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第四話

 結局ピアス穴は散々痛いのは嫌だと八重が渋った挙句、それでも身につけなければならないとクロエが強制的に穴を開ける。悲鳴こそはあげなかったが、しかし八重の目尻にはうっすらと涙が見えた。無論マアトやクロエにからかわれたのは言うまでもない。

 そうした結果、八重の左耳にはシンプルなピアスが今現在ぶら下がっていた。一週間前後は外して清掃しろと言われれば、面倒臭く感じたが化膿してしまえばきっともっと面倒臭い。であれば仕方ないと、強制的に穴を開けられたことも含めて全て諦めた。譲歩する他なかったともいう。

 大して何もしていなかったが、元よりクロエと合流したのが日暮れ少し前と遅かったこともあって、一段落した頃には既に辺りは真っ暗であった。然程急ぐ事もないというマアトの言葉もあって、クロエが住んでいたそこで一泊して夜を過ごす事になる。とりあえずクロエとマアトの相手を嫌でも努めさせられた、八重の苦労だけはここに書き記しておく。

 翌日。朝も少し過ぎた頃。朝食まで済ませれば三人で家を出た。向かう先は少し先にある表通り。何でも先程までいた裏通りはほぼ無人らしい。ほぼ、というのは今しがたまでクロエが住んでいたからだ。つまりクロエを除けば、誰もいなかったということ。そしてこれからはクロエも退去してしまうので、今より完全に無人になる。昨日感じた、気味の悪さはそれが理由な気がした。


「……相変わらず人っ子一人いねえな。こんな状況でどうやって話聞くんだよ」


 少しもしないうちに表通りに出るのだけれども、やはりというべきか。マアトがいっていたことを裏付けるかのように閑散としている。思わず少し後ろを歩いていた二人を振り返って、怪訝そうな顔をしながら八重はそう問い掛けた。一つ一つ扉をノックして回るという手もあるが、それはかなり非効率的だろう。


「さあな。それはお前の腕のみせどころだ……という冗談はさておき」

「ちょっとこいつ殴っていい?」

「駄目に決まってるでしょう何を言ってるんですか私があなたをぶん殴りますよ」

「うるせえこの狂信者。お前は関係ないだろーが」

「いいえ大いに関係あります。なんてったって、マアト様のことですからね!」

「……クロエはともかくヤエ、お前人の話を聞く気がないのか? 自分から問い掛けておいて」

「元はと言えば元凶はお前だろーが!」


 人が真面目に聞いているというのに、いきなり放り込まれた冗談に八重のこめかみは自然ひくつく。口に出すつもりはなかったが、しかし知らず識らず漏れていたらしい本音にすかさずクロエが突っ込む。一切息継ぎもせず早口で言われたそれは、もういっそ清々しい。そんな風にクロエと八重が幾度かの応酬をしていた最中、呆れたようにマアトが口を挟む。しかしそれをそんなマアトの様子と言葉を聞いて、どうにも八重は我慢ならなくなった。

 ぴしり、と指を向けて吠える。けれどマアトは「そうだっけか」なんて何処吹く風。苛立ちは増す――が、然しこれ以上何を言ったところで八割無駄だろう。であったが為に言いたいことは山程あったが、それを言うよりマアトの話を聞く方が賢明だと判断して、ぐっと堪える。そうして話の続きを促す。


「なに。もうじき嫌でも人が顔を出すさ。……ちょっとこっちにいて、見ていろ」


 マアトのその言葉が合図だったかのように、ついさっき出てきたばかりの裏路地にクロエによって引っ張り込まれる。突然の事に瞠目して、抗議の声を上げようとしたのだけれども。二人に揃って、静かに、と真剣な眼差しをしつつ潜めた声で言われれば、仕方がなく口を紡ぐ。今から何か始まるのかもしれない。そう思えば、八重は角からそっと顔を覗かせて辺りを伺う。


「ったく、めんどくせーよな。こんな辺鄙な所までわざわざ来るなんて」

「仕方ないだろ。それが俺ら下っ端の仕事なんだ。それに費用は全部国持ち、んでもって遠征距離分給料に上乗せなんだぜ? 中途半端な所にいくより全然良いじゃねえか。この間モスの野郎がぼやいてたぜ、疲れるだけで金にならねえって」

「あー。あいつどこだっけ。確かグリセントの方か。ご愁傷様だな。あの辺りが一番労力に見合わない場所だろ。それ思えば確かに、良いんだろうけどな。やっぱり中央のお偉方が一番だろ」

「ははっ違いねえ。でも俺らが中央勤めになるなんて、夢のまた夢でしかねえよ」


 閑散としていた村に、響く声。辺りが静かであったが為に余計そう感じるのかもしれない。然し何にせよ、話している内容がしっかりと理解出来ている事は間違いなかった。成る程確かにこのピアスは翻訳機能を兼ね備えていたのだろう。とはいえ、もしかしたら本当は言語が通じるかもしれない。そう思えば試しにピアスを外して、耳をすませてみた。

