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魔物愛好者の楽しい魔物学  作者: あに
第1章 魔物学の新任教師
2/3

01



そもそもの始まりは、シルヴェスト魔術学院の魔物学を担当していた教諭が退職することが決まった時。


有名な魔物学の教諭だった彼はジベルリードが院長の座につく前から在籍していた古株であり、年齢的にも体にガタがきてしまっていたらしい。

故郷に戻って孫と暮らすと言われ、教員一同で心から感謝をし、見送ることにした。


それは構わないのだ。


問題が起きたのはその後。

後任の選定だ。

専門的な知識が必要な魔物学の後任を探すのは、いくら顔の広いジベルリードでも頭を悩ませた。

授業は教科書通りに進めるスタイルのもので、基本的には難しくはないのだが、内容はかなり濃い。

それを生徒に分かりやすく教えるのは安易な事ではない。


退職を決めた彼を引き止める訳にもいくまいし。


机に座り1人ため息を吐いたジベルリード。

手元の資料の候補はすべて優秀な人間だったが、彼の理想ではない。

どんなに優秀であろうが、前教諭の跡を継がせる……いや、学院長として望んでいるのは、彼の代わりではない。


求めているのは、この学院に相応しい教えを与えられる人物。


(さてはて……)


魔物学……魔物学……

そう考えてふと彼の頭に浮かんだ顔があった。

かつての教え子で異色を放っていていた生徒の中でも更に変わっていた1人の生徒。

これといって取り柄が無かった彼にも唯一光り輝いていたものがあった。


ジベルリードはまだこの学院で生活していた頃の1人の教え子を思い出し、懐かしくなり、ほっほっほと笑った。


もしも彼が教師になったら……

そんなことを想像してジベルリードは皺のついた顔の笑みを深めた。

他の候補を探すのが面倒な訳ではない。

ただ、少しだけ期待を持ってしまった。



決断する理由はそれだけで十分だった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





尊敬する学院の大魔術師。

彼に頼まれたら断れないのが学院の教員であり、また、恩師として今でも慕っているアリーシャである。


学院を卒業後、国軍騎士団に推薦入団したアリーシャ。

女性ながらに一個師団の団長を任された彼女は後継者を育成するという教育者としての道を見いだし、ジベルリードに引き抜かれた。

今でも席は騎士団に置いているが、緊急召集がない限りは学院の教師として剣という教鞭を振るっている。


彼女が受け持つ剣術の授業は特別に用意する教材もなにもなく、日々の鍛練をいつも通りにしていたところにジベルリードが偶然通りかかり、声をかけてきた。


『ちょいと人を迎えにいってくれんかのぉ』


孫にお使いを頼む様な言い方に、暇だし恩師の頼みだし、と二つ返事で答えた彼女は今、学院から遠くはなれた森に居た。


黒い教諭服の上から耐火の効力を持つ糸で繕われたケープを纏うアリーシャ。

彼女は整った顔の眉間に皺を寄せてあるものを睨んでいた。


自然の中に不自然にたてられた木の看板。

そこにはチョークで複数の文字が書かれている。



『私有地につき立ち入り禁止』


『魔物注意』


『人間立ち入り絶対禁止』


『ニヴィルヘイン家はもっと禁止』


『地中注意』


『上から来るぞ、気をつけろ』


『下からも来るぞ』


『魔物歓迎、どんと来い』



(なんですかこれは)


