愛華と桜
前のお話と同じような、ゆるっとしたお話です。時期遅れにもほどがありますが、女の子キャラたちのバレンタインはどうしてもやりたくて…瀬田組も大事なうちの子なのでいつか掘り下げて書いてみたいです。
「今日、バレンタインだね、愛華ちゃん!」
愛華に向かってそう言ったのは、小学校で一番最初にできた友達の亜理紗だった。肩くらいまである髪を耳の下あたりでくくって二つにしている、元気で人懐こい女の子で、入学して最初の日に愛華に話し掛けた女の子でもある。そんな亜理紗の言葉に、愛華は首を傾げた。
「ばれんたいん?」
聞き慣れない単語を友達の口から聞いた愛華は、亜理紗の言葉を鸚鵡返しにする。その愛華の反応を見て、亜理紗は大げさに、えぇっと仰け反った。
「愛華ちゃん、バレンタイン知らないの!?」
亜理紗の想像以上のオーバーリアクションに、愛華は不安に思った。
「みんな、しってるの?」
「みんな知ってるよ!」
ねー、と、亜理紗は後ろで喋っていた別の女の子に確かめる。どうやら、本当に知らないのは愛華だけのようだ。必死に記憶をひっくり返してみるが、どうしてもバレンタインなるものは思い出せない。もとより愛華の知識に無いのだから、当然ではあるが。
愛華がしょんぼりしていると、亜理紗が愛華の細い両肩をがしっと掴んだ。
「しっておくべきだよ!女の子だからね!」
「う、うん」
亜理紗の雰囲気に圧され気味に、愛華は頷いた。それを見た亜理紗が、意気揚々とバレンタインの説明を始める。
「バレンタインっていうのはねぇ、」
***
好きな男の人に、好意の印としてチョコレートを渡す日。
愛華は下校しながら、亜理紗の言葉を頭の中で繰り返していた。亜理紗はバレンタインの存在を、母から聞いたというから、愛華が知らないのも頷ける。母はもちろん女手が無いから、そんな知識が無かったのもしょうがない。
が。
知ってしまったからには愛華は、何かしなければ、と使命感に駆られ始めていた。好きな男の子、と、空を見上げて考える。
クラスの男の子は、だいたいみんな、好きである。
だが、亜理紗にそう言うと、ちーがーう!と怒られてしまった。亜理紗いわく、特別に好きな男の子にチョコを渡さないと意味が無いらしい。
そうして浮かぶのは、いつも一緒にいるメンバーだ。
蓮次はもちろん、秀二も雅人も恭四郎も、あとちょっと怖いけど善造も、みんな愛華は大好きだ。
そうなるとこの人たちに、チョコをあげればいいのだろうか、と思う。秀二にお小遣いを貰わなければ。そういえば今日は、秀二の誕生日でもあったはずだ。秀二にはちょっと多めに買った方がいいだろうか。
などと逡巡していると、いつの間にか組に帰り着いていた。通り過ぎそうになって、慌てて引き返す。
「ただいま」
おかえりー、と応接室から聞こえてくる。今日はみんないるみたいだ。
そういえば、蓮次たちはバレンタインなる存在を知っているのだろうか、と、ふと愛華は思った。みんな普段と変わらない。この日は、男の子たちはそわそわするものだ、と亜理紗から聞いていたのだけれど。
大人だからかな、と思いつつも、愛華はお小遣いを貰うべく秀二のところへ向かった。
「どうした」
「えっと、」
何と言うべきか、と少し悩んだ。亜理紗いわく、チョコを渡す時まで男の子には内緒にしておくべきであるそうだ。
「お買いもの、行くから、おこづかいちょっとちょーだい」
「どこ行くんだ?」
そう聞いたのは、秀二ではなく蓮次だった。雅人も、一緒に行こっかー?と聞いてくる。一人で行きたい、と言うと、何故か少ししょんぼりされた。
秀二に向き直ると、千円、渡してくれた。これでみんなの分を買わねば、と気を引き締める。いってきます、と言うと、愛華は組を駆け出した。
「…急に何を買いに行くんだ?」
