揺した。泣いているだろうとは思っていたが、実際に泣いているのを見ると、それを目の前にすると、どうしていいか分からなかった。考えていた言葉も全て頭から飛び、とりあえず愛華の頭を撫でようと手を伸ばす。
すると、愛華の方から蓮次の胸に飛び込んできた。途端に、声を上げて泣き始める。宙を彷徨っていた手は、愛華の後頭部を包むようにぎこちなく撫で始めた。
しばらく言葉になっていない声を上げて泣いていた愛華は疲れたのか、蓮次の手に安心したのか、眠り始めた。寝たのか、と聞く。返事は無い。ぽんぽんと愛華の背を軽く叩き始めた。
「愛―――」
「おか、さん」
少し間を開けて、蓮次はふっと笑った。
「…俺は違うぞ、愛華」
でも、まぁ、と蓮次は思う。
いくらでも甘えればいい、と。
(お前がここにいるなら、俺はいくらでもお前を甘やかしてやるから……でも、お前がもし決断をして、ここからいなくなるなら、俺は)
「…そうなってほしくねえもんだな」
らしくねえな、と思いながら、蓮次は目を閉じた。
***
目を覚ました愛華は、一瞬自分がどこで寝ているのか分からなかった。顔を上げて、蓮次にもたれかかったまま寝ていたことに気付く。泣きながら寝ていたのか、愛華がもたれかかっていた蓮次のシャツには濡れた跡があった。ごしごしとこすってみるが、取れない。
れんじ、と呼ぼうとして、やめる。蓮次も眠っていたのだ。力の抜けた手は自分の背中に置かれている。
かつて母は、こんなことをしてくれただろうか。
ふと、蓮次の手のぬくもりを感じながら思った。
確か母も、してくれた。してくれたことも、あった。
真奈美は早くに離婚してから、何度も何度も新しい男を作っていた。連れ子を連れてくることもあった。愛華はほとんど構ってもらえず、いつも幼稚園から一人で帰っていたし、基本的に一人で寝ていた。
真奈美が愛華と一緒に寝てくれた時は、真奈美の機嫌が良く、尚且つ家に男を連れ込んでいない時だった。そんな時には基本的に愛華の知らない男の話を聞かされるのだが、それでも愛華は嬉しかった。一緒に寝る人がいることが、嬉しかったのだ。
もう一度、蓮次を見る。
愛華は、蓮次が大好きだった。
世話を焼いてくれる秀二や、優しい雅人や、一緒にいて楽しい恭四郎も、大好きだった。
でも、違うのだ。
好きだけど、母より好きかもしれないけど、違う。
捨てられても、酷い言葉をかけられても、愛華は母を忘れることはできなかった。本気で嫌いになれない。欲してしまう。もしかして、と期待してしまう。
愛華は蓮次を起こさないように蓮次の手を退けると、部屋を出た。
「おっはよー愛華ちゃん!」
「朝飯できてるぞ」
雅人と秀二が迎えてくれた。
恐らく蓮次から昨日の話は聞いているであろう二人の、変わらない態度が嬉しかった。
「組長まだ起きてないのか?」
秀二が聞く。愛華が頷くと、はぁ、とため息を吐いて蓮次が寝ている部屋に向かう。数秒後、いてっと小さく叫ぶ蓮次の声が聞こえて、秀二の後に続いて蓮次が出てきた。
愛華と目が合う。
「おはよう、愛華」
「…おはよ、れんじ。昨日…」
「朝飯できてんだろ?食うか!」
愛華の言葉を遮って、蓮次は言った。無意識に昨日の話を遮っていた。愛華が少し間を開けて頷くのを見て、ほっとする。まだ、昨日の話はしたくなかった。早い話、愛華の決断をまだ聞きたくなかったのだ。
四人で、いただきます、と言って秀二の作った朝食を食べ始める。いつもの、少し薄味で和食中心の朝食をきれいに食べ終える。当たり前だが、いつもと同じ味だった。ただ愛華には、特別に感じた。
もうこの朝食も、毎日は食べられないかもしれない、と考えていたからだ。
「…れんじ」
食器を台所に片付け終えると、愛華が口を開いた。誰もが牽制するように黙っていた空間に細い声が落ちる。
