巫女と護衛後日談~はじめまして~
「巫女と護衛」をお読みいただき、ありがとうございます。
これ以降、「巫女と護衛」の後日談です。
本編直後の話から、いきなり時間が飛び、子どもが出て来る話などかなり幅があります。
後日談と言いながら、裏話的な部分もあります。
また直接的な表現ではありませんが、お別れの場面があります。
以上の事をご了解の上、よろしければおつきあいください。
想像はしていた、けど。
「……やっぱり、聞くのと見るのとじゃ、違いますねえ」
何か言ったかと、彼は初め視線を斜め下に向けたあと、眉をひそめて後ろを振り返った。
どうやらわたしが随分と後ろに居たことが不満だったらしい。
ああ、その眉間の縦じわ。こう、指で摘まんで思いっきり引き伸ばしたくなりますね。
あのへの字口も、端をつまんで上にきゅうっと持ち上げたら、笑っているみたいに見えま……せんね、多分。
逆に怖くなるだけの結果になりそう。
ほんと目に物いわす人ですねと呆れ半分感心半分。
そしていつの間にやらそれを読み取っているわたし自身についても、なんだか微妙な……半笑いの気分です。
あのですね、いくら読み取ってくれるからといっても、大事なことはちゃんと言いましょう。
そこで甘えるのは、駄目です。
これはわたし自身が決めた事。そして、一応納得した事、とはいえ。
目の前には、これぞ“お屋敷”と手放しで称賛したいくらいの。
それはもう、立派な建物が見える。
ぐるりを塀で囲まれ、入り口には高い門扉が備えられ、おまけに門番らしき人までいた。
想像はしていましたが、想像以上でした、ねえ。
そう、ため息がこぼれそうになったのを、寸前でこらえた。
視界に彼の実家をおさめつつ、足を止めて待つ彼の傍へと歩み寄る。
「……大きなお屋敷ですねえ。一体いくつくらい部屋があるんですか」
「さあ、どれくらいあったか。数えたことはないな」
「……ああそうですか~って、うひゃ、何するんですっ」
思わず素っ頓狂な声をあげたのは、彼がいきなりわたしを抱き上げたから。
ちょ、お仕事終わって動けない時ならともかく、今は眠くもなんともありませんってば!
じたばたもがくわたしを、じろりと見下ろして、彼は一言。
「往生際のわるい」
あら~見抜かれてましたか。そりゃあね、わたしは根っからの平民ですし?
こんな大きなお屋敷見たら、そりゃ尻ごみもしますよ。
巫女である間は、建前としては身分を問われない立場でしたけど、それはあくまで建前で。
実際のところ、俗世の身分が神殿内でまかり通っていましたからね。
それでも、建前でも“楯”は“楯”。
なんやかんやと言いがかりをつけられた時には、多少でも力になりましたね。
けれど俗世に戻ってしまえば、わたしはただの平民で、彼はいわゆる“いい家柄の出”だ。
泣く子も黙るどころか、更に泣きだすくらいの怖い顔であっても、ご令嬢がたに狙われるくらい、の。
神殿に居た頃も、彼の家柄については知っていたけど、その時は“ああそう”程度の認識でしかなかったのだ。
“建前”として神殿に居る間は“身分の差”はないものとして扱われていたし、(わたしの方はともかくも)彼自身は自分の家柄について何かを言うことはなかったから。
彼の家柄についてだって、わたしは彼以外の人からそれを聞かされたのだし。
ええまあ、あのお姉さまがたですよ、主に。
ともあれ、彼とこういう事態になって初めて、わたしはそれと向き合うことになった。
別にね、変な話恐れ多いとか、わたしの身分を気にしているんじゃあ、ないんですよね。
正直な話、こんな大きい家って、厄介事も多そうだなあ、面倒くさいなあって思ってます。
それにもう一つ若干の懸念事項があったりも、して。
いわゆる身分違いの恋やら結婚やらが破綻するのって、やはり育った環境の違いによる、価値観の違いも大きいと思うんですよ。これって、上手く擦り合わせができればいいですけど、出来なければ破綻一直線ですよね。
わたしを抱えていても、足取りにまるで影響も見せず、すたすたと歩く彼の顔を見る。
これまで……仕事などで一緒になった時、特に“わたしが”違和感を覚えることもなく過ごしてきたけれど。
