巫女と護衛後日談~よろしくお願いします~
笑っちゃいけません。笑っちゃいけませんて。
それは、自分で選べないもの、なんですから。
でもね、どうにも止まりません。
だって、かわいらしすぎるんですもの。
その人はまるで嵐のように飛び込んできた。
わたしの緊張も解れ、和やかにお茶を楽しみつつ彼のご両親と話をしていた時。
コンコンコンッ、と忙しないノックの音が聞こえたと思った瞬間には、もう扉は開け放たれていた。
「ねえ、レティシアのお嫁さんが来てるんですって?」
飛び込んできたのは、お母さまとよく似た美女。お母さまも背の高い方ですが、この方もすらりと背が高く、体型も見事としか言いようがありません。ぱっと人目をひく、鮮やかな南国の花のような方です。
「まあ、ソフィア、急く気持ちはわかるけど、お行儀が悪いわよ」
お母さまがその人を窘めた。その人は、ごめんなさいと少し子どもっぽくぺろりと舌を出した後、ぐるりと室内を見回して。
わたしの顔を見るやいなや、大輪の花が咲くように、笑った。
「あなたがレティシアのお嫁さんね!はじめまして、姉のソフィアよ。よろしくね」
「……は、あの……?」
いまなんとおっしゃいました?
わたしの戸惑いを読み取ってか、彼女……ソフィアさんは、ああ、と手を打ち鳴らした。
「あら、私レティシアの実の姉よ?義理の姉じゃなくて。顔はあんまり似てないけれど」
いいえ、そうじゃなくてと首を振るわたしを見て、何を思ったかソフィアさんはいきなり抱きついてきた。
「か~わいい~っ、ねえレティシア、私この子と遊んじゃ駄目?いいわあ、このちんまり感!」
「あらソフィア、私が先約よ。ねえレティシア?」
彼のお母さまが、ソフィアさんを窘めるわけでもなく、朗らかに答える。
ちょっとソフィアさん、苦しいです、息が出来ません!
もしわたしが男だったら、ふくよかな胸に顔を埋めて窒息しそうなんて、ある意味至福かもしませんが。
頭の隅で、少しばかり羨ましいなあなんて思っていますが。
ソフィアさんの腕をぱたぱた叩いていると、ふうと大きなため息が頭上で聞こえ、ばりっと音がしそうなくらいの勢いで、彼女から引き剥がされた。 そしてあれよあれよと言う間に、彼の膝の上に抱きかかえられている。
あら、とソフィアさんは目を丸くして……それからすぐに、にやりとしか言いようのない笑みを浮かべた。
美女なだけに、やけに凄みがありますねえ。
それにしても、ご両親とお姉さまが居る前で、この体勢はいかがなものでしょうかと彼には問いただしたい気分でいっぱいですが、それよりもまず気にかかることがありました。おそらく、そう、だと思ってはいますが。
「……聞いていいですか?」
「……なんだ」
「レティシア、って誰の事ですか?」
「・・・・・・・・・」
彼は沈黙を保っている。でも、この場でそれは、ねえ。
案の定、彼のお母様とお姉さまは黙ってなどいなかった。
「あらやだこの子ったら、自分の名前もちゃんと名乗っていないの?」
「それでよく求婚したものねえ」
彼のお父さまですら、おやと眉をあげて尋ねてきた。
「もしかして、息子の名前も知らなかったとか……?」
私は慌てて首を横に振った。流石にそれはありませんから。
「いえ、存じておりますよ。エルさ……エル様、でいらっしゃいますよ、ね?」
彼の友人は、彼をそう呼んでいたし、神殿内でも彼はそう呼ばれていたはずだ。
つい仕事の時の癖で“エルさん”と呼びそうになったけれど。
そう答えると、この場に居る彼以外の人たちは、彼をなんとも生ぬるい目で見ていた。
「ああ、まあね、それがこの子の通称だから間違いじゃあないけど……いい機会だから、正式名をちゃんと名乗りなさいよ」
にこり、とにやり、の中間くらいの笑みをたたえ、ソフィアさんは彼……エルさんを促した。
首を傾げ、エルさんの顔をじいっと見つめると、やがて根負けしたようにため息をつき、低い声で答えてくれた。
「……レティシア・リエル。それが俺の正式な名だ」と。
いかにも不本意、といった様子と、あまりに可愛らしい名との差異に、思わず喉の奥が変な音をたてた。
笑っちゃいけませんよ、だってここには、彼を名付けたご両親が居るんですし!
