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第一話

 鬱蒼と生い茂った木々。辺り一面に生えている伸び切った雑草。視界を遮りはしないが、走っている今その雑草は足に、腕に、腰に絡みつく。邪魔で仕方がなかった。腕で掻き分けるようにしながら走っているが、それでも何度も足を縺れさせる要因になり、かつそのうち幾度かは実際に転倒している。そのせいか、着ている服も顔も身体も、至る所が泥だらけだった。


「っなん、なんだよ! くそっ!」


 今度は雑草ではなく、いっとう大きな木の根に足を取られて、転倒する。頭から派手に倒れ込み、思わず足が引っかかった木の根を握り拳で叩いて悪態をつく。それが無駄だとは分かっていても、やらずにはいられなかった。一瞬を時間を置いて、すぐに立ち上がる。既に長い時間走っているせいで、膝は笑っていたが此処で立ち止まることは出来ない。

 何故なら、すぐ後ろから良く分からない獣のような化け物が、追い掛けて来ているからである。

 もしかしたらこの森の中だ。既に獲物としては認識されず、諦めて立ち去った後かもしれない。しかしもしそうだったとして。他にあの獣のような存在が、この森に生息していないとも限らないのだ。であれば、一刻も早くこの森を抜けきってしまいたい。

 何の対抗手段も持たない今、襲われたら抵抗する間もなく食べられてしまうだろう。分かっていたから、出口を探して焦っていた。

 また走り出す。一度止まってしまったせいか、蓄積された疲労が出てきたのかもしれない。思うように足が動かなかったが、それでもこの薄暗い森の中、ひときわ濃い光が差す前だけを目指す。


「…………は、っは……抜け、た……か?」


 光に近づくにつれ低くなっていく雑草の背丈。相変わらず木々は立ち並んでいたが、しかし雑草のそれが出口が近いことを示しているように思えてならず、既に悲鳴を上げている身体に鞭を打ち、一層スピードを速めた。

 光に届いた、と思った時。目の前に広がったのは広大な草原。遠くには小さくだが山も見える。息も絶え絶えに小さく呟き、その場に座り込みたい気持ちを抑えつつ、スピードを緩め、ゆったりとした歩調で森から少し離れたところまで歩く。そうしてようやっと、身体から力が抜けたかのように、ぺたりと草の上に座り込んだ。


「つ、かれた。なんだよあれ。つうか此処、何処だよ。意味わかんねえ……」


 深い息を吐く。頭を抱えて、現状と自分に起きた何かを整理しようと、思考を巡らす。

 けれど分かったことといえば、学校帰りに突然道に開いた穴に落ち、気が付けばあの薄暗くじめじめした森の中にいたこと。同時に、良く分からない化け物に襲い掛かられそうになったこと。ただ、それだけだった。

 あまりにも非現実的な出来事に、いっそ夢かと思う。しかしそうでないのは、この身体の痛みと恐怖が嫌という程教えてくれている。夢であればどんなに良かったか、と思いながらとりあえず今後どうするかを考えた。悲観して如何にかなるのであればそうしたい気持ちは山々だが、そうではない。此処が何処かも分からない以上――少なくとも化け物の出現とこの無駄に広い草原などから、日本ではないだろうと予想は立てていた――早急に、どうするべきか考えねば最悪この場で餓死、という事も有りうる。

 万が一、の想定をして思わず先ほど味わった恐怖とは違う恐怖を感じ、ふるりと身を震わせた。それは純粋な死への恐怖というよりも、待つ人へ死を知らせる事が出来ない事への恐怖。――避けねばならないと思った。大切な人を一人、待たせるのだけは。だって約束したのだから。

 思い出せば今すぐにでも動かねばならぬ気がして、もうすっかり余力など残っていない身体を奮い立たせ、立ち上がろうとした、その時。


「なんだこんなところに居たのか。探したというのに、よもやあの森を自力で抜けようとは。流石選ばれただけのことはあるな。この私の見立ては、間違っていなかったということか」


 軽やかな声がした。先ほどの森には似つかず、今此処にある草原のような声。思わずぎょっと眉間に皺を寄せながら、声がした方に視線を向ける。

 さらりと風に靡く、今にも地面につきそうなほど長い、てっぺんから塵でも被ったかのような灰色の髪。それを引き立てるかのように、燃える炎のような、鮮やかな赤い色をした瞳。何よりも目に付いたのは、雪を思わせる真っ白な拘束衣と身体中に巻き付いた鉛色の鎖。両足はかろうじで動くだろうが、しかしその手は胸の少し下で組まれたまま、動かせそうにもなかった。