護衛としての意識が高かったのだと言われてしまえばそれまで。
けれど、たとえばこんな“ご立派な”お屋敷を目にしてしまえば。もしかして……と嫌な方向に想像が膨らむというものだろう。
稀なケースとしては。彼がこの家では変わり者である。
もっと稀なケースでは。この家の皆が変わり者である。
まさかそれはないだろう、さて彼の場合はどちらだろうか。
本当に彼の事を殆ど何も知らないんだなあとこっそりとため息をつく。
わたしがじいっと彼の顎あたりを凝視していると、彼は、なんだと眉をあげて尋ねてきた。
「いいえ別に何でもありませんよ。ところで下ろしてくれませんか?ほら、門番さんも驚いてますから」
目も口も丸くして、突っ立ってますから!礼儀知らずですみませんね、でもそれはこの人のせいですからねと内心でこぼしつつ口には出してみたものの。
「気にするな」
あっさり却下されて終了、でした。
仕方ないので、大人しく荷物よろしく運ばれることにしましたよ。
この家の皆さま。このような形での訪問、申し訳ありません。
何か非難がおありでしたら、その場合はすべて彼にお願いします。
ところで。
神殿を出たわたしに、帰る家はありません。かといって、彼が提案したように、
「家を借りて一緒に住むか」
いやいきなりそれはちょっとどうでしょう。
思いっきり首を横に振ってご遠慮申し上げましたとも!
その場にはたまたま彼の友人も傍に居て、(わたしのことを小動物だのちんまりしてるだの言ってた人ですよ。悪い人じゃないのは知っています。ですが、この人わたしを犬猫と勘違いしてませんかね。
人の顔を見れば必ずがしがし頭を撫でまわされてますが)止めて下さいよ、あなた彼の友達でしょうと目で訴えたものの、なんとも気が抜ける笑い声をあげたあと、
「はははは~捕獲体制ばっちりだね!と言いたいけどまあ少し落ち着いたら。その前にすることあるじゃないか。ほら婚姻届出すとか、お前の家族に紹介するとかさ!」
などと助けにもならないことを提案された。
「そうだな。じゃあまずは婚姻届を……」
「いや順番違いますから!まずはご挨拶が先でしょうっ」
「ほう、じゃあ行ってくれるんだな。俺の実家に、挨拶に」
ぐ、と言葉に詰まって彼の顔を見上げると、彼はにやりと笑ってわたしを見下ろしている。
言質を取られましたね、これは。もしかするといままでのやり取りってすべて、これの前振りですか?
「図りましたね」
彼と彼の友人を交互に睨んでも、まるで効果がないのか彼の友人には肩を竦められて終わり、だった。
彼は口の端をあげたまま、わたしを見ている。
ええとその顔も他の人が見ている前ではしない方がいいと思います。
とんでもない悪だくみが成功して、喜んでいるようにしか見えません。
これもある意味企みかもしれませんが。
ここは諦めが肝心でしょうか。でも、せめてもの腹いせに、彼にはおいしいお菓子(ただし凄く甘い。とても疲れた時には体に沁みわたるように美味しい。わたしは好きです)を勧めてあげましょうか。
甘いものが苦手な彼にとって、苦行に違いないでしょうから。
密かに握りこぶしを作ったわたしには気付かず、彼は家に使いを送っておくかと呟いていた。
とはいえ。彼の実家へ、神殿から直接向かうには多少距離があったので、宿を取りました。
仕事の時そうだったように、隣り合う部屋を二つ、です。
ここは譲れませんでした。
そりゃ、仕事終わったあと、寝落ちしたら勝手にベッドに放り込んでおいて下さいなんて言ってましたよ。
白状すると部屋二つ取っていても、実質一つしか使ってないこともありましたよ。
ええまあ、寝落ちしたわたしが彼の服を掴んで離さなかったとか、そんな理由ですが。
それでも一応嫁入り前の身としては。結婚する相手(はずの。おそらくは。多分)とであっても、同室は避けるべきだと思うのですよ。
というか、これからあなたのご実家にあいさつに行くんでしょう?眉を潜められるような行いは慎むべきではなかろうかと……は?言わなければわからないって?そりゃそうですけど!
