第289話 とある二人とその周り
放課後。
梨遠から話があるということで、岳中秋穂は教室で一人ぽつんと座っていた。
教室はまるで周りの時間から切り離されているかのように静かだ。外から聞こえる運動部のかけ声や楽器の音色がやけに遠く感じられる。
普通の高校となんら変わることのない日常がそこにある。異能に関する事柄が溢れているこの場所でもそれはたしかに存在する。
それを実感しつつ時計を見る。
午後の三時半を少し過ぎたところだった。
「四時からシフト入ってるんだけど、どうしよう」
時間が迫りそわそわしてきた。
そこへ教室の前の扉が開いて梨遠が入ってきた。
「遅くなってすまない」
駆け寄ってきて前の席の椅子を跨いで後ろ向きに座った。生徒と話をするというよりも友達と話でもするかのように。
「話って何ですか、先生? 四時からシフト入ってるんですけど」
秋穂も膝を揃えて梨遠に面と向かう。
「それなら少しくらい遅れても構わないと言われている」
「言われている?」
秋穂は怪訝そうに眉を寄せる。
「少し話をしてやってくれとオーナーである羽衣から言われてな」
「オーナーが?」
「最近元気がないって心配してた。もちろん私も気にかけていた」
言われて俯く秋穂。
「事情はまあ、察しはついている」
「えっ?」
顔を上げた秋穂の頬がかすかに赤い。
「先に断っておくが、誰かから聞いたというわけではないぞ。岳中が誰を見てどう想っていたかなど周りから見れば一目瞭然だったからな」
以前に浅陽から同じように指摘されたのを秋穂は思い出す。
「そこに〝彼女〟がやってくれば自ずと答えは見えてくる」
その〝彼女〟が誰を指しているのかはすぐに分かった。
「ただまあその答えが分かったのは私と、せいぜい羽衣のやつだけだろうがな」
「どういうことですか?」
「あの二人のことは、ワケあって昔から知っててな」
「そう……だったんですか?」
秋穂は驚いて目を見開いている。
「……当時近所に住んでいた私はよく二人の面倒を見ていたんだ」
その頃を懐かしむように、頬杖をつきながら軽く外を眺めた。
「あの二人は小さい頃からどこへ行くにもいっつも一緒で兄妹みたいに育ったんだ」
「幼馴染みだったんですね」
「二人に比べて少し年は離れていたがな」
梨遠は苦笑する。
「……だから、かつて二人が遠くへ行ってしまった時は落ち込んで、友人から心配されてしまう時もあった」
秋穂は沈痛な面持ちになったが、それはすぐに笑顔に変わった。
「でも戻ってきたじゃないですか。よかったですね」
梨遠はきょとんとした。
「先生?」
呼ばれてハッと我に返る。
「……そうだな。だからというわけではないが、お前の気持ちは少し分かる気がする。まあお前はそんな状態からは抜け出しつつあるようだけどな」
「割り切ったつもりではいるんです。でもやっぱりそう簡単にはいかなくて……」
秋穂の表情がまた少し沈む。
「本気だったんだな」
「……はい」
本気だったからなかなか割り切れない人間もいれば、本気だったからこそしっかりとけじめをつける人間もいる。
それは個人の育った環境、培った経験、備わった資質によって左右される。しかしどちらが正しいということはない
人の感情は複雑だ。
頭では理解っていても、心が納得しきれないこともある。それは恋愛に限らず、日常のあちこちに在る。
現代社会において理性的に思考に従って心を納得させることも時には必要である。しかしそればかり続けていれば、負担をかけ続けられた心はいつしか潰れてしまう。
だから人はそういったモノを発散させる趣味を持つし、拠り所となる恋愛対象を求める。それが異性であれ同性であれ、三次元であれ二次元であれ、当人の心の負担を減らせるのであればそれに越したことはない。
そうして人はまた恋をして頭を、心を悩ませる。
叶うか叶わないかは時の運。人事を尽くし天命を待ったところで他人の心は他人の心。
それでも人は恋をする。
人の感情は複雑だ。
「……でも」
悲しそうな表情から一転して、秋穂の瞳に力の籠もった光が灯った。
「美那ちゃんが私のことを見てるんです」
「美那ちゃんが?」
秋穂は頷く。
「負けないぞって。そんな感じの目で私を見るんです」
「負けないぞ?」
極めて局地的な視点で見れば美那は勝者だ。その彼女が秋穂をライバル視しているという。
「でも決してイヤな感じじゃなくて、どちらかと言えば清々しいって言うか心地いいって言うか。とにかくそれに元気づけられるんです」
「……なるほど」
梨遠は得心したように微笑む。
「先生?」
「よほど気に入られたみたいだな、美那ちゃんに」
「……そうだといいんですけど」
「恋敵である相手に心からそう思える岳中だからこそ、あの子も本気でお前と向き合いたいんだろう。そういう子だ、美那ちゃんは」
「浅陽ちゃんとはちょっと違う、とても真っ直ぐな人なんですね」
くすりと笑うと秋穂は席から立ち上がった。
「ありがとうございます、先生。だんだかとてもスッキリした気分です」
勢いよく頭を下げると、鞄を持って教室から出ていった。
「あの表情ならもう大丈夫だろう」
その背中を見送って梨遠は優しい顔で呟いた。
つづく




