1/2パート
とある国都のほど近く、名もなき森の一角に丸太で組み上げられた一軒の小屋があった。
小屋の前では、逞しい筋肉の鎧に包まれた上半身を露わにした男が、黙々と薪を割り続けている。
通常の倍はあろうかという重そうな鉈が軽々と振るわれるたびに、コーン、コーン、コーンと森の中に心地よい音が響き渡っていた。
この男の名はルートヴィッヒ。かつては“帝国の鬼神”と呼ばれ、数多の戦場に置いて敵対する全ての者に恐れられた彼は、人里を離れたこの名もなき森の中でひっそりと暮らしていた。
ルートヴィッヒが薪割りを続けていると、小屋へと続く小道から一人の女性が歩いてきた。
エメラルドのような透き通った深緑の瞳を持った彼女は、その背に降ろした美しい金色の髪を風にたなびかせながら小屋へと近づいていく。
そして彼女は、何ら臆することなく鉈を振るい続ける“鬼神”へと声をかけた。
「ルーイ、新しい依頼がきたわよ」
「ヴィータか。あいにくだが俺はしばらく依頼を受ける気はないのだが……」
声をかけられたルートヴィッヒは、振り向くことなく言葉を返す。
しかし、ヴィータは構わずその背に向けて言葉を続けた。
「残念、この依頼、ガルトフリート様からなのよね。どう、たまには断ってみる?」
ガルトフリートの名を聞くやいなや、ルートヴィッヒの手がピタリと止まる。
そして、彼は薪割の台としていた赤樫の切り株に鉈を置くと、ゆっくりと立ちあがりながらヴィータへ鋭い視線をぶつける。
「……依頼の内容は?」
「そんなに睨まないでよ。ただでさえ“鬼神”って呼ばれてたくらい愛嬌が無いんだから。まぁ、私は全然平気なんだけどねー」
「……話を早くまとめるがいい」
「はいはい。えーっとね、依頼内容は“ゼーゲ岬のタコが旨いという噂を聞いた。そろそろ美味い物が食いたくなったから食べさせろ”だってさ。期限は1ヶ月以内。出張場所はいつも通り彼の“自宅”ね。報酬は言い値だそうよ。どう?」
口元に微笑みを浮かべながら依頼内容を伝えるヴィータ。しかしその深緑の瞳には、ルートヴィッヒに負けないほどの鋭さが込められていた。
ルートヴィッヒは腕組みをしたまましばし考え込んだ後、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……荷物を纏めるのを手伝ってくれ」
「はいはい。じゃあ、引き受けるってことでOKね」
その言葉にルートヴィッヒがコクリと頷くのを確認したヴィータは、懐から護符を一枚取り出すと空へと放り投げる。
すると、その護符は空中で輝きだし、一羽の鳩へと姿を変えて飛び去っていった。
「これでよしっと。じゃ、今回もよろしくね」
軽い調子でかけられるヴィータの言葉に、ただ黙って頷くルートヴィッヒであった。
―――――
数日後、ゼーゲ岬の海岸にて海を見つめるルートヴィッヒとヴィータの姿があった。
切り立った海崖に大きな波が次々と押し寄せ、轟音を響かせている。
その海の様子をしばらく見つめていたルートヴィッヒが、ヴィータに短く問いかける。
「探せるか?」
「もちろん。少し待ってて」
軽く答えたヴィータは、目を瞑り海原へと手をかざすと、静かに呪文を唱え始めた。
『精霊よ、盟約により我に答えよ。見えざる生命の息吹を我に伝えん ―― 生命感知』
詠唱とともに、突き出したヴィータの手がぼんやりと輝く。しばらくすると、彼女の脳裏には周囲に潜んでいる“生命”の反応が煌めく星空のように広がった。
ヴィータは、徐々に魔法の感度を下げていきながら、より強い生命力を持つ生物のみに対象を絞り込んでいく。
しばしの後、この周囲では二番目に強い生命力を持った生物を特定したヴィータが、その居場所をルートヴィッヒに説明する。
「この足元から右に100mぐらいね。 どうやら崖の裏手に潜んでいるようだわ。海中洞窟か何かあるんじゃないかしら?」
「ふむ。深さはどれくらいだ?」
「それほど深くはないわ。水深は30mぐらいというところね。水中呼吸がいるかしら?」
「不要。それよりも荷物を頼む」
ルートヴィッヒは背に背負っていた大きな荷物を降ろすと、纏っていた服を脱ぎ捨てて、腰巻一枚の姿となった。
「まったく、レディがここにいるというのに……」
思わず愚痴をこぼすヴィータ。しかし、ルートヴィッヒは意に介することない。そのまま首や肩を数度回した後、スーッと大きく息を継いでから高い崖の上から海面目がけて飛び込んだ。
(さて、右だったな……)
ヴィータから聞いていた情報を頼りに、獲物の居場所を探っていくルートヴィッヒ。
海面の激しい波の様子とは裏腹に、海中は比較的穏やかだ。ルートヴィッヒは、近くにあった大きな岩を重し代わりに掴みながら、力強く海底を蹴り進んでいく。
やがて、獲物が潜んでいると思われる場所へと近づいていくと、崖の一部に裂け目が入っている場所を発見した。
おそらく獲物はここに潜んでいるのであろう。そうアタリをつけたルートヴィッヒは、重し代わりにしていた大岩を手放し、いったん海面へと浮かび上がる。
そして、再び大きく息を吸うと、一気に海底の裂け目に向けて潜っていった。
(うまく出て来てくれるといいが……)
ルートヴィッヒは海底に落ちていた大き目の石を拾い上げると、裂け目の横を目がけて打ちつける。ゴンゴンゴンと低い音が海中に響く。
すると、崖の裂け目から、一本の触手が先端を覗かせてきた。
音の正体を探るかようにうごめく触手。
その触手を誘うように、ルートヴィッヒは徐々に離れた所へ石を打ちつけていく。
思惑通りに触手は長く伸び、さらには新たな触手がもう一本裂け目から現れた。
(……ここだっ!)