攻防の末、一人部屋を勝ち取った時にはいささか草臥れました。
なんでこんなことで疲れなきゃいけないんだか。あ~……彼って、あんな人でしたかね?なんだか言動が日に日に子どもっぽくなってる気が。
まあいいです、あとは明日のことにしましょうと、ベッドにもぐりこみ目を閉じたのでした。
そうして。
今、わたしが居る場所。
言っていいものでしょうか。非常に落ち着きません。もちろん椅子はふかふかで座り心地がいいものですし、いただいたお茶も美味しいものです。
ごく内輪の顔合わせだからと小さめの居間に通してもらったみたいだけど、そこは流石のお家柄……派手ではないものの、質の高さをうかがえる内装や調度品の数々に目眩がしそうだった。
これ、壊しでもしたら、わたしには弁償できませんよ……?
何よりわたしを戸惑わせたのは、目の前で上品に微笑む方たちだった。
若いころはさぞや、と思わせる(いえ今もとてもお美しいですよ!たとえるなら大輪の鮮やかな花のような方です)彼のお母さまが、にこやかに笑いながらお菓子を勧めてくれる。
「甘いものが好きだと聞いたのだけど、どう?美味しいかしら?」
「はい、とても美味しいです。ありがとうございます」
お菓子はとても美味しい。そりゃもう文句なしに。が、にこにこと、まるで珍しい動物でも見るような目で見つめられると味も分からなくなるというか!出来るならもっと味わって食べたかった。
そのお母さまの隣では、彼のお父さまが穏やかな笑みを浮かべて腰かけている。
白いものが混じり始めた髪を綺麗に撫でつけ、もの静かに座っておられるのだ。
わたしが初めにご挨拶した時に、ようこそ歓迎しますと言われ、その後口を開いてはいないけど……歓迎されてない、とかではないようだった。
どちらかといえば線のほそい、端正な面立ちの方だ。
こっそりとおふた方に視線をやり、彼はご両親のどちらにもあまり似てはいないのだなあと思った。
ただその無口さ加減はお父さま譲りなんですか?あなたもさっきからちっとも口を開いていませんが?
ここはあなたの実家。目の前に居るのはあなたのご両親。
少しはわたしの困惑も察して下さいってば。
横目で訴え、それとなく彼の服の裾を引っ張ってみても、彼は涼しい顔でお茶を飲むばかりで助け舟すら出してくれる気配はなかった。
ちょっと全部わたしに丸投げはよして下さいっ。
「あらそう、よかったわ!この子がお嫁さん連れてくるって言うから、料理人も喜んでねえ、腕をふるってくれたのよ。ね、今日は勿論泊っていくんでしょう?夕食を楽しみにしていてね。それにしても……」
にこやかに。一点の曇りもなく晴れやかに笑いながら、彼のお母さまはとてもとても嬉しそうだった。
わたしの顔を見て、頭の天辺からつま先までを見て、くふふふと笑い声をあげる。
ええと、なんでしょうか、なぜかこう背筋がぞわぞわとするんですが?
これ、最近同じような事があった気がします。
礼儀も忘れて反射的に立ち上がりかけた瞬間、肩にずしりと重しが乗っかってきて……逃げられませんでした。
彼の手が肩に回されていたんですよ、逃がすものかというように。
そこで彼が口を開く。
「母上、彼女を気に入ってもらえましたか?」
「もちろんよ!ふふふ、結婚しないと思っていたあなたが、お嫁さん連れてくるってだけでも嬉しいのに、それがこんな……私好みの可愛らしい子なんですもの!ふふふ、とても楽しみだわ」
「それは何よりです。ですが母上、彼女は俺の妻になるんですからね?母上の遊び相手じゃありませんからね?それを忘れては困りますよ」
「えええ、いいじゃないの、私の娘になるんでしょう?娘たちとは出来なかった事をしたいわ」
彼のお母さまはにっこり笑いながら、自分よりもはるかに大柄な息子の目をのぞきこむ。彼は唇を引き結び、わずかに顎をひいた。
傍から見れば恐ろしく不機嫌な顔だが、流石は彼を産んだ母親と言うべきか、彼女はあくまでも優雅に微笑み続けている。
ふう、と彼はため息をひとつついた。
「……ほどほどにして下さいよ」
「わかっているわよ」
弾むような声音でお母さまは答える。
うわ、珍しいもの見ました、彼が押し負けましたよ!苦いものを呑みこんだような渋い顔です。
お父さまは見慣れている光景なのか、物静かにお茶を飲んでいます。
この三者三様ぶりが面白いですね~。
ではなくて。
いま、聞き捨てならないことを、沢山聞いた気がします。
お母さまはなんと言われました?