蓮次は少し目を閉じると、何だ、と答えた。秀二と雅人も、息を飲む。
「…私、おかあさんとちゃんと話してくる」
あぁ、と蓮次は声を出しそうだった。やっぱりそうだよな。
「場所分かるのか」
「きのう、言ってた」
「迷うなよ」
「うん」
蓮次は言葉を探す。こんなことが言いたいんじゃないはずだ。まだ何か話したいことがあるはずだ。何が言いたい。言葉は出ない。
結局蓮次が何も言えないままでいると、愛華の方が口を開いた。
「…れんじも、しゅーじも、まさとも、きょーしろうも、みんな大好きだから…」
秀二と雅人が目を細めた。愛華は続ける。
「…だから、だからね、もし、おかあさんと話して、仲直り、しても、」
「そうなったらもうここには来るなよ」
蓮次が言う。愛華が言葉を飲む。
雅人が、ちょっと、と口を挟みそうにしたのを、秀二が止めた。雅人は口を閉じて、心配そうに愛華を見る。愛華は俯いていて、表情は見えなかった。
「母親と一緒に住むことになったらもう、ここには戻ってくるな」
愛華を見ないまま、愛華を見れないまま、蓮次は言った。愛華は堪えていた。いろんな、込み上げてきそうな何かを、必死に堪えていた。
「お前にとって母親も俺たちも同じ親みてーなもんかもしれねえが、そうじゃないことを忘れるな。難しいかもしれねえが、住む世界が違うことを忘れるな。もし母親と仲直りができねえようなら、その時はいつでも来りゃあいいさ」
聞こえるか聞こえないか、それくらいの声で、愛華は、うん、と言った。顔を上げないまま、玄関に走り出す。
「…組長、何もあんな風に言わなくても…」
「うるせえよ、ほっとけ」
気のない声でそう言った蓮次に、雅人はそれ以上何も言えず、ただ玄関を見つめた。
***
組を飛び出した途端、涙が出てきた。蓮次たちに見せまいと我慢していた涙が、抑えていた分壊れたように流れ始めた。早足で歩きながら、しゃくりあげる。ちらちらと見てくる人はいるものの、声はかけてこない。
「あれ、」
ふと、愛華の前で声がした。顔を上げると、恭四郎がいた。
「ちょうど良かった、お前に会おうと思って今―――」
愛華は走っている勢いを緩めず、恭四郎の脇を抜けるように、走った。
「おい!?」
愛華のただでさえ小さな背中が、更に小さくなる。様子がおかしいので追いかけようとしたが、ふと思い直して、逆方向に向かう。愛華があんな風になるということは…
「組長、何しやがったんだ!」
***
ばん!と勢いよく玄関の扉が開く音がした。秀二と雅人が顔を上げる。そしてぎょっとした。開けた扉もそのままに、恭四郎がずけずけと入ってきたのだ。入ってきた恭四郎は、組長!と声を上げる。
「…何だよ」
「がきんちょに何言ったんだよ」
「…何でもねえよ」
「何でもなかったらあんな顔してるわけねーだろうが!!」
恭四郎は蓮次に掴みかかった。おい、と秀二が声をかけるが、恭四郎の耳には入らない。渋々、蓮次は説明しようと口を開く。
「…愛華の母親に会ったんだ、昨日。で、愛華は母親と話しに行くらしい」
「それだけなわけないっすよね」
「それだけだ」
「もしかして、もうここには戻ってくるなとか、言ったんじゃないですよね」
恭四郎が言うと、蓮次は黙った。音が聞こえるのではないかというくらいに歯を食い縛った恭四郎は、叫ぶように言った。
「馬鹿かよあんたは!がきんちょがあんたに懐いてんのはあんただって分かってんだろ!?母親なんか関係なく会えばいいだろうが!何をかっこつけてんだ、かっこ悪ぃんだよアホ!!」
「…お前に何が分かんだよ」
やばい、と思った雅人が、蓮次の腕を掴んだ。恭四郎が目を見開く。蓮次が、恭四郎を殴ろうとしたのだ。顔に当たる寸前、危ないところで雅人に止められる。雅人は息を吐いた。
「…らしくねえな、組長」