 然し何を話しているのかさっぱりになってしまう。おまけに、何故だか聞こえる声が遠くなった気がする。その理由までは分からなかったが、間違いなくマアトとクロエが言う事は正しいと、これで証明されてしまった。マアトの話は確かにある程度信じてはいたが、しかしこれで本格的に信じざるを得なkなったと言っても良いだろう。多分自称などではなく、マアトは確かにその名が示す通りの神なのだろうと思った。頭を抱えたくなっても仕方がない。

 ピアスを付け直す。そうすれば先程と同じように話の中身が頭に入ってくる。便利以外の何物でもなかったが、少しばかり複雑な心境だった。視覚と聴覚に入ってくる情報から、村に訪れたのは男二人だと判断する。服装からして、何かしらの組織に所属しているらしかった。衛兵辺りか、と目星を付ける。そうしながらじっと様子を伺っていれば。


「……どうだ? 信じられずに外して試しに聞いてみたのだろう。感想の程は?」

「お前って、そんな見た目だけど立派に神様だったんだな。疑って悪かったって、ちょっと思ってる」


 後ろから掛けられる声。男たちと八重たちの間の距離は結構あったが、しかし男たちの声が聞こえるくらいだ。平素通り話せば八重たちの声だって聞こえるだろう。その証拠にマアトの声は相変わらず潜められていたので、八重も同じように声を潜めて返す。


「そうか。それは何よりだ。……嗚呼、ちなみにそれの機能の一つがわかったぞ。聴覚が鋭くなるようだな。あるいは視覚や嗅覚なんかもそうかもしれん」

「はっ? なにそれ、どういうこと」

「分からんか? 普通の人間ではこの距離では、声を拾うことなど出来んぞ。まあ、視覚も良くなっているというなら気付かんでも無理はないが」

「…………それが本当ならいいんだか悪いんだか。いやいいんだろうけど、結構微妙だな」

「仕方ないだろう、時間がなかったのだから。あるだけ僥倖だと思え」


 言われてみれば確かに。えらく男たちの姿が鮮明に見えていたが、しかしそれはピアスの効果であったらしい。分からずにいれば気付かなかったが、知ってみればマアトの言う通りでなかった。先程の急に声が遠のいた理由もこれで判明したといっていいだろう。

 とはいえ、何の役に立つかと言われたら素直に答えられない。むしろ役に立つ時が来るのだろうか、という疑問が残る。だから思ったことをそのまま伝えたのだけれども、返された言葉にはぐうの音も出なかった。なにもないよりマシであろうし、何より最もたる翻訳機能が優秀過ぎたからだ。

 小さく舌打ちを一つ零してマアトから意識を逸らし、男たちの方に集中する。男たちは一つの家の前で止まって、少し煩いくらいに力強く扉を叩いていた。少しして、扉が開く。中から出てきたのは一人の男だ。歳は四十くらいに見える。見た目は殆ど人と変わらなかった。この村に住まうのは獣人だけとマアトはいっていたことから、八重はそれが獣人であるのかそれとも、男たちの仲間である男なのか判別出来ずにいたのだけれども。


「よお、おっさん。今期分の税を貰いにきたぞ。前回滞納分と合わせて、準備は出来てんだろうな?」

「……て…………」

「あ? なんだよ良く聞こえないな。もっとはっきり言えよ」

「っ! 出来てない、と言っている……そもそも、出来るわけがないんだ。此処は――」

「言い訳はいらねえんだよ。聞き飽きた。今回の分が用意出来てなかったら、っていう前の話は覚えてるよな? おい」

「へへっ、やっぱ縄ァ持って来といて良かったな。んじゃちょっくらお邪魔するぜ」

「っさせるか!」

「おっと、それはこっちの台詞だぜ。おっさんにはちょっとじっとしといてもらおうか。……ってことで、て早く済ませて来いよ。ずっと抑えられる訳じゃねえんだから」

「わあってるよ。だから、そのおっさんが邪魔しねえようにしっかり捕まえといてくれ」


 如何やら家から出てきた男は獣人らしい。八重には見分けが付かなかったが、きっとなにか見分けるポイントがあるのだろう。それは後程、マアトかクロエに聞けばいい。今はそれよりも目の前の起こっていることの情報整理が優先である。

 如何やら男たちは衛兵というよりは、取り立てを主だった仕事とする人間のようであった。そしてこの村は前回の分を延滞しているらしいということ。滞納したものと今回の分の代わりに、家の中にある何かを男たちは回収しようとしているらしい。縄、という単語が出てきた事から凡そ予想はついた。

――納められない税の代わりに人を攫っていく。そしてそれが、きっとこの村に住まう方の男の子供か妻だろいうことも。かなり気分が悪かった。現代でもそういうことがまかり通っている国があることも分かっている。過去、植民地支配などの歴史だってあることだって、習ったけれど。しかし実際目の前で見るのとでは訳が違う。

 然し八重は動こうとしなかった。気分が悪いとは言っても、結局八重とは無関係の人間である。無関係以前の問題でもあるだろう。おまけに八重は何の力を持たないのだから。此処で飛び出て行ったところで、何が出来る訳でもなかった。であれば、此処でじっとしてやり過ごすのが、間違いなく正解だろう。分かっていたから、じっとしていたのだけれども。


