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第五話

 未だに横で喚いているクロエを放置して、八重は驚いた様子で八重とクロエを見ている少女に近付く。クロエが救い出し、そっと地面に降ろされていたおかげか見た目に外傷は一つもなかった。そのことに、安堵する。けれども近付く度に驚きから怯えの表情に変わっていくのをみて、傷付かない訳がない。例えそれが仕方がないことだと分かっていても。


「大丈夫。……ほら、な?」


 なるべく優しく笑うように心掛けながら、しゃがみこんで少女を縛っていた縄を解いてやる。そうすれば少女は目を瞬かせて、一瞬のうちにその翡翠のような目に涙をいっぱいに溜めた。

 少し前まで怯えていた相手であることなど、忘れたのだろうか。或いは縄を解いてやったことで八重を味方だと認識したのかもしれない。何方であるかは八重に分からなかったが、然しぎゅうっと服の裾を掴んで涙を流すその少女はやはり何処か妹に似ている。泣いている子供というのは如何にも苦手であったが、裾を振り払う気は起きない。

 代わりに、そっと背中に手を伸ばして抱き込み、ぽんぽんと背中を撫ぜてやる。少しでもその少女が落ち着くように。実際それは効果があったようで、必死に泣くことを我慢していた少女は枷が外れたのかのようにわっと声を上げて泣き出した。

 涙声で怖かったと繰り返す少女に、もう大丈夫だからと優しく話し掛ける。何度でも、何度でも。その最中地面に臥せっていた男が起き上がりそうになり、クロエがやれやれといった様子で縄で縛り上げていたのは八重は横目で確認している。今は少女を思ってか黙っているが、きっとまた後で何かを言われるのは間違いないだろう。静かに少女の頭の上で溜息を吐き出す。

 そうして暫くの間状態を維持していれば、少女は落ち着いたらしい。だんだんと泣き声が小さくなり、最後には声が聞こえることがなくなって、おずおずといった様子で少女が八重を見上げた。


「…………あの、ありがとう、ございました」


 目の周りは泣いていたせいで、真っ赤に腫れている。頬には幾重にも涙の筋が出来ていて、鼻水が出ていないことの方が不思議なくらいだ。或いは啜ったのかもしれないが。そんな少女が発した言葉は、はたして助けたことか、胸を貸した言葉に対してのものか。八重には判断つかなかった。けれど何が、ということはしない。


「俺が勝手にやりたくてやっただけだから、気にすんな」


 ぽんぽん、と頭を撫ぜてやる。結局どっちであっても問題ないような言葉を八重は選んだ。何よりそれは事実である。少女を助けたことだって、泣き止むまで待っていたことだって。だから別に礼を言われる筋合いはないという思いもあっただろう。けれど少女はその言葉に何処か不服そうだ。


「でも、わたしが助けられたのは事実です。……それに、こんなに服、濡らしてしまいました」

「だから気にすんなって。服なんてほっときゃ乾くし、あんたを助けたのだって、俺の都合でしかねえんだから。……感謝される理由がねーんだよ」


 ぽそりと付け足す。実際少女が妹の雰囲気に似ていなければ、八重は助けなかっただろう。確実に。自己犠牲は好きではないし、正義感なんてある訳がない。そういった類のものを八重が持ち合わせていれば、マアトを疑うこともなかっただろうし、世界を正せと言われたら二つ返事で了解していただろうから。そうでないことから、結局は八重の人物像というのは概ね予想出来る。

 クロエなどはマアトとのやりとりなどを経て、良く分かっているのか。そうですよ、と八重の後ろから口を挟む。それに対して少女は何かを言いたそうであったが、然しその前にとクロエにも助けられた事に対しての礼を述べていた。正直人を挟まずにやれ、と思ったが少女が八重から離れようとはしない。仕方がないのかもしれなかった。


「……私の方からも礼を述べさせて下さい。貴方が助けてくれなければ、私の娘は連れ去られ、人々の見世物のように売られた後、玩具のように人間に扱われていたことでしょう。そう思うと……ぞっとします。本当に、有難う御座いました」


 突然掛けられた声に八重は勿論クロエも、腕の中の少女も驚いた様子を見せる。すっかり存在を忘れていたが為だ。すぐに少女は八重から離れ、お父さん、と叫びながら男に飛び付いた。どうやら余り似てないが、親子らしい。

 そんな親子の後ろによきかなよきかな、と言わんばかりに頷いているマアトが見えて、思わず八重はさっと目を反らす。どうやら、此方の存在も忘れていたようだ。いっそこのまま忘れていたかったと思ったが、然しそれでは帰るべきところに帰れない。思い出してよかったと思うことにした。

 マアトに走り寄るクロエを尻目に、八重はよっこらせと立ち上がる。道は舗装されていたが、念の為にゴミが付いていれば落ちるように払ってから。そうしてゆっくりと、渋々と言わんばかりの表情を浮かべながらマアトとクロエに合流する。


