第210話 涼香⑤
夜の砂浜に佇む叢丞は打ちのめされていた。
いくら涙が流れていっても、罪悪感、後悔、自己嫌悪や自責の念は消えることはない。
「兄様」
叢丞が振り返るとそこに〝涼香〟が立っていた。
「何を泣いておられるのですか?」
「お前は……誰だ?」
「涼香は涼香でございます」
「嘘だっ! 涼香は、涼香は三年前に死んだ。僕が殺したんだっ……!」
「思い……出されたのですね?」
「じゃあ、やっぱりお前は……!」
涼香の姿をしたモノはただ黙って叢丞を見つめる。そして、静かに口を開いた。
「あれは……事故だったのです」
「違うっ! 僕が、僕が力の制御を出来なかったせいで涼香を巻き込んだんだっ!!」
「兄様のせいではありません」
泣き崩れる叢丞の頭を涼香は優しく抱きしめる。
「え?」
「涼香は決して兄様を恨んではいませんよ」
「そんな筈っ……」
今や叢丞はかつての〝霊能〟を取り戻していた。
だから理解る。
彼女が霊体なのが。
しかしその魂が涼香であることが。
そして流れ込んでくる想いが彼女の真意であることが、今の叢丞には手に取るように理解出来た。
「この感覚……。本当に涼香なんだね」
「はい」
そう理解出来ると、いつの間にか涙は止まっていた。
「ごめんよ、涼香」
「いいえ」
「痛かっただろう……?」
「そんなことはありませんでしたよ」
「……こんな僕を許してくれるというのか?」
「はい。もちろんです」
そう即答して涼香は笑顔を見せる。
その笑顔は涼香以外の誰でもなくて───。
叢丞の好きだった涼香の笑顔だった。
「こうして兄様といられるのは母様のおかげなのです」
「母上の式神、か」
屋敷での颯季とレインの会話を叢丞は思い出した。
「はい」
「いったいどうして……?」
「兄様が涼香をとても愛してくださっていたのは存じておりました」
「う、うん」
改めて当人から言われると叢丞は少し面映ゆかった。
「母様は、事故とは言え涼香の命を絶ってしまった事を悔い、兄様が自ら命を絶ってしまうのを恐れたのでしょう」
その可能性が少なからず自分の中にあるった事を叢丞は自覚している。しかしそれが如何に愚かな事であると今の叢丞は理解していた。
「兄様の心が成熟して、涼香の死を受け入れることが出来るようになるまでと」
「そうか」
「あの時、もう少し早く兄様を止めることが出来たら……、今でもそう考えてしまいます」
「いや、僕がいけなかったんだ。子供だったって言うといいわけになるけど、あの頃は少し慢心しているところがあったから」
ふと、涼香の気配が薄くなる感覚が叢丞に伝わる。
「兄様の〝霊能〟が戻っていくにつれ、いつ涼香が母様の式だとばれてしまうか気が気じゃありませんでした。現に今では涼香が涼香でないことがお理解りになると思います」
「理解るよ。でも想いは、魂は涼香のモノだというのも僕には理解るよ」
そう言って叢丞は涼香を強く抱き締める。
「ああ、兄様っ……」
涼香は大粒の涙を零すと、静かにゆっくりと叢丞から離れた。
「そうして〝霊能〟の制御が完全に可能となった今、涼香のお役目は果たされました」
「うん……」
覚悟していた時が来た。
「最後に、兄様のお役に立ててよかった」
その言葉の意味が分からない叢丞ではない。
目の前に立つ涼香の姿が少しずつ薄くなっていくのがわかる。
「少し長く……〝こちら〟に居過ぎました」
仏教において人は死んでから四十九日であの世に旅立たなければならない。
彼女の言葉がそれを指しているのであればかなり過ぎていることになる。
本来の理を大幅に曲げての魂の滞在。
颯季たちの言うとおり、これ以上自分のために涼香を苦しめるわけにはいかないと叢丞も理解はしている。
その証拠に涼香の身体が先程よりも薄くなり、向こう側が透けて見える程になっていた。
「もし願いが叶うなら……」
「僕に出来ることなら、きっと叶えてあげる」
「もし、生まれ変わることが出来るのなら、もう一度、兄様と同じ時を過ごしたい」
「それは……」
それは叢丞の出来ることの範疇から逸脱した願い。到底彼の〝霊能〟の及ぶモノではない。だが、
「たとえ幾星霜の時を経たとしても、きっとまた逢えるさ」
叢丞は言い切った。涼香が望むであろう彼の笑顔を添えて。
「最期に、大好きな兄様の笑顔を見れてよかった」
涼香は最後に微笑むと、その全身が光を放ち、天に昇っていく螢の群れのように、星空へと溶けていった。
「……さようなら、涼香」
叢丞はいつまでも星空を見上げていた。
一筋の流れ星が現れ、瞬く間に消えた。
「いってしまったな」
「咲夜」
声に振り返ると咲夜が夜空を見上げていた。
その目には叢丞と同じように涙を湛えて。
「あの子は、私にとっても妹のようなものだった」
「何言ってるんだよ。妹だよ、君の。僕達は許婚なんだから」
「……そうだな」
冷たさを少し含んだ秋の風が吹く。夜の砂浜はさぞかし冷えることだろう。
しかし二人はいつまでも星空を見上げていた。
つづく