そう思えば思うほど、小刻みに体が震えてくる。
自分を膝の上に抱えているエルさん……レティシアには、勿論気付かれているだろう。
「笑いたければ笑えばいい。俺もこれが自分じゃなければ、なんの冗談かと笑うだろうからな。俺が本名を名乗れば、大抵変な顔をされたからな……面倒になって、ずっとエル、で通してきていた。まったくはた迷惑な名をつけてくれたものですね」
最後の言葉は、ご両親に向けてかけられたものだった。
あら、とお母さまは細い眉をあげたものの、すぐににっこりと笑顔を作る。
「あら、可愛らしくていいじゃないの。……実はね、上の娘……アデラというのだけど、アデラ、ソフィアと来て、それからこの子がお腹に居る時の感じがね、娘たちの時と同じだったのよ。だからてっきり、生まれてくるのは女の子だと思っていたの。だから女の子の名前しか考えていなかった。まさか、男の子が産まれてくるとは思わなかったわ。長男も居るのだけど、その子とも違った感じだったし」
まあ、どちらにせよ元気に育ってよかったわ……ちょっと育ちすぎた気がしなくもないけれどとお母さまは笑う。
アデラ、ソフィアときて、レティシアか。
見事に韻を踏んだ名前で、三姉妹であれば、微笑ましかったんだろうなあと思うけれど、も。
彼は少し不機嫌そうな声で呟く。
「笑いたいなら笑え、我慢することはない」
いえ、ちょっとあまりにも予想外な事に驚いただけで。
彼、にこの名前がつけられていること、が可笑しいのじゃなくて。
彼が、いかにも不本意ですと言いたげな顔で唇を引き結んでいる様子が面白かっただけ、ですから。
こほん、と咳払いをして、わたしは彼の腕に触れる。
「……あなたは、何と呼ばれたいですか?」
「なに?」
「エルさま?リエルさま?それとも、レティシアさま?どれがいいんですか?」
呼ばれたい名を言って下さいなと彼の顔を見上げると、彼はふと口元をゆるめて答えた。
「……いままでどおり、エル、と呼んでくれ」
さま、は要らないと彼は言った。わかりましたとわたしは答えたものの。
内心で思う。いつか彼を、その名で呼んだ時。さて彼はどんな顔をするだろうかと……その時を想像すると、何やらとても楽しい気がした。
「ああもう、可愛らしいわねえ」
ソフィアさんの声が間近で聞こえて……思い出した。
ここ、彼のエルさんのお家の居間で。目の前にはご両親も居るのだった。
うわ、居たたまれませんよ、と思ってそおっとご両親の顔を見たのですが、何やら微笑ましいものを見る目でわたしを見ている。
わたしのお腹あたりに回されている腕を、ぺしぺしと叩いて抗議した。
「この手を離して下さいって」
「いやだ」
「ご両親の前ですって、ご無礼でしょうっ」
「あら、私たちは気にしないわよ」
お母さま、そこは気にしていただきたかったです。
そこでふと気づいたように、ソフィアさんが声をあげた。
「そうそう、私、まだあなたの名前を聞いていなかったわ。教えてくれるかしら?」
「わ、まだ名乗っていませんでしたね、失礼しました。……ミモリと申します。これからよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた。エルさんに抱きかかえられた状態で、とても恥ずかしかったのだけど、仕方ない。
よろしくねとソフィアさんは輝くような笑顔で答えてくれた。
それを嬉しく思いながらも、何かを主張するかのように、がっちりとお腹の前で組まれた腕を……つい ぺちぺちと叩き続けていたのだった。
「ところで、私たちの名前は紹介してくれないのかしら」
「そういえば、お伺いしてません、よね?」
「……ああ、忘れていたな」
「まったくもう……ねえ、ミモリ、私の名はルイーズ、夫はウィリアムよ。これからどうぞよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
エルさんがご両親の名前をわざと紹介しなかったのって……もしかして自分の正式名を言われたくなかったから?頭の隅に過った疑問を、まさかねえと打ち消したのだった。