二本の触手が根本近くまで現れたところで、ルートヴィッヒは一気に間合いを詰める。
先ほどまで手にしていた石を海底に落とし、代わりに腰ベルトに巻いておいた鞘からナイフを抜く。
そのまま、自分の身体ほどの太さがある触手の根元を目がけてナイフを一閃、さらに返す刀でもう一本の触手にも切りつける。
小さなナイフでは触手を切り落とすことまではできないものの、的確に急所を捉えたその攻撃は強烈な痛みを与えるに十分なものであった。
突如として何者かに攻撃を受け逆上した獲物が、崖の裂け目からそのおぞましい姿を現した。
巨躯を誇るルートヴィッヒのさらに三倍はあろうかという大きなタコ ―― キラーオクトパスだ。
キラーオクトパスは、その瞳を怒りの炎で真っ赤に染めながらルートヴィッヒ目がけて突進する。
かつては“鬼神”の名をほしいままとしたルートヴィッヒとはいえ、これだけの大物相手に水中での接近戦はさすがに分が悪いというものだ。
触手に絡み取られないよう間合いを取りつつ、ルートヴィッヒは水面に向けて速度を上げる。
そして、飛び出すように水面から浮上したルートヴィッヒは、崖の上で待つヴィータに向けて大声で叫んだ。
「頼む!」
「分かってるって! 『解放せよ、水上歩行!!』」
ルートヴィッヒの言葉を待たずして、ヴィータは事前詠唱により準備しておいた魔法を即時発動させた。
彼が次に何を望むかを予測することは、長年パートナーとして行動を共にしてきたヴィータにとっては造作もないことであった。
魔法の効果を受けたルートヴィッヒは、まるで大地を踏みしめるかのように水面へと立つ。そこに、水しぶきを上げながら大ダコの触手が迫ってきた。
「さて、申し訳ないが少々大人しくしてもらおうか!!」
先ほどまでとは異なり、迫りくる触手に正面から対峙するルートヴィッヒ。そして、その屈強な双腕でキラーオクトパスの触手をがっしりと掴むと、腰を落とし、ぐいっと手元へと引き寄せた。
想像もしていなかった強烈な力で引き寄せられたキラーオクトパスが、自らを害する“敵”を引きずり込もうと触手に力を込める。
しかし、水面をしっかりと踏みしめたルードヴィッヒの身体はびくりとも動かない。むしろ、ゆっくりと、しかし確実に触手を手繰り寄せられていく。
このままでは海上へ引きずりだされてしまう ―― キラーオクトパスの生存本能が危険を告げた。瞬間、キラーオクトパスは触手に込めていた力を抜き、ルートヴィッヒの双腕から抜け出そうとする。
しかし、抜けない。ルートヴィッヒは、その動きを察知していたかのように双腕にさらなる力を込め、キラーオクトパスの触手を絞め上げた。盛り上がった上腕に血管が浮かび上がる。
これにはさしものキラーオクトパスもたまらず奇声を上げた。何とか脱出しようと残る7本の触手でルートヴィッヒに襲い掛かる。しかし、それが裏目であった。
「これを待っていたぞ!!」
“敵”を包み込もうと触手を広げたその瞬間、ルートヴィッヒが動いた。
水面を蹴り、一気に間合いを詰める。そして、そのままナイフを抜くと、触手を広げ無防備となったキラーオクトパスの眉間を目がけて突き刺す。
勝負は一瞬で決まった。眉間にナイフを突き立てられたキラーオクトパスは、瞬時に真っ赤となっていた肌の色を白く変化させた。
オオオオーーーンと嘶くような叫び声が響いた後、海面には力なく浮かび上がるキラーオクトパスの姿があった。ルートヴィッヒは仕留めた“獲物”をその背に負うと、崖の上で待つパートナーへ手を掲げて合図を送った。
「どうやら終わったようね。さて、とっ……『大地の精霊よ、盟約により我に応じよ。その力を持って彼の場所と通じる道を与えよ ―― 地橋創造』」
詠唱とともに、ヴィータの足元からルートヴィッヒの足元へ向け地面が伸びていく。緩やかに局面を帯びたその地面を足場とし、巨大なキラーオクトパスを引きずりながらルートヴィッヒが上ってきた。
ヴィータは、崖の上まで登ってきたルートヴィッヒにどこかあきれた調子で声をかける。
「全く、相変わらず無茶苦茶するわねぇ」
「獲物はしとめられたのだから問題ない。きっちり活け締めしたからしばらくの間は鮮度も保てると思うぞ」
「そういう意味じゃないんだけどねぇ……はい、ちゃんと拭いておかないと風邪ひくわよ」
荷物から取り出しておいた大きな布を、ヴィータは投げつけるようにしてルートヴィッヒに渡した。
黙ってそれを受け取ったルートヴィッヒは、黙々と体に着いた海水を拭きとる。
火照った身体から立ち上る湯気が、戦いの激しさを物語っていた。
※第2パートへ続きます。