読む度に意味不明な注意書きになっていく看板にアリーシャは首を傾げる。

確かに人の書いた文字なので、何かしらの意図があって書いたのであろうが。

上から来るとか下から来るとか……

それにニヴィルヘイン家はもっと禁止って……


ニヴィルヘイン家はシルヴェスト国の王家に連なる血を持つ大貴族。

建国から今日まで彼らは王家の次に尊ばれている。

現当主は国の宰相という地位に就いており、4人兄弟の内、長男は騎士団の団長をしている。

他の兄弟も軍に入っていたりと国に大きく貢献している事でも有名だが。


貴族嫌いか、はたまた恨みでもあるのか……


どちらにしろ、アリーシャはこの文字を書いたのかもしれない人物を学院まで連れて行かなければならない。

進入禁止と書かれた立て札がそこら中に地面に突き刺してある。

そこを踏み越えてアリーシャは森の立ち入り禁止区域に入っていった。



危険といくつも書かれていたが、森の中は空気が澄み、綺麗な印象がある。

魔物も出てこないし、あの看板ただの悪戯だったのではないか?とも思い始めたアリーシャ。

それでも油断せずに気配を探りながら歩いていると、体が少し揺れた事に気付き、立ち止まった。


「……気のせい、ですか?」


地震が起きた様な感覚がしたが、異変は無い。

反射的に手を置いた剣の柄からそっと放そうとした。


「っ?!」


その時、ズズッと足下が縦に揺れ、同時に頭上の木々から鳥が羽ばたいていった。

アリーシャは剣を抜き、震源から遠ざかる様に跳躍した。


ズズズズズッという音と共に隆起していく地面。


「ひっ……!?」


地割れしたそこから飛び出して来たものを見て、アリーシャはサッと血の気が引いた。


それは、『紅の剣姫』の異名を持ち、上級の魔物を単独で倒せる腕を持つ剣士アリーシャがこの世で最も嫌悪し、苦手としている生き物……

地面から現れる体は鋼の様な鎧を纏い、途切れる事無くその長さを強調する様に湧き出てくる。

無数に生えているわきわきと動く短い脚、頭はまるで食虫植物の様に大きな口を広げ、その中からは離れていても臭ってくる異臭が放たれる。


アリーシャはどんな魔物でも、どんな敵でも落ち着いて対処できる技量も自信もある。


だが、これだけは……


「無理ぃいいいいいいいっ!」


らしい。


滅多に出さない悲鳴を上げたアリーシャ。

宙にいる彼女を追って、それは大きく伸びていく。

蛇というよりも芋虫ような長い体に球根のように触手が伸びた口が大きく開かれる。


『ジャイアントワーム』


アリーシャがこの世で唯一苦手とするワーム種の魔物である。

ゾワゾワと動く触手と脚、鼻を押さえても臭う酸性の唾液。

見るのも近づくのも斬るのもごめんこうむりたい相手が現れ、アリーシャは動揺していた。


地中で活動し、微生物や虫を食するサンドワームの上位種であり、地上の生き物を主な捕食対象としているジャイアントワーム。

その獲物としてロックオンされたらしいアリーシャは、ぞわっと立つ鳥肌を我慢し、ここに来るまでに見た例の看板を思い出した。


『地中注意』


『下からも来るぞ』


(こういうことですか!)


決してふざけていたわけではなく、本当に下から来るから気を付けろ、ということだった。


(……ん?と、いうことは……)


アリーシャは看板に書かれた文字をもう一度思い出し、ハッとした。

宙でジャイアントワームに気を取られていた彼女は自分がいつのまにか暗い影に包まれていることに気づき、咄嗟に背後へ剣を振るった。


ガキンッという音が鳴り、剣を持つ手が痺れた。


アリーシャの剣が弾いたのは尖った爪。

そこから伸びている先には大きな翼を広げ、獰猛そうな瞳でこちらを睨み付けている魔鳥『シルバーホーク』がアリーシャを狙っていた。

下から迫るジャイアントワームと同様に魔鳥種の上位種であるシルバーホークが上空から鉤爪を放つ。


「くっ!」


それを剣で逸らし、アリーシャは弾いた反動でジャイアントワームから離れた場所に着地した。

軽やかな身のこなしで受け身をとりつつ地面を転がり、そのまま立ち上がって走り出す。


流石のアリーシャでも、上位種の上級魔物を2体同時に相手取るのは骨が折れる。

しかも片方は苦手なワーム種。

戦略的撤退を余儀なくされるのは仕方難かった。


抜き身のままに影を見つけて森を駆け抜ける。


暫く逃げ回り、木の影に身を潜め、じっと息を殺す。

シルバーホークはいつの間にか消えており、ジャイアントワームが動く震動も無い。

アリーシャは剣を鞘に戻し、「はぁっ」と深く息をついた。


「あんなものが2体もいるなんて……ここは一体……」


ジベルリードから渡された地図には私有地と書かれ、人が住んでいるとされる位置に『ここ』と手書きでメモしてある程度。

変なところで気の抜けている恩師にアリーシャは再び息を吐いた。


――こんな危険地帯を国が放置しているなんて……っ?!


少しの休憩を兼ね、思考しているアリーシャだが、その耳は小さな音も見落とさなかった。

がさっと茂みの向こうで何かが動き、警戒を強める。


今度は何が出るのか……


アリーシャは剣を構え、茂みを睨む。


(来るっ……?!)


茂みから影が跳びだしアリーシャは踏み込もうとしたが、ピタッとそれを止めた。


「かっ……」


目の前に佇む生き物にアリーシャは目を奪われた。

ピョコッという効果音で出てきた白い物体は長い耳を片方はピクピクと動かし、赤い目をきゅるんとさせてこちらを見ている。

ふわふわの毛に鼻が匂いを嗅いでいるのか、ひくひくと小さく上下していた。


「きゅっ」


思わず抱き締めたくなるその生き物は魔物でも愛らしい外見を持つ魔物、ラビット種。

まるで人形のような魔物にアリーシャは堪らなく「可愛いぃい!」と抱き締めたくなる感覚に襲われた。


キョトンとしたラビット種は、剣を持つアリーシャに向かってとてとてと走ってくる。

両手を広げて迎え入れたかったが、手には抜き身の剣があり、ハッとした。


そして、同時に剣士であるアリーシャは思い出す。


(確か白いラビット種は……)


とてとてと愛らしく走ってくるラビット種。

アリーシャは表情を固まらせ、本能的に真横へ飛び退いた。


「あ、危なかった……」


アリーシャが振り返ったそこには砂ぼこりが舞っている。

彼女が立っていた場所が見えてくると、そこには陥没している地面と足をめり込ませているラビット種がいた。


通常、ラビット種は茶色い体をしていて草食だ。

しかし、極希に白いラビット種が生まれる。

それは平和主義な茶色いラビット種とは違い、敵と判断すると容赦なく戦闘を仕掛けてくるバリバリの戦闘種であり、仕留めた獲物を上品に食する肉食性。


『ホワイトバトルラビット』


通常のバトルラビットに外見的特徴が含まれただけの名前だが、それだけでも危険度はかなり変わる。

天使の顔をした悪魔とはこいつらのことである。


アリーシャを襲ったホワイトバトルラビットは蹴り潰した地面から足を抜き、ユラリと逃がした獲物を見た。

ざっと後ずさり、踵を返したアリーシャは猛ダッシュでその場を去った。



「なんなんですかここはぁああああ!!」















「ぜぇ……はぁ……」


肩で息をするアリーシャは数時間経ってやっと人がいそうな小屋を見つけた。


抜き身の剣を杖代わりにしている彼女の目は若干据わっており、まるで殺し屋のような顔をしている。

疲労困憊な理由は簡単。


ジャイアントワームにシルバーホーク。

ホワイトバトルラビット……


彼らから逃げた後、上位種の魔物が次から次へと出てきてはアリーシャを餌にしようとして来たのだ。

しかもホワイトバトルラビットは可愛らしくとてとてとしつこくついてきた……凄い早さで。

あの地面を陥没させた脚力だ。

走力も申し分ないのは納得だが……アリーシャとしては喜ばしくはなかった。


逃げる度に上位種の、更には上級の魔物が現れては襲ってきて、また逃げて……


「ここは……魔物のビックリ箱ですか?!」


あの看板を書いた人物は全てを知っていてあれを書いた。

だとすれば魔物がこんなにいる理由も会えばわかるはず。

ジベルリードが言うには、これから会う人物はちょっと変わっている、とのことだが……


「学院長の『ちょっと』は信用できませんね」


こんな場所に住んでることからして変だ。

というか本当に人がいるのかどうかすら怪しい。


アリーシャは剣をしまい、小屋の扉の前に立った。

中に人の気配はないが、とりあえずノックをならす。


「いませんか」


当たり前のように返事はなく、アリーシャは辺りを見回した。

小屋の横には日当たりの良さそうな場所があり、そこは畑が作られている。

まだ収穫はしていないようで、大きな実がなっていた。

放置しているわけではないことは手入れ加減と道具の使用した後で分かり、住んでいることは間違いなさそうだ。


(留守なだけでしょうか)


とりあえず待ってみますか、とアリーシャは近くにあった切り株に腰を下ろし、腰につけた水袋を取り出した。

鍛えているとはいえ、何時間も緩急をつけて走らされれば疲労もたまる。

これはこれで訓練になるとポイジティブシンキングになれば良いのだろうが、それ以上に精神的にも疲れているアリーシャは、冷たい水で喉を潤した。


「こんな辺鄙な場所に住むなど……よほどの変人か」


学院長はその変人に何の用なのか……

偉大な人間の考えることは理解できない、と口をつける。



「誰が変人だ」



「ぶふぅっ!?」


口に含んだ水を吹き出すアリーシャ。

独り言を呟いたのに、返事が来て驚き口許を拭きながら振り返った。


(い、いつの間に?!)


まったく気配を感じさせなかったその人はアリーシャの背後に立っており、ジロリと訝しげな視線を送っていた。

ボサボサ頭の不潔な黒髪にボロボロの服。

手には大量の果実が入った籠が抱えられている。


アリーシャ程の武人が気づかないほどに気配を絶てる人間はそうはいない。

何か魔法でも使ったのか、それともこの浮浪者のような人物は武の達人なのか……

難しい顔でアリーシャが思考していると、鳥の巣頭の男は不機嫌そうに言葉を発した。


「侵入者っていうのはこれか?」


「こ、これとは私の事……?!」


失礼なことを言った男に反論しようとしたアリーシャは、彼が言葉をかけた方を見て絶句した。

彼の足元。

そこにいたのは天使……の顔をした悪魔。

ホワイトバトルラビット。


「そ、そそそそ、それはっ」


2、3歩交代したアリーシャを他所に、男は足元の悪魔に話しかける。


「そういやエリザベスは昼寝中だったか……ビリーはまだ脱皮したてで怠そうだったし仕方ねぇか……」


鼻をひくひくとさせ、男を見上げるホワイトバトルラビット。

その手は男のズボンの裾をちょこんと握っていて、素晴らしく愛らしい。

本性を知らなければ。

一言二言、男はホワイトバトルラビットに話し掛ける。

すると、白い毛玉は耳を立て、とてとてと走り去っていった。

悪魔が退場し、アリーシャは安堵する。


「で、不審者。てめぇはどこの回し者だ?」


胸を撫で下ろしたアリーシャだが、問題は解決していなかった。

悪魔の事もあるが、目の前の男……自分を不審者と呼ぶ怪しい鳥の巣頭。

魔物がいることに動揺しない様子を見るからに、ここにいる人間だと判断できる。

しかも、狂暴な魔物であるホワイトバトルラビットを手懐けている様子から、魔物を従えることができる従魔術の使い手であるらしい。

否定されてもそれ以外に魔物を従えるなどあり得ないこと……


(何はともあれ、目的を果たしましょう)


アリーシャはこほんとひとつ、咳をして出で立ちを整えた。


「私はシルヴェスト魔術学院で剣術指南を受け持っています、アリーシャと申します。此度の訪問は」


「ああ、ジジイの方の奴か」


「じ?!」


(ジジイというのはまさか学院長のことではないでしょうね?!)


「そういや手紙が来てたな……読んでねぇけど」


籠を置いてガサガサと頭を掻く男。

言葉を遮られたことよりも『ジジイ』発言にショックを受けたアリーシャを放って小屋に入っていく。

鍵をしていなかったらしい扉は簡単に押しただけで開いていた。


(ぐぬぬ……っ)


怒りを押し隠してアリーシャは後を追って小屋に入る。


そして、驚いた。


中は想像していたよりも生活感が溢れていて、清潔感があり、この浮浪者もどきが生活しているとは考えられないくらい整理されている。

最低限の家具にテーブルとイス。

大きな本棚にはぎっしりと本が並べられ、良く見ると羊皮紙の束が紛れている。

アリーシャはこの状態をどこかで見たことがあり、頭をひねった。


(そうだ……たしか、城の研究者が……)


騎士団に専念していた頃に入ったことがある城の研究室。

そこでは魔法やその他の技術や生体など多くの実験が行われていた。

その記録も書かさずに毎回するために部屋は資料だらけになり、本棚には大量の研究資料が挟まれていた。


(彼は研究者か何かなのでしょうか?)


本棚を見上げていると横でガサゴソと男が唯一整理されていない紙の束を漁っていた。

本当にゴミあさりをする浮浪者のようだとアリーシャは先程の『研究者』という推理を無かったことにする。

女性に(心の中で)浮浪者呼ばわりされているのに気づくことはない男は、やる気のない口調で「どこやったかなぁ」と紙の束を崩している。


「まさかジベルリード学院長の手紙を失くされたのですか?」


「んー、みたいだな」


「みたいだなって……そんな適当な!学院長からの手紙ですよ?!」


「あーもー!いきなり来てきゃんきゃん喚くな!だから人間は嫌いなんだ」


(なぜ私が怒られるのですか?!)


ふつふつと怒りが沸いてくるが彼は学院長の客。

こちらから失礼なことはできない。

昔から『冷静に見えて直情型』と指摘を受けたことがあったアリーシャは自らに言い聞かせるように胸に手を当てた。


「もういいや。で、用件は?」


あさっていた紙束をゴミ箱に全て落とした男は、木製の椅子にドカッと座り、尋ねてくる。


「ジベルリード学院長から、貴方を学院まで案内するように仰せつかりました」


「やだ」


「ですから……って早いです!」


即答した男は明らかに面倒そうな表情をし、どこからか取り出した木の実を口に放った。

聞く気がないのか元々こういう態度の人間なのか……アリーシャは出会ったばかりで彼を不快にさせた覚えはないので彼女が原因というわけではないだろう。

こんな場所に住んでいる人間だ。

偏屈、と言ってしまえばそれでお終いだが、人との接触や会話を嫌う質なのかもしれない。


(それでも失礼なのは違いありませんがね!)


落ち着け、落ち着くのですアリーシャ。

剣に手をかけるのをふるふると耐える彼女に男は「病気か?」と要らぬ心配をしてくる。


「い、いえ。ご心配なく」


「いや、お前が変な病気もってきて家族にうつされたら迷惑だから」


ピキッ――


「そ、そうですかー」


美麗な容貌に筋がひとつ。

社交辞令の笑みが固まり、頬が引き攣り周囲の空気が冷たくなる。

小屋の窓がピシッと軋む音が小さくしたが、男は涼しい顔で木の実の殻と格闘していた。

アリーシャよりも頭ひとつ分高い身長が椅子の上で背を丸めながら、客人よりもその小さな木の実を相手に爪をカリカリと音を当てている。


「しかし、こちらもお連れするようにとのことですから」


「俺には関係ねぇ」


ピキッ――


「っつーか、立ち入り禁止って看板に書いてあったろうが。どいつもこいつもそれ無視しやが……あ?」


弄っていた木の実がスッと横から来た手攫われる。

細い指が人差し指と親指で摘み、その傍らに笑みを浮かべたアリーシャ……


「な」


バキッ――



「いいから、黙って、学院に来い、と言っているのですよ」


パラパラと指から零れ落ちる殻つきの木の実『だったもの』。

2本の指に挟まれていたものが『粉砕』され、塵ひとつ無かった床に落ちていく。

無加工の頑固な殻を押し潰したアリーシャ。

にっこりと浮かべている笑み。

しかし、その開かれた瞳はそれに見合うものではないことが、彼女から流れる怒気でわかる。

破片と化したものが散らばった床を男はポカンと見つめ、口が開いたままになっていた。

アリーシャが一歩踏み出すと、破片が踏みつぶされ、男の視線は足元から腰、胸、顔、と移動する。

ゆらりと近づく彼女の手には抜身の剣が携えられ、異様な光を放っている。


「さっきから聞いていれば、学院長をジジイだの、人を馬鹿にする態度だの……もう堪忍袋の緒が切れました」


トン……トン……と手の上で剣を叩き、アリーシャは首を傾けて告げた。


「行きたくないというのであれば、『強制連行』しますね」






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「ほぉ……では候補が見つかったのですか」


それは良かった、と紅茶の入ったカップを受け皿に戻す。

しわしわの手はつい先日まで魔物学の教科書を片手に教壇に立っていた元魔物学教師の者であり、今日は出立前の挨拶に、と学院長室までやって来ていた。

ジベルリードよりも上の年齢の彼は年下であるが上司だった相手に敬意をもって接し、いついかなる時も謙虚な男だった。

授業も静かで単位が比較的とりやすいと人気がある反面、一部の特殊な生徒からは嘗められてしまう傾向があったが、ジベルリードにとってはお茶の相手に申し分のない、良い教師であり友でもあった。