 あまりにも場違いなその存在に、暫し目を瞬かせて見入る。


「……なんだ? そんなに私を見つめて……ああ、これか。余りに気にするな。下等生物が私を恐れて、ぐるぐると簀巻きにしただけだから。全く、動きにくいったらありゃしない」


 目の前に突如現れた少女は、やれやれと言わんばかりに首を左右に振って、そのせいで顔にかかった髪を鬱蒼しそうに首を動かし払いのけた。はあ、となんとも言えない返事しか返すこと出来ない。相変わらず眉間に皺は寄ったままだ。


「して。そなた名前をなんという?」

「……いや、そんな知らない人に自分の名前名乗るとか、流石に」

「ふむ、それもそうか。ならば私から名乗ろう。私はマアト。真理、調和、秩序を司る神――といえば、分かるか?」

「はあ……はあ? すみませんちょっと今人様の妄言に付き合ってる余裕はないんで、ほか当たってくれませんか」


 突拍子もない発言に、思わず間抜けな声を出す。名をマアト、そして自らを神だと名乗る少女はどれだけみても神っぽさがない。そういうものだと言われたらそれまでだが、しかし信じるに値するものが何一つとしてない現状、はいそうですかと信じる方が馬鹿だろう。

 至極真面目な声で適当にあしらって、一切の無視を決め込もうとしたのだけれども。


「妄言ではない……とはいって、信じるわけがなさそうな顔をしているな。本来であれば力の一つでも見せつければいいのだが、今は拘束されているが故になかなか厳しいものがあるし、そもそも私の力が使えたらお前を呼ぶ必要なんてなかったんだ」

「そうですか……それじゃあ、俺はこの辺りで……」

「待て待て待て! お前今自分がどんな状況に置かれてるのか、知りたくないのか⁉︎」

「……まあ、そりゃ知りたいっちゃ知りたいですけど。あなた、それ教えてくれるんですか? っていうのと、信じられそうにないのでという理由で、あなたから聞くのは辞退させてもらおうかと」


 如何やら自称神は諦めが悪いらしい。思わず溢れそうになるため息をぐっと堪え、けれど呆れた様子は隠さずに対応する。正直態度を改めないのであれば、溜息を隠す必要もなかっただろうが、しかしそれはまあ本人の好き好き。今はきっとそうしたかった気分だったのだろう。

 然し自称神はそんなことは構う様子もなく「いいか? 良く聞け」と拘束衣の下でぴ、と指を立てる。正直遠目であれば絶対そうであるとは分からない。けれど比較的近かったが為に見えてしまったが故、思わずその姿の残念さに哀れな視線を向けてしまう。無論自称神はそんなこと気にした様子を見せなかったが。


「此処はデオドラント皇国とマグヌスキア帝国の国境の皇国側だ。先程お前が抜けてきた森は、魔の森と呼ばれ、殲滅し損ねた魔獣や魔族の住処になっている。とはいえ、森から出てこないし、この辺りは帝国も皇国も辺り一帯人の立ち入らぬ草原。おまけに魔族も魔獣も人に恐れをなして隠れ住んでいる。両国共にそのよわっちくなった存在は放置して、大国の人間同士いがみ合ってる真っ最中。他の小国もご競り合いを続けているし、何時大戦の火蓋が切って落とされても不思議ではない情勢だ。もしそうなればこの世界はあっという間に朽ち果ててしまうだろう。無論問題はそれ以外にも山積みなのだ。……ということで、私はこの世界の情勢を正す為にこの地に降りた訳だが、堂々と魔族を復活させるなどと言ったのが悪かったのか、あっという間にこの状態だ。その名が示す通りの力しか持たん私では人間に太刀打ち出来ず、最後の力を使って私の代理となれるようなものを呼び寄せたのだ。そうしてそれが、お前なのだが……って、おい待て待て待てっ! 人の話途中で立ち去ろうとする奴があるか! 最後まで人の話を聞け!」

「って言われましてもね。なのその良くありそうな異世界転生ものの設定、っていうのが正直な感想で。現実味無さすぎて笑いすらも起こらないんですが、どうしたらいいっすか」

「現実味がない……だと……?」

「そう。現実味がない。神だとか、皇国だとか帝国だとか。魔族やら魔獣やら。そういうの全部、俺の世界に溢れてる小説とかアニメとか、そういうので良くある設定なんですよ。だからさっきまですげーリアルだったのに、突然夢の中にぶち込まれた気分になってるんですよね、俺」

「そうは言われても、これが事実だしな……さて、どうしたものやら……嗚呼、そうだ! 一ついい手があるぞ! お前も私も救われて幸せになる道だ!」

「はあ……で、それはどんなものなんです? 碌でもなかったら今度こそ俺立ち去るんでその辺り――」

「なに、案ずるな。お前のその心配など杞憂に過ぎないどすぐ分かるだろう」

「って、人の言葉に被せんなっつーの」


 話が長く、リアリティのないことを言い出したマアトを尻目に立ち上がろうとした、けれど途中で止められてしまったが故、中途半端に浮いていた腰。森の中で使い果たした筋力では身体を支えることが出来ず、小さく毒吐きながら不本意ながらも、どさりとまた草の上に腰を下ろす。

 そうして名案だと言わんばかりに、未だに胸を張っているマアトに早く、と先を促した。


「ふふん、聞いて驚くなよ? ……お前と私が二人で街に降りればいい。お前は情報が得られるし街まで辿り着ける。私はお前に自分の話の正当性を示せる。な? これ以上になく利害が一致して、いい話だと思わんか?」

「……まあ、それは確かに」

「だろう! ならば私の話が真だと証明された暁には、私を手伝ってもらうぞ!」

「えっ流石にそこまでは確約しないっていうかそこから考えるっていうか、俺の家に帰りたいんだけど? そういう選択肢はないの?」

「ない。……というより、無理だな。これから私が解放されぬ限り、お前は帰れない。ついでに言うと、私の拘束を解こうと思うならば、この世界を正すしか道はない」

「………………なにその、詰みゲー」


 思わず目が死んでしまう。マアトの話を全面的に信じた訳ではなかったが、然しあの突然開いた穴や、それに落ちる感覚。化け物に襲われた恐怖を思い出せば、あながち全て間違いであるとは否定できなかった。

 とはいえ、やはり夢物語のようなそれらは、現実味を帯びない。俄かには信じられず、どっきりでした! なんて立て札が今に出てきそうな気がしている。もし本当にそうであれば、ただの一般人に、こんな壮大なドッキリと仕掛ける理由が全く分からないが。

 何にせよマアトの話は決して悪いものではなかった。これ――二人で街に降りるという話――にばかりは諸手を挙げて賛成の意を示す。その後は話が全て本当であった場合に要相談とすればいいだろう。

 潔く決断すれば、再度草の上に下ろしていた腰を持ち上げ、立ち上がる。


「で、どっちに行けばいいの?」

「……ふむ。少しは信じてくれる気になったのか」

「なにその都合のいい解釈。違うって。とりあえず街に降りるって話。自分で言ったの忘れたとか言わないよね? ついさっきの話なんだから」

「当たり前だ。私の記憶力をなめるなよ!」

「はいはい。そういうのいいから。どっちなんだよ」

「うむ。街へはこっちだ。ついて参れ…………、で、ところでお前名前は? 道を共にするなら呼ぶ名が必要であろう」

「……まあ、一理あるっちゃある、か。八重……雪城八重。それが俺の名前だ」

「ユキシロヤエ……なるほど女みたいな名前だな、お前には似合わん」

「うるせえ自分でも分かってるっつーの。っつーか、お前名前の良し悪しとかわかんのかよ」

「そりゃな、私はなんていったって神だ。お前がいた世界のことだってちゃんと知っているぞ。生憎と今は私の管轄外だが、昔はそちらの世界の秩序を守っていたのだから」

「……ふうん、あ、っそう」


 昔から散々女のような名前だと言われ続けたが故、自分でも自覚していた。それでからかわれたことなんて、両手でも足りないだろう。だから今更そのことについてはなんとも思わなかったし、おまけと言わんばかりにマアトの話を適当に流す。それに既に敬意を払うつもりもないのか、形ばかりでもあった敬語すら失われている。

 そのことにマアトが怒ることもなく――というより八重の声が聞こえていなかっただけという可能性が高い――嬉々とした様子で先導し始めた。マアトのこのテンションに暫し付き合わなくてはならないと思うと、自然ため息が漏れたのは仕方がない事なのかもしれない。

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