「……悪かったな。勝手に飛び出して」

「なあに。五感系統と同じくして、身体強化も行われていることを確認出来たのは良かったろう? それにな……ふふ、いや、思っていた以上に上手く事が運びそうで、私は今とても良い気分なんだ」


 完全に独断だった。大人しくしていろ、と言われた訳ではないが、然しマアトの身の上を考えれば悪手であったことには違いないだろう。これが一人で全てを如何にか出来ていれば何も問題なかったのだが、結局クロエに助けて貰っている。如何考えてもクロエの判断ではなくマアトの指示だ。それがわかっていたから、罰が悪そうに言ったのだけれども。返ってきたのは予想外の反応。

 目を瞬かせてマアトを見る。思わず、はあ? と間抜けな声を漏らしてしまったのは仕方がない。視線も一体何を言ってるんだこいつは、と言わんばかりだ。八重にはマアトの言いたいことの二割も伝わってこない。視線の先にいるクロエも見えていたが、彼女にもあまり通じていない様子。


「いずれきっと分かるさ。私の言いたかったことは」


 けれどマアトにはいう気がないらしい。そういって妖艶に笑って見せれば、それっきり話は終わりだと言わんばかりの雰囲気を醸し出す。そうなれば、何度問い掛けても無駄だろうというのは八重には分かっていた。マアトはかなり頑固である、というのはたった二日の付き合いでも痛い程身に沁みているからである。だから、諦めることにした。何れ分かるのならそれで良いと割り切るように自分に言い聞かせて。


「……それで。これ、如何すんだよ。此処で解放したらまた襲いかかってくるだろうけど、このまま放っておく訳にはいかないだろ」


 つん、と足先で蓑虫のように縄で巻かれた男のうち一人を蹴る。男はそれに対して言いたいことがあったのだろうが、然し縄のせいで音にならない。八重は気付いていても知らない振りをして、マアトとクロエを見た。この世界の情勢には当たり前だが、八重よりもマアトたちの方が詳しいからである。


「ふむ。……すぱっといってしまうか。すぱっと」


 マアトとクロエは八重のその質問を受けて、顔を見合わせた。一瞬の後、マアトがそういうのだけれども。すぱっとがすぐには分からなかった八重は思考を巡らせる。そして、それが何か分かってしまった八重は――あっているかどうかは分からなかったが――慌てざるを得ない。

 なにせ多分マアトのいうすぱっとは――首を刎ねてしまおう、という類のものに聞こえたからだ。


「ちょ、ちょ、待てよ。流石にそれはねえんじゃねえの?」

「そうか? むしろ私は人間は全部すぱっといってしまう方が平和になると思っているし、なにより世界を正すにはそれが近道だろう」

「…………確認なんだけど。そのすぱっと、っていうのはやっぱり――」

「うむ。景気良く首を刎ねていこう、ということだ。むしろそれ以外に何がある?」


 心底分からないと言わんばかりに、僅かに首を傾けたマアトを見て、八重はやっぱりそうだよな! と頭を抱える。別に人殺しを悪だとは思っていなかった。八重自身が誰かを殺したいと思ったり、殺したことはない。けれどもし、妹になにかあったら。それが誰かの手によってもたらされたものである場合、八重は間違いなくその人物を殺すだろう。寸分の迷いもなく。

 行き過ぎたシスコンである自覚はあったが、然しそれを改めるつもりは一切なかった。八重にとって妹だけが全てであるから。

 かといってマアトの言うように人類を滅亡させてしまうのは些か、究極論過ぎる気がした。八重自身が、そして此処にいないとはいえ最愛の妹が人間であるというのもあるかもしれない。けれどそれ以前の問題で、何故人間を滅ぼしたら世界が正されるのかが分からなかった、というのも大きい。

 予測するにきっと人間が他の人種を追いやったのだろう。もし本当にこの八重の予測があっているのだとしたら。やはりマアトのいうようにしてしまうのは、結局トカゲの尻尾切りでしかないと思った。どうせ人間を配したところで、第二、第三の人間のような種が出てくるに違いない。そうなって、その度に全ての種族を根絶やしにしていればこの世界の種は死に絶えて滅んでしまうだろう。

 といったことを、八重はマアトに説明した。次いでに八重がその刎ねる対象の人間であるという点も、強調しつつ。マアトはその間成る程、と言わんばかりに頷きながら話に聞き入っている。クロエは驚いたと言わんばかりに目を丸くしてて八重を凝視していた。クロエには八重のことが、きっと余程馬鹿に見えていたのだろう。少し見返せた気がしてすっきりする。