ジベルリードは帰郷前に彼と他愛のない話に花を咲かせていたが、話題に出た彼の後任の話で、候補が見つかったと口にした。


「して、それはどなたなのですか?」


「ほっほっほ。そなたもご存じの者じゃよ」


「はて……私の知り合いですかな?」


魔物学の権威でもあった彼の知り合いはごまんといるが、大魔術師にアプローチをかけられたという噂は聞かない。

悩む彼をジベルリードは楽しそうに見ていた。


「ほれ、君の授業を初日でボイコットしようとした」


「ああ!」


1つのヒントだけで思い当たる人物が1人。


「あの時は大変でしたなぁ!教科書は持ってこないわ、メモはとらないわでやる気がないのかと思えば、魔物の話になると目の色が変わって……いやはや、忘れようにも忘れられませんな」


「『こんな紙切れに収まるほど魔物は簡単ではない』だったかの?」


「ええ、ええ!!いやぁ……そうてすか、彼が……」


懐かしいですねぇ、と元教師は髭の剃られた顎を撫でた。

以前はジベルリードにも負けない髭が生えていたのだが、1度長期休暇で帰省し孫を抱き上げた時、髭がゴワゴワと不快だったらしく、泣かれたとかで、さっぱりと切ってしまったのだ。

生徒たちや教師からは若く見えると好評だったが、昔の癖は抜けずに、今では髭の代わりに顎を撫でるようになっている。


昔を懐かしむ彼と同じく、ジベルリードも茶を口にしてほっと息をつき、当時の光景を頭に浮かべていた。


「たしかに、彼は私でも驚きました。魔物を研究する身としては少々嫉妬してしまうほど、彼は優秀でしたね。問題を起こすことにかけても、 ですが」


「ふむ。じゃが、それを許せるほどのものを彼は持っておる。わしもそんな所にかけてみようと思っての」


「良いと思います。きっと彼は、学院に良い影響をくれるはずですぞ」


「ほっほっほ。お墨付きじゃの」


前任の教師からのお墨付きならば他の教師も生徒も文句はあるまい。

ジベルリードは良い選択をしたと笑みをこぼす。

だが、対面から「ああ、でも」と言葉がかかる。


「今、彼はたしか実家から出て1人で引きこもってると聞きましたが」


「わしも聞いておるぞ。1度行ったことがあるんじゃが……うむ、なんと言ったら良いか……まぁ、あやつにとっては『楽園』とでも言えるかの」


「と、いうと……ああ……そういうことですか。だからアリーシャ先生に行かせたのですね」


「ほっほっほ。彼女も元は騎士団の一角を統べていた騎士。今では頼れる教師でもあり、腕はたしか。まぁ、簡単には死なんじゃろうて」


前任の苦笑いにジベルリードは笑って答える。


「彼女は知っているのですか?」


「知らんじゃろうな」


「大丈夫なのですか?」


心配そうに尋ねられたジベルリードは「はて」と首を傾げた。

そして何か問題があったかの、と髭を撫でる。


「アリーシャ先生はともかく、あの『問題児』君が大人しく学院に来るかどうか……」


「詳しい内容は手紙を出したので、とりあえずは来ると思うのじゃが……」


「学院長……彼が『その』手紙をいちいち確認すると思いますかね?」


「………………ふむ」



それは……



「ありえないの」


「でしょう?」


白い眉が八の字に降り、2人は困った表情をする互いと見つめあった。


「それに、『あの』アリーシャ先生が、彼の性格に我慢できるかどうか……」


「……………………ふむ」



それは……



「非常に不味い気がするのぉ」


「でしょう?」



「「………………」」



老人2人は黙り、空になったカップに視線を落とした。










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