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その会話を聞きながら、思わず頭を抱えてしまった。
『約束するわ』
ちょっとおい、そんなに簡単に安請け合いするんじゃないと巫女の肩を掴んで思いきり揺さぶりたかった。
出来るならそうしていただろう。
けれど“仕事中”の彼女は己の周りに結界を張り巡らせているから、神殿騎士の自分でもおいそれと近寄れなかった。仕方なく近づけるぎりぎりの所で、不審なものが寄って来ないか見張るしか出来ない。
油断なく周りの気配をさぐりながら、意識は結界の中心にいる少女と、少女が膝に載せている(というか、膝の上に勝手に乗っている)“猫”……主神の末神に向けられていた。
手出しもできず、ぎりぎりと歯噛みしながら様子を見守っていると、少女は末神と約束を交わしていた。
どうしても眠らないと駄々をこねる末神をなだめるための、とんでもない約束を。
……自分の子孫ってことは還俗するってことか、いや子ども産むって相手はいるのか、それは一体誰なんだと瞬時に色んな疑問がわき、すぐにでも問いただしたかったが、ふと何かの気配を感じて眉をひそめる。
ひそかに動く蔦のような……ひたひたと打ち寄せる波のような。
気付いた時には絡め取られているような。
気配の方に意識を切り替え、喉の奥で低く唸った。
あの莫迦、“徴”までつけられてる。
余程執着されてるなと、思わず零れそうになったため息を呑み下し、それも当然かと、この仕事に赴く前、神官とかわした会話を思い出していた。
「……末神さまのお迎え、に……」
ええ、と穏やかに神官は笑い、お茶をすすめた。
「よろしければこちらもどうぞ。あの子が好きなのでついたくさん買ってしまったのですよ」
「……いただきます」
茶器の横には、こんもり盛られた焼き菓子がある。木の実や干し葡萄などがふんだんに入っているものだ。普段はあまり、甘いものは口にしない、が。
神官の言葉に、つい手にとり口に運ぶ。
思ったほど甘すぎず、難なくひとつを食べきる事が出来た。
こういうのが好みか、それなら今度護衛する時に買ってやろうと密かに思う。
神官は穏やかな声のまま、穏やかならぬ事を告げた。
「長らく見つからなかった末神さまは、どうやら弱っていた所を封じられてしまったようなんですよ。それで更に弱体化されている。出来るだけ早くお迎えして、それで回復のために眠りについていただかないと、その存在が消えてしまいかねません」
「それは一刻も早くお迎えにあがらねばならないな。それで俺が護衛役に?」
「ええ」
「では、神殿からは誰が……?」
半ばわかっていながら尋ねると、神官はにこりと笑って、答えた。
「もちろん、あの子ですよ」
あの子。
その答えに、ここ数年護衛をしてきた少女の顔を再び思い浮かべた。
少女はいわゆる下級巫女だが、その位以上の力を持っていると感じていた。
実際彼女に回って来る仕事を見ると、下級ではあり得ない内容なのだが、それを当の少女は全く気付いていないようだった。
多少危なっかしくはあるが、その仕事は細部まで完璧だ。
まともな目と力があれば、少女を下級のままに置いておくまいと思っていたが、初めて会ってから一年すぎ二年が過ぎても少女は下級のままだった。 少女と仕事をする時に、他愛ない話もしているが、少女は自分の位について全く疑問に思っていないようだった。それどころか、下級の方が気楽でいいとかなんとか言っていた。
少女の位については、ありえないと思いながら……このまま下級で居てくれた方が自分には都合がいい。
上級に進まれてしまうと、還俗するにしても手続きが煩雑で面倒だ。
下級であるなら、その位であれば婚姻前の箔付けとして“巫女”を努める貴族の子女もいるため、還俗も比較的容易だった。
最近ではたかが箔付けのために上級にいる娘も居るようだが。
などと自分が思っている事は、目の前の神官だけには知られてはなるまい。少女の力を正しく認めている神官にとって、自分は掌中の珠を奪う輩に等しいのだろうから。
「一言、よろしいか」
「なんでしょう」
「これは下級巫女の仕事じゃない。上級、もしくは主神付きの方が当たるべきではないか」
神官は肩を竦めて答えた。
「それがですね……これ、主神様のご指名なんですよ。あの子が一番適任だからって。他の神官たちも反対しませんでした。それに、あの子が上級以上の力があるって、あなたもよくご存知でしょう」
「……何故位が上がらないのかと常々疑問だったが。貴方以外にも力を認めている者はいるんだな。ならば何故低い位のままだった?」
「言ってみればくだらない派閥争いですよ。みな自分の子飼いの者を上位につけたがっていますからね。あの子は、鈍いのかなんなのか、派閥には無縁ですからねえ……はじきだされてしまったんですよ」
「ほう?次期神官長どのの推薦でも通らないと?」
「私が後見だとは敢えて知らせていませんからね。碌な後ろ盾もなく、まして媚びてもこない者はとりたてないと言ったところでしょうか」
「まずい状況だな」
「ええ、非常に困った状況ですよ。イロイロと。ま、それも後少しの事でしょうが」
ふふふと神官は楽しそうに笑った。
「今回の仕事が終われば、あの子は誰が何と言おうと上級に上げます。それだけの仕事をしてきました。それと同時に色々大掃除もしようと思っていますからね」
楽しみにしてて下さいねと神官は笑って締めくくったが、さて“楽しみ”に出来る人間は、さていかほどか。
吹き荒れるだろう嵐を予想し、今からそれがとても楽しみだった。
末神は一応無事回収。巫女も回収、もとい確保した。
一仕事済んだ後はいつも、疲れ果てるのか酷く眠そうにする。
ふらふらと歩く足取りが危なっかしくて仕方ないので、いつからか問答無用で抱きあげて運んでいた。
今回ももちろん腕に抱えると、いつものように下ろせとじたばたともがくが、自分にとってはたいした抵抗でもない。いいから寝ておけと言い、少女の顔をじっと見つめた。しきりに瞬きを繰り返し、今にも眠ってしまいそうだ。
『何代先の子孫になるか、わかりませんが』
本当に、本気で“子ども”を産むつもり、なんだろう。
どうやら神殿にもうんざりしているようだし、これ幸いと出て行くような事を言っていた。
あの神官が結婚相手なんか紹介するはