第3話 漆黒の人形
久遠舘学院高等部には保健室が二つある。校舎自体が南と北の二つあってそれぞれに保健室があるのだがその用途が違ってくる。まず南の校舎にあるのが所謂普通の保健室。
一方で北校舎の保健室はと言うと、【念晶者】に目覚めた者や、北校舎の更に北側に伸びた渡り廊下の先にある、異能の発現や制御の授業で使われる〝実技演習場〟で怪我や暴走した者が運ばれる。浅陽が超音波を発しそうな暴走族の元総長を運んでいったのはこちらだ。
「意識の無い人間の身体って何であんなに重いんだろ」
放課後に突入したようで、賑やかな声が聞こえてくる。保健室へ男の搬送を終えた報告をしようと浅陽は携帯端末を取り出した。
「あれ? メールだ。しかも緊急連らk……、───ッ?!」
突如、彼女は背中がざわつくような嫌な気配を感じ取った。そこへまるで大型トラックでも突っ込んで来たようなもの凄い衝撃と音がして校舎の壁に穴が開いた。
「なに?!」
只事ではない状況に浅陽は一瞬で臨戦態勢に入った。もうもうと立ち込める粉塵。さっきまで壁だった瓦礫が浅陽の前に転がっている。まもなくして粉塵が少し晴れてきて状況が少しずつ見えてきた。
「……ん?」
その粉塵の中に、まるで空間にポッカリと底の見えない深い穴が出現したような《《昏い輝きを放つ闇》》のような何かを浅陽は見た。そしてその穴が人間の形をして蠢いていることからも、それがこの世界に在るべきモノではないことが一目で分かった。
更に言うなら、浅陽はソレに見覚えがあった。いや、忘れられる筈も無かった。───彼女の脳裏に二年前の記憶が蘇る。
───燃え盛る炎。
───冷たくなっていく身体。
───そして黒い……、
「お前はぁぁぁぁぁっーーー!!」
今にも天を衝きそうなくらいに波打つ彼女の赤い髪。怒りが頭を支配していく。だが踏み出そうとした足が動かない。恐怖? いや、そんな精神的な要因ではなく、物理的に足を床に縫いつけられているような感覚。
見ると脛の中頃まで凍りついて床と一つになっていた。浅陽に気づかれずそんな芸当が出来るのは彼女が知る限り一人だけ。その顔が浮かんだからか、はたまた冷気のせいか、怒りで沸騰しそうだった浅陽の頭が少し冷えた。
「それはワタシの獲物よ」
それを待っていたかのように、何処からともなく冷たく抑揚のない声がした。直後、ポッカリ開いた校舎の穴から冷気が流れ込んできて、粉塵を一気に消し去った。
「……あんた、授業サボって何してんのよ?」
浅陽は声のした方をジト〜っと見ていた。
「学校の授業よりも大切な事ってあると思うの。ワタシやアナタのような人種にはね」
舞台袖から登場する役者のように、銀髪の少女が姿を現した。
「少なくとも私は、果たすべき使命の為なら命すら惜しくはない」
そう言ってミシェル・J・リンクスは瑠璃色の宝玉の付いた杖を振り翳した。すると黒い影を取り囲むように無数の氷の矢が出現した。そして何の勧告も無しに彼女が杖を振り下ろすと、容赦なく氷の矢は黒い影に降り注いだ。それらは瞬く間に黒い影を貫くと、侵蝕するように表面を凍らせていき、やがて棺のような氷塊と化した。
「あら……?」
ミシェルは首を傾げた。彼女の目の前に出来上がった氷塊が、手前にある大きな物と、奥にある一回り小さい物の二つあったからだ。と、小さい方の氷塊に亀裂が走った。そして、
「───っだぁッ!!」
氷塊の中で爆発でも起きたかのように氷が砕け散り、そこから赤髪の少女が姿を現した。
「……はぁっ、……はぁっ、……あんた、あたしを殺す気?」
寒さからなのか怒りなのか浅陽は顔を真っ赤にしている。
「……残念」
心底残念そうにミシェルは溜め息を吐いた。
「あんたねぇ……」
せめて何か言い返してやろうと思っていた浅陽だが、ミシェルの様子を見て思い留まった。
「これは───!?」
出来上がった氷塊を見たミシェルが驚きを露わにしていたからだ。
「どうしたのよ? いつも通り討伐完了でしょ?」
髪や制服に付いた氷の欠片を払いながら浅陽も氷塊を見上げた。
「そうね……」
「つーかさ、〝視〟てるだけで薄気味悪いわよね、こいつ。普通の人間だったら魂を持っていかれてしまいそうなほどに」
氷漬けになった影を〝視〟た感想を浅陽はポツリと呟いた。そして、
「……ってかさ」
声のトーンをぐっと低くして続ける。
「アサヒ?」
浅陽らしからぬ剣呑な雰囲気に、ミシェルは少しギョッとした。
「あんた、コレが何か知ってるの?」
「ええ。知っているけれど、それが?」
「コイツは一体───!」
掴みかかりそうな勢いで浅陽は駆け寄る。ミシェルはそれをマタドールの様にヒラリと避けた。彼女の必死な様子が、只事ではないと思いながら。
「落ち着いて、アサヒ。知っていると言っても、コイツらが世界各地で【顕現者】を襲っているということだけ」
「【顕現者】を?」
「正体不明の存在であるアレを便宜上〝黒晶人形〟と、我々【ヘブンズノーツ】は呼んでいるけど。本当にそれだけ」
【ヘブンズノーツ】とは欧州を中心に活動している少数精鋭の魔術結社で、ミシェル・J・リンクスが本来所属している組織である。彼女はとある任務による出向という形で現在、親交のある【異能研】に身を置いていた。
「もりおん……?」
「黒色の水晶のことを『モリオン』というのよ」
「黒水晶……」
浅陽が見た〝黒晶人形〟は確かに言われてみると鉱物のような輝きを放っていたようにも見えた。だが、それだけでは無い何かがあるのは間違いないと浅陽は感じ取っていた。
「アサヒ、アナタまさかコイツらに遭遇したことがあるの?」
それに対する答えは、俯いていても分かる浅陽の剣呑な表情を見れば一目瞭然だった。
「……まあいいわ。ところで折角捕らえたのだし、分析してもらおうと思うのだけど」
しかし浅陽はまるでミシェルの声が聞こえていないかのように何の反応も示さない。
「アサヒ……、ッ?!」
ミシェルは浅陽の顔を覗き込んで少し後悔した。いつも勝気で後ろを向く事を知らないような浅陽のその瞳から、涙が一筋零れ落ちたのを目撃してしまったからだ。
おそらく彼女からしたら見られたくない物の一つだろうとミシェルは勝手に、いや、半年程度の短い間ではあるがミシェルなりに浅陽を見てきた上でそう判断した。
「え……? な、なに?」
浅陽は慌てて涙を拭って何とも無い振りを、ミシェルはそれらを見ていない振りをした。
「〝黒晶人形〟は貴重なサンプルよ。そして幸いな事に【異能研】には世界でも指折りの分析のエキスパートがいる」
「サンプルって、もしかして〝黒晶人形〟?」
「ええ。目撃した者は漏れなく雲の上か、良くてベッドの上。こうして捕獲したという前例は聞いた事がない。もしコイツの正体が少しでも分かれば───」
そう言うミシェルの瞳の奥に、闇夜に浮かぶ鬼火のような妖しい輝きを浅陽は見た気がした。
「……そうだね。あたしも〝黒晶人形〟の正体を知りたい」
僅かに逡巡した浅陽だが彼女の中のある感情の方が圧倒的に勝っていた。浅陽は携帯端末を取り出し、とある番号を呼び出してコールした。
「もしもし……」
つづく