「やだ、やだっ! はなして、はなしてってば!」

「リリィっ……!」

「あー耳元でうるせえ。一発殴って大人しくさせ――」

「るなよ。そいつは大事な商品なんだから。万一傷が付いたら値が下がっちまう。縄も……分かってんな?」

「言われなくても、しっかり巻きつつ、跡が残らねえ巻き方にしたっつうの」


 家の中に入った男が連れてきた少女を見て、固まる。

 年の頃は十二くらいだろうか。顔までは流石に見えなかったが、その年の頃といえば如何しても八重には連想せざるを得ない人物がいた。背格好は全く似ていなかったが――何せ少女は甘ったるそうな蜂蜜色の髪の上に、獣人だとすぐわかるような耳を、二つほどぴょっこりと生やしていた――雰囲気も何処となく似ている。

――約束だよ、ずっと一緒にいるって。

 そう随分と前に約束を交わした相手。如何しても八重がこの世界から帰りたかった、理由そのものである存在。愛してやまない、可愛い六つ下の妹に。

 だからだろうか、気が付けば八重の身体は自然と動き出していた。後ろでマアトとクロエが何か言っていたような気がする。けれどそんなものは今の八重には聞こえていても、関係なかった。ただ、姿形の全く似ていない、赤の他人であったとしても、妹を少しでも投影してしまえば。助けなければと勝手に脳が指令を出すのだから。無意識的に動いているせいか、何時もより足が早くなっている気がした。


「……誰だありゃ?」

「さあ。みたところ人間っぽいが――」


 男の言葉はそこで途切れる。八重が鳩尾を狙って男に殴りかかったからだ。勿論、少女を抱えていない、少女の父親らしき人を抑えていた方に。八重が殴りかかる少し前に臨戦態勢に入る為か、父親らしき人を解放しており、巻き込む恐れがないと判断したからである。

 人を殴るというのは存外痛いもので、じんじんと熱を保っている。然し今はそれよりも、驚きの方が強かった。というのも、八重が殴った男ががっ、とかぐう、とか呻き声を漏らしながら、地面に仰向けで倒れているから。

 確かに鳩尾を殴れば痛いだろう。けれど八重は武術の一つとして嗜んでいない。もっと言えば喧嘩もした事はなく、誰かを殴った経験なんて皆無。運動だって学校の体育や通学の際に歩く程度。だというのに、この威力である。驚くなという方が無理な話だろう。


「あちゃー。やっちゃいましたねあいつ」

「ふむ。成る程、身体能力もそこそこ上がるのか。これは僥倖僥倖、いい収穫だ」

「マアト様っ! そんなこと言ってる場合じゃないですよ! あの馬鹿が出ていって勝手な行動を取ったせいで、捕まったら全部おじゃんになるじゃないですか! どうするんです、というかどうしましょう!」

「なに、なんとかなるさ。危なくなったら私らが出て行けばいいだけの話だ」

「ちょ……! マアト様それはだめです絶対だめ! そんなことしたら人間に――」

「クロエとヤエがいるのだぞ。それであの程度の人間に捕まるとは思っておらん」

「っマアト様……!」


 そんな八重を尻目に、マアトとクロエは裏路地に潜伏を続けていた。相変わらず声は潜められている。呑気な様子で構えているマアトをみて、クロエは頭を抱えるが、然し。敬愛するマアトが言外に信頼している、といえばクロエはその目を輝かせた。八重と同列に語られている事は気付いていないと言わんばかりに。

 驚きで固まっていた八重に、抱えていた少女をそのまま殴り掛かろうとした男が見えればマアトはクロエ、と名を呼んだ。一瞬だけ不快そうに眉間に皺を寄せたが、けれどもマアトの指示である。であれば仕方がない。

 返事をする間も惜しんで、クロエは表通りに躍り出れば腕を前に突き出す。そうすれば男に目掛けて飛び出す縄。それに追従するかのようにもう一本縄が飛び出して、少女をひょいと奪い去れば最初に飛び出した縄が男をぐるぐると簀巻きにした。口まで塞がれていたのはついでだろう。男はもごもごと何かを言っているが、縄のせいで音にならずにいる。


「あなたが勝手に出るから私が尻拭いする羽目になったじゃないですか。後で損害賠償を要求します」

「………………、……俺お前に何の損害も与えてないんだけど」

「与えましたよ! あなたを助ける事によって私の生命と精神が削られました。多大なる損害です。物資や金銭では賄えないほどの損害ですよ、これを損害と言わずにしてなんというんですか」


 あっという間に目の前で行われた一連のそれに、八重は瞠目していた。が、ふんと鼻を鳴らしながら近付くクロエにそう言われれば、たっぷりと間を置いた後。疲れたように呟いた。次いで真顔で言われた反論は、突っ込みどころが満載。然し今はそれに突っ込む気力というものが、八重の中には一切残っていなかった。

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