この子がお嫁さんを連れてくる? 私の娘?
私好みの可愛らしい子って……一体どういうことでしょうか?
ぐるぐると混乱する頭を抱え込みたくなった時、彼の大きな手がぽすんと頭に乗せられました。そのまま猫の仔でも撫でるように、わしゃわしゃと髪の毛を撫でられます。
ちょっと、あなたのご両親が見ている前でやめて下さいよと抗議の声をあげかけて、口を閉ざす。
だからなんでお二人とも、そんなにこやかな顔でこっちを見ているんです!なんだかとても恥ずかしいんですが!
彼は、にやりと笑いながら答えた。撫でる手を止めることなく。
「だから言っただろう?心配はいらないと」
そうですね、お母さまの様子からもお父さまの様子からも、歓迎されていることはわかりますよ。
この様子を見ればいやでもわかります。
よもや、まさかの仮定が正解だなんて、思いもしませんって!
そこで今まで静かにお茶を飲んでいたお父さまが口を開いた。
「君の懸念も分からないではないけれど、この家は皆こういう感じだからね。無駄に長く続いてきた分、周りの方が煩いが……まあそれも心配しないでいい。どうせこれが追い払うだろうし、何より私たちが君を“娘”と認めている。それに、君は君の後見人の事を忘れちゃいないかい?」
そこでわたしは、ああそういえばとあの日サインした書類の事を思い出した。
神殿を去る日の前日。神官様はわたしと彼を呼び出した。そこで神官様は穏やかな、でも反論は許しませんと言わんばかりの笑みを浮かべて、一枚の書類を差し出したのだ。
私の名では大した力にはならないかもしれませんが、無いよりはましでしょうから。
それは、神官様がわたしの後見人になる、という旨の書類だった。空いている場所にわたしの署名が入れば、それは正式なものになる、という。
そこまでしていただくわけにはいきませんと断りかけたわたしに、神官様はいいえと首を横に振った。
まあ邪魔になるものではありませんし、退職金がわりとでも思って下さい。
そう言われ、結局は押し切られて署名をしたのだけど。
「神官様、ですか?」
「……神官様、には違いないけど……ひょっとしてこの子、知らないのかい?」
最後の方の言葉は、彼に向けられたものだった。お父さまの言葉に、彼は肩を竦めて答える。
「気付くまでこちらから話すなと、あの方が言われたので」
「もうバラしても構わないかな」
「いいんじゃないですか?それにあの方、結婚式には招待してくれなんぞと言っていましたからね、そこで知らされて驚かれるより、今知っておいた方がいいでしょう」
「そうだねえ……あのね」
彼とお父さまの会話はまるで意味不明なものだった。神官様がどうしたっていうんですか。
首を傾げていると、お父さまは苦笑しながらわたしを見た。
「君の後見人になった彼は……確かに神官様、には違いないけどね、次期神官長なんだよ」
「・・・・・・は?」
「結婚式を挙げる頃には、多分神官長になっているだろうねえ。まあ、そういう人物が後見をしている娘だと知れば、難癖をつけてくる者はいないだろうさ」
「・・・・・・・はあ・・・・・・」
もう何と言っていいやら、わからなくなった。神官様、貴方って……がくりと項垂れたわたしの頭を、がしがし撫で続けている、手。
その手の主を見上げると、彼はだから心配ないと言っただろうと、どこか得意げに笑った。
「ね、この子のこと、よろしくね」
こんな怖い顔だけど、怖くないから。彼のお母さまがわたしに微笑みかける。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そう、わたしも微笑み返すことができたのだった。