「では、私が解放されてもそうすることはやめておこう。……して、八重はどのように考えている?」

「……は? 何が」

「何がも何もないだろう。どうやって世を正し、その後維持させるのか、という話だ」

「えっ待って、それ俺に全振りなの? お前に考えがあるわけではなく? 一から俺が考えて実行していかなきゃならねえ感じなわけ?」

「当たり前だろう。私の考えを否定したのだからな、お前が考えずに誰が考えるというのだ?」

「まじかよ……ちょっと待って、それは後で考えるから。今すぐに出てくるもんでもねえし、考える以前に知らないこと多すぎる。だからとりあえずこいつらの処遇を決めよう」


 まさかの無茶振りに八重は思わず顔を青白く染めた。これならマアトに任せて、首を刎ねるという選択肢を取っておくべきだったかもしれないと僅かに思う。けれどきっと、その役割を任されるのは八重である。人殺しを悪だと思っていなくとも、実際にやれといわれたら別の話。

 はっきり言えば、八重は自分の手を汚したくなかった。人を殺すことに抵抗があるともいう。であったから、やっぱりマアトの提案はのめないものだった。如何するといわれてもすぐには出てこない。それは一旦保留にして――ただの先延ばしである自覚はあった――目の前の男たちを如何するか、に脱線した話を戻す。

 マアトはどうやら八重のいうことに不服はないらしい。確かにそうだな、と呟きながら頷いて少し悩む素振りを見せる。


「……このまま放っておいたらだめなのか?」

「ダメだな。死んじまう。寝覚め悪いだろ、こんなところで死なれたら」

「成る程この男たちが可哀想、とかではなく自分の都合を優先する辺りさすがヤエだ」

「ねえちょっと待ってくれるかな。それ確実に貶してんだろ、はっ倒すぞ」

「おおこわっ。……まあ、私たちではなくそこの親子に決めてもらうのがいいんじゃないか? なにせ当事者だしな」


 指をさせない代わりに、顎でくいと八重の少し後ろを指す。そこにはマアトを驚いた様子で見ている親子がいた。会話は確実に筒抜けである。だからだろうか。然し正直さっきの今でこんな話をしていれば、怯えられても仕方がないかもしれない。そう思ったが、然し親子の目に怯えは見えなかった。

 マアトは然しそんな親子に構わず「で、どうするのだ? ヤエはやめろと言っていたが、刎ねろというなら、今すぐにでも刎ねるぞ」と飄々とした様子で問い掛けている。正直自分に向けられたものではないにしろ、その様子が少し恐ろしくて八重はじり、と思わず一歩後退った。男たちも縄の下で悲鳴でもあげたのか、くぐもった声が嫌にこの場に響く。


「……いえ。そこまでは求めません。どうせこやつらを殺したところで、中央からは人が来るのですから。それに……殺してしまったら、きっと我らの町に大群が押し寄せてきて、すぐに潰されてしまう。……こいつらを生かしていたところで、一緒のような気もしますが」

「はっきりせんな。決めぬというのならもういっそすっぱり行ってしまうぞ」

「その前に、一つお聞かせ願えませんか。――あなたたちは、一体何者なんです」


 拘束衣を身に纏い、さらにその上から封印するかのように、鎖を巻かれている少女。腕から縄を出す女。確かに不気味な集団だろう。この中で普通なのは八重だけだ、と八重自身は思っていた。実際は八重も確かにその不気味集団に紛れられる不気味さがあるのだけれど。気が付かずに幸せなのは本人ばかりである。

 然し、今それが男たちの処遇を決めてしまうのに必要であると八重は思わなかった。確かに敵か味方か、判別するのは重要である。けれどこれが茶番でない限り、八重たちが男たちの味方であることはないのだから。父親の意図が読めずに八重は少しだけ眉間に皺を寄せた。

 そんな八重とは対照的に、マアトは特に気にしなかったのだろう。呑気に名乗りを上げていた。――真理、調和、秩序を司る神、マアトであると。そうして横にいるのがお付きのクロエで、八重はマアトの代理人であると勝手に全員の自己紹介までご丁寧に済ませる。

 頭を抱えた。誰がそんなことを信じるのだと、八重は思ったからだ。親子からの疑惑の視線と辛辣な言葉を待っていた、が然しいつまでたってもそんなものは来なかった。代わりに救いの神を見つけた、と言わんばかりの視線を送られて八重は狼狽える。予想だにしていなかったからだろう。


「そうでしたか……! いやはや、マアト様が罠に嵌められたと聞いたときは、もうこれで終わりかと思っていましたが……代理人を召喚出来たのですね。本当に良かったですし、なによりこうしてお会いできて、光栄御座います」

「うむ。そういってもらえて何よりである。……ふふん、それみたことか! ヤエ、これで分かっただろう、私が真、神であるということが!」

「…………ソウデスネ」


 どやあ、という効果音がつきそうな、いやらしい笑みを向けられれば。八重はそう返す他なかった。というよりそうとしか返せなかったともいう。別に今まで信じていなかったわけではないが――ピアスの件もある――如何やら、最初に出会ったときに完全否定したことをずっと気にしていたらしい。

 なんというか、割とでかい態度の割に、器が小さいというか。良く言えば子供のような性格なんだな、とぼんやりと八重は思った。決して口にはしなかったが。

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