「あれじゃね?秀二の誕プレ」
「俺愛華に誕生日教えたか?」
「俺が教えた」
「………」
***
商店街に着くと、愛華はいろいろと目移りしてしまった。一人で商店街に来るのは初めてだったので、いつもと同じ景色が少し違うものに見えて新鮮だった。
チョコはどこで売ってるのかな、ときょろきょろしながら歩いていると、前を見るのが疎かになっていて、前から来た人とぶつかってしまった。尻餅をつくが、ぶつかってしまったのは愛華なので、ごめんなさい、と素直に謝る。
「こちらこそ…って、あなたは…」
そう言われて、愛華がぶつかった女性が自分をじっと見ていることに気付いた。そして、愛華もはっとする。同時に、少しの恐怖を覚えた。
桜。確かそんな名前だった。
少し前に秀二の兄である秀一が組長を務める組、瀬田組とのいざこざがあった時に見た女性だった。愛華は少し体を固くする。
「確か、霧原組の…」
桜は、少し複雑な顔をしてそう呟いたが、子どもに罪は無いと自分でふんぎりをつけたのか、尻餅をついたまま固まっている愛華に手を差し出した。
「大丈夫?」
「だ、だいじょうぶ」
愛華は恐る恐る桜の手を取ると、立ち上がった。手を差し出してくれたことで恐怖が薄れ、改めて桜を見ると、愛華の手を握っている方とは逆の手に持っている紙袋に目がいった。そして、それが何か気付く。
「ちょこ」
「!」
愛華がそう聞くと、桜はかっと顔を赤くした。そして、何をこんな子どもに動揺させられているのだ、と思い直し、言った。
「ち、違うのよ、別に手作りに失敗したけどどうしても秀一様にチョコあげたくてわざわざ東京に良いチョコ買いに来たとかそんなんじゃないのよ!」
「二個、はいってる」
「自分用よ!せっかく良いチョコ買うんだし私も食べたいと思って買っただけで断じて兄さんにあげるわけじゃ、」
愛華が声を上げて笑ったのを見て、桜は黙り込む。子どもの愛華にも分かるほどの、分かりやすい同様で、つい笑ってしまったのだ。もはや桜に対する恐怖心は残っていない。
ばつが悪くなった桜は、話題を変えた。
「…愛華ちゃん、だったかしら。あなたもチョコ買いに来たの?」
「うん。みんなに」
そこで愛華は閃いた。桜もチョコを買っているのだから、チョコが売っている場所は桜に聞けば良いのではないか、と。
「チョコ、どこに売ってる?」
「お金はいくら持っているの」
「千円」
「何人にあげるの?」
桜にそう言われて、愛華は改めて考えた。蓮次と、秀二と、雅人と、恭四郎と、と指折り数える。善造にも渡したいところだが、善造の居場所は分からないのだ。
「四人」
愛華からそれを聞いた桜は、形の良い顎に手を添えて考えた。所持金千円で四人では、桜が行った店は予算的に無理である。まぁ子どもがあげるチョコなのだから、そんなに高くなくても大丈夫だろう。
「…あなたからのチョコなんて、霧原組の連中は喜ぶでしょうね。敵に塩を送るようで嫌だけれど、まぁあなたのためと思って教えてあげるわ。もう少し歩いたところの右手側に良いお店があるから。値段はいろんなものがあるけど、試食もできるから、自分で決めなさい」
「ありがと」
愛華は早速教えてもらった店に行こうと駆け出したが、ふと思い返して、桜の方を振り返って言った。
「チョコ渡すの、がんばって」
「余計なお世話よ!」
***
桜に教えてもらった店に行ってみると、そこは今まで行った事はない店で、店内はいろんなお菓子があってカラフルだった。あれもおいしそう、これもおいしそうとふらふら目移りしてしまうが、首を振って耐える。今日はみんなのチョコを買いに来たのだから。
みんな同じではつまらないだろう、と思った愛華は、二百円台のもので、異なる四種類のチョコを探した。
恭四郎は甘いのが好きだと言ってて、秀二は苦いのが好きだと言っていた気がする。蓮次と雅人はどうしようなどといろいろ考えるのは楽しかった。だが、あまり時間をかけて蓮次たちに心配をかけるのもいけないので、千円でぎりぎり足りるチョコを選んでレジに持って行った。
「別々に包装なさいますか?」
「?」
レジのお姉さんにそう言われるが、ほうそうとは何だろう、と首を傾げる。愛華の様子を悟ったのか、店員の女性は言い直した。
「四つ、別でプレゼント用に包みますか?」
「は、はい!」
ピンク色の可愛らしい包装紙に包んでもらったチョコを大事そうに抱えて、愛華は店を飛び出した。
***
まず、電車で恭四郎の家に向かった。電車代は、秀二にカードを作ってもらったので予算の内には入っていない。
電車で二十分ほどすると、目的の駅に着いた。そこから三分ほど歩いて、恭四郎の大きな家に向かう。
いつもとは少し違う心持ちでインターフォンを押すと、すぐに恭四郎が出てきた。高校に通う為に染めている黒い髪には、まだ少し慣れない。
「おっ、がきんちょ!どうした?」
「あのね、」
チョコをまとめて入れている紙袋からチョコを取り出そうとすると、不意に恭四郎の後ろから二つの顔が愛華を覗き込んだ。突然現れた知らない顔に、愛華は驚く。
「なになに、誰?」
「恭四郎の隠し子か~?」
「うっせーよ!この子は、くみちょ…じゃねーや、えっと、親戚の子だよ」
愛華が戸惑っているのを見た恭四郎は、あぁ、と言って、後ろの二人を指差しながら愛華に説明した。
「こいつら高校のクラスメイトでな、こっちが河北で、こっちが桜木」
「どーもー」
「飯たかりに来てまーす」
「こ、こんにちは」
愛華がぎこちなく挨拶をすると、河北、と呼ばれた少年に頭を撫でられたが、その手があっけなく恭四郎にぺしっと払われた。河北が地味にうめく。
「で、がきんちょ今日は一人でどうしたんだ?」
そうそう、と今さらながら自分が来た目的を思い出した愛華は、紙袋の中に突っ込みっぱなしになっていた手を出して、恭四郎に、その手に持っているものを差し出す。
「お?何これ?」
「えっと、バレンタイン、の…」
「おおお、チョコ!?」
予想よりも喜ばれたので、愛華は嬉しくなった。恭四郎はお菓子も作れるから、もしかしたらいらないかな、と思っていたのだ。
ありがとな、と頭を撫でてくる恭四郎に、うん、と返して笑う。
「晩飯食べてくか?」
恭四郎はそう誘ってくれたが、蓮次たちにもチョコを渡さないといけないので、残念ながら帰ることにした。気をつけろよー、と見送られる。
恭四郎は扉を閉めると、小躍りしそうな勢いでキッチンに向かった。
「…あいつ学校で貰ったどのチョコよりも喜んでんな」
「何個チョコ貰ってんだあいつ」
***
再び電車に乗って組まで戻る。
組に入る時でさえ、自宅のようなものであるというのに、少し緊張した。
「ただいま」
本日二回目の、おかえり、が中から聞こえる。しかし先程より声が一つ少なくて、愛華は蓮次がいないことに気付いた。
応接室に入ると、少し良い匂いがした。秀二が晩ご飯を作っているのだ。愛華のお腹の虫が鳴く。そのままふらふらとキッチンに向かいそうになった愛華だったが、自分が今手に持っているものの存在を思い出して、はっとした。
まず、一番近くにいた雅人に話し掛ける。
「愛華ちゃん遅かったなー心配したぜ。何買ってきたんだ?」
「えっとね、これ、」
紙袋に入っているチョコの中から、雅人宛てのものを探し出し、雅人に渡した。
「うおっ、もしかしてバレンタイン!?今日バレンタインか!?まさか愛華ちゃんがくれるとはどうしよう写メろ…」
雅人はそんなにチョコが好きだったのだろうか、と不思議に思いながら、台所にいる秀二のところへ向かった。良い匂いが強くなって、今日の晩ご飯は何だろう、とまたもやそちらに意識が行きそうになる。
「しゅーじ」
「何だ」
秀二は鍋から愛華に目を移した。それでも手は止まっていないところが、さすがだと思う。
「お誕生日、おめでとう」
「!…あぁ、ありがとう」
秀二は愛華から少し目を逸らして言った。それと、と付け加えて、愛華は秀二にチョコを渡す。料理をしていない方の手で、秀二はそれを受け取った。
「バレンタインの、」
「あぁ、そう言えば誕生日と同じだったか」
チョコを空いているところに置いて、愛華の頭を撫でた。ありがとう、ということだろう。
秀二に蓮次のことを聞くと、少し仕事が入ったと教えてくれた。何の仕事かは教えてくれなかったが、すぐに帰るらしい、と伝えられる。
そして噂をすればなんとやらで、微かに、ただいまーという声が聞こえた。あぁ疲れた、と言いながら、持っていた鞄を雅人のところに投げる。雅人は文句を言いながら投げ返していた。
「れんじ、おかえり」
「愛華も帰ってたのか。ただいま。どこ行ってたんだ?危ないことなかったか?」
「うん。今日、友達に、バレンタインって聞いて、それで、チョコをね、」
しどろもどろになりながら、愛華は蓮次にチョコを渡した。受け取った蓮次は少しの間固まっていたが、やがて愛華の目線に合わせるようにしゃがんで、くしゃくしゃと愛華の頭を撫でた。
「わざわざ一人で行ったのか!すごいな愛華は。ありがとな」
「あのね、きょーしろうのとこも行った」
「あそこまで行ったのか!もうお姉さんだな」
お姉さんと聞いて、愛華は思い出したことを口にした。
「商店街でね、桜さんに会ったよ」
「「「何!?」」」
そこからまた一騒動あったのは別の話。
そして一か月後のホワイトデーの存在を知らない愛華は、また一か月後に亜理紗から吹き込まれることになるのだった。
***
その頃。
「何してるんだ」
椿は、東北にある病院の、秀一の病室の前で何やらうろうろしている桜に話し掛けた。想像以上にびくっとした桜に、逆に椿が驚く。何やら忌々しそうに椿を見る桜を睨み返しながら、もう一度聞く。
「で、何をしてるんだ」
「…別に…兄さんには関係ないわ…」
「秀一様に関係があるのなら私にも関係がある。それより、」
椿はそう言って、桜が後ろ手に隠している物を、ぱっと取り上げる。あっと声を上げる桜を無視して、桜が届かないところに持ち上げてそれを眺める。
「…チョコか?」
「返しなさいよ!」
「まさかお前の手作りじゃないだろうな。そんな劇物、傷の療養中の秀一様に食わせるわけにはいかないぞ」
「うるさいわね、ちゃんと買ったわよ!」
こそこそしていると思ったらそんなことか、と思い、椿は桜に見えないように笑った。それがチョコであると分かると、椿はあっさり桜に返す。
「早く渡してくればいいだろう」
「それができないから困ってるんでしょ!秀一様は今怪我をしているし…チョコが嫌いかもしれないし…」
そんな桜を見てため息を吐いた椿は、部屋の中に呼び掛けた。
「秀一様!ちょっと入りますよ」
「ちょっ…」
椿は秀一の部屋の扉を開けて、桜の背中を押して部屋に入れて、自分は入らずに扉を閉めた。扉の前を離れる。
中に押しやられてしまった桜は、観念して秀一にチョコを差し出した。
「…すみません…大した物じゃないのですが…」
「いや、チョコ好きだよ、ありがと」
「! はい!」
安心したように息を吐いた桜を見て、秀一は付け加えた。
「君たち面白い兄妹だよねえ」
「! さ、さっきの…」
「部屋の前でやってるんだから嫌でも聞こえるよ」
「すみません…」
頭を下げた桜に、笑いながら秀一が言う。
「早く椿にも渡しておいでよ。買ってるんでしょ」
少しだけ赤くなった顔を上げた桜は、小さく、はい、と返事をすると、部屋を出た。
END