「…うるせえな、どいつもこいつも、小せえガキは表の世界にいるのが一番いいに決まってんだろうが!?まともな人間が拾ったんならともかく、やくざなんだぞ俺たちは、分かってんのか!?愛華があぶねえ目に遭ったこともあんだろうが、あぁ!?」
秀二が眉間に皺を寄せる。確かに瀬田組の件では、愛華もかなり危なかったと、善造に聞いていた。
だが、と思う。この様子では、一番迷っているのは蓮次ではないのか。こんなに声を荒らげる蓮次は、付き合いの長い秀二も見るのは初めてだった。
「…俺もがきんちょも」
恭四郎が沈黙を破った。
「…少なくとも俺は、あんたに拾われて、嫌だったなんて思ったことはねえよ」
蓮次は何も言わない。
また、しばらく沈黙が落ちた。
「…じゃあどうすりゃ良かったんだ」
蓮次が、さっきとは打って変わって弱々しい声を出す。また、初めて聞く声音だった。蓮次は続ける。
「拾った当初は本当に、良さそうな親見つけて預けるつもりだったんだ。子育てなんざやったことねえし、できるわけねえと思ってたしな。ただ、そうそう親とか見つからなくて、しょうがなくうちで面倒見て、懐かれて、」
「本当に娘みたいに思ってたんでしょう」
言葉を次いだのは、秀二だった。蓮次が秀二を見る。何も言わなかったが、無言の肯定とも言えた。蓮次が黙ったことで、再び沈黙が落ちる。
するとそこで、ピリリリ、と機械音が聞こえた。突然人の声ならざる音が沈黙を破ったので、最初は何かと思ったが、すぐに、蓮次の携帯が鳴っているのだと気付いた。蓮次はポケットから携帯を取り出し、画面を見る。画面には、『薬師寺善造』と表示されていた。
「…何だよ」
『霧原、この情報、いくらで買う?』
電話越しからでも善造が愉快そうに顔を歪めているのが伺えて、蓮次は心の中で舌を打つ。
「悪ぃけど今それどころじゃ、」
『雛森愛華、と言ったか。あのガキは貴様の手元を離れたのか?』
蓮次が眉を顰める。何故善造が愛華が出て行ったことを知っているのか。善造は確かに情報通ではあるが、それは基本的に裏の情報に関してだ。
もしかして、と蓮次は目を見開く。
「愛華がどうした!?」」
『報酬は?』
「いくらでも」
『よく言った』
蓮次の様子が変わったことに、周りの三人は身を固くする。嫌でも、愛華に何かあったのは伝わったのだ。電話越しに、善造は続ける。
『ついさっき偶然見かけたんじゃが、二十代後半ほどの女と一緒に歩いておった。あれは本物の母親かのう?骨格に面影があったな。で、どこに行ったと思う?』
「もったいぶらずに教えろ」
『本条組』
つい最近聞いたようなその名前を、どこで聞いたのか、と蓮次はすぐに頭を回転させる。今日、昨日の出来事が一気に頭の中にあふれ出した。どこで、どこかで…
“俺が誰だか分かってんのか!”
“俺は、本条組の…”
「―――あの男か!」
新しい記憶として残っている、昨日、愛華の母―――真奈美の隣にいた若い男だ。確か、蓮次に襲われて自分が本条組だと名乗ったのだ。
『どの男か知らんが、気を付けろ』
気を付けろと言う割には楽しそうな声音だったが、蓮次は聞き流した。
『本条組は大して大きい組織ではないが、裏で身寄りのない子どもを集めている。金の無い母親が子どもを売る、という話すら聞いたことがある。子どもを集めて何をしているのやら…保育園でも開いておればいいが、まあ違うじゃろうな』
どうする?と試すように、善造が聞いてくる。無視して、金は後で払う、とだけ言って電話を切ると、元のポケットにしまう。周りで聞き耳を立てていた三人も、大方の内容は把握しているようだ。
「…今は違うっつっても元は霧原組にいた子どもを誘拐たぁ…」
蓮次が玄関に向かって歩き出した。
「いい度胸だよな」
三人は、安心したように笑った。
END




