第272話 積もり積もった穢れ
───一月九日 土曜日───
「山中に残ったかすかな妖気から、昨夜霧園山に現れた無数の影は山に染みついた〝人々の負の感情〟の欠片であることが分かりました」
車椅子に座った七波奏観が調査結果を伝えた。
昨晩二十時頃から約一時間の間に観測されていた妖気の澱───美那達の見た黒い影。
それらが消えてから一晩中、【異能研】の中でも五感に特化した【顕現者】で構成されている調査班が山の中をくまなく調査していた。
そして今回の事態の結果、及び今後の対策を講じるための会議が生徒会棟から地下に下っていった【異能研】本部の会議室で朝から開かれていた。
演台として奥に置かれた長机一枚を除いて机は取り除かれ、演台と対面するように椅子が7×5で並べられている。
演台には議長として中央に迅水めぐり、向かって右側に榊原梨遠、左側に七波奏観が座っている。
「山に染みついた負の感情って、霧園山には結界があるんじゃなかったっけ?」
最前列左端に座っている明星美那がぽつりと呟いた。
負の念であることは前の晩に緋織に聞いていたが、その時は結界のことまで気にしていなかった。
「霧園山にはたしかに破邪の結界が張られています」
美那の呟きをしっかりと聞いていた迅水めぐりが回答した。
「山の周りに住んでいるからといって負の感情が無いわけじゃないし、山頂の神社に訪れる多くの参拝客だって同じだ。むしろ参拝客の多くは穢れを払っていく」
最前列中央の水薙誠夜が口を開いた。
「山頂に神社が建立されたのはおよそ千年前。しかしそれより前から霧園山は信仰の対象とされてきた。その頃からずっと、山には参拝者の落としていった穢れ───負の念が溜まっていたのだと思われる」
現在浅陽が不在の為、兄である彼が霧園山の守護を任されている。
「通常少量であれば自然に浄化されますし、御山の結界はその効果が数倍に引き上げられています。ですが近年浄化しきれずに積もりに積もったそれらが、昨晩観測された大きな妖気に触発されて一時的に現世に滲み出てしまったようです」
調査結果から奏観がそう推測する。
「その大きな妖気についてだが、今朝〝代表〟から連絡があった。どうやら八十年前の災厄が関係しているらしい」
榊原梨遠が携帯端末に届いた伝達事項に目を通して読み上げると、会議室がにわかにざわつきだした。
八十年前の災厄。
【顕現者】が表舞台に姿を現す転機となった大災厄。
霧ヶ浜に一匹の龍が現れ、近隣を混沌に貶めた。
それを当時の術者が撃退するも四方へ呪詛をまき散らし、北米、欧州、東アジア、南太平洋で神獣級の化け物が暴れ回ることとなった。
その元凶とも言われている霧ヶ浜での災厄だ。
ざわつくのも無理はない。
「では俺達も出動ですか?」
緊張の面持ちで誠夜が訊くと、梨遠に視線が集中した。
「いや。「こちらで対処する」と仰っている」
「そもそも誠夜さんは、御山の守護代理なのですから離れるわけにはいかないじゃないですか」
「その本来の守護者である浅陽だが、しばらく向こうに残るそうだ」
「浅陽が?」
首を傾げる美那。
「ああ。なんでも〝希望の光〟の一人なんだとか」
会議出席者全員の頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「私もよく分からんが、あの『薄雲星明』が言ったということらしい」
また室内がざわついた。
薄雲星明といえば知らぬ者はいないと言われるほどの高名な占い師だ。もちろん【顕現者】で、未来視を得意とし国内外の著名人が彼女に視てもらいに来る。
「救援要請があればもちろん派遣する。それまでは普段通りだが昨夜のようなことがまた起こることは十分に考えられる。警戒は怠るな」
「御山の件ですが、結界の強化をと思ったのですが肝心の浅陽さんが戻らないのであれば見送るしかありませんね」
「誠夜くんじゃできないんだ?」
美那の問いかけにざわめきが拡がる。
【顕現者】の間で〝水薙家〟を知らない者はいない。
御山の管理者であることも、女性が当主を務めることも皆知っている。
【念晶者】は家系ではなく個人で発現するので知らない者も多いが、【異能研】に所属すればどこかで知ることもあるだろう。
ここ【異能研】本部のある【久遠舘学院】の所属なら兄妹のどちらかと関わることも少なくないので入ったばかりの者でない限りは【念晶者】でもその事情は知っている。
だからそのざわめきは、入ったばかりの者が兄よりも妹の方が高い権限を持っているのではと訊いたと思われることによるものが一つ。
もう一つがその入ったばかりの者───明星美那が編入した学年が高校一年生であるということだ。
現在高校二年生で風紀委員長を務める水薙誠夜。
決して強面というわけでもなく、どちらかと言えば整った顔立ちをしている。少々ぶっきらぼうなところがあるため険し目の表情が多いので、初対面から初めて会話を交わすくらいまでは怯んでしまう者も少なくない。
しかし彼女は、大勢の集まっている会議の最中に、ごく普通に話しかけるように〝くん〟付けで下の名前を呼び、タメ口で話しかけた。
これに彼女の事情を知らない者達が戦慄いたのだ。風紀委員長の機嫌を損ねてしまうのではないかと。
「ああ。あくまで管理権限は次期当主である浅陽にある。俺は結界の要を守るだけだ」
誠夜はいつも通りにごく普通に答えた。
美那からしてみれば年下だった誠夜が、紆余曲折あって年上になってしまったわけだが、年上扱いするのが違和感しかなかったので以前のままの呼び方をしている。
無論、誠夜達も彼女の事情を知った上で了承している。年齢による上下関係よりも、背中を預ける仲間として彼女の実力を認め、横の繋がりを重要視しているからだ。
「私達がやるべきことは、昨晩の出来事が再発して一般市民に被害がでるのを防ぐことです。後手にはなってしまいますが皆さん、よろしくお願いします」
めぐりのその一言で会議はお開きとなった。
「み……明星とリンクス」
梨遠は「美那ちゃん」と呼んでしまいそうになったのをすぐ苗字で呼びなおした。示しがつかないとけじめをつける。
「はい?」
応える美那に対し、後ろの方の椅子に座っていたミシェルは出ていこうとしたところを無言で振り返った。
「二人にちょっと訊きたいことがある」
真剣な面持ちで梨遠が告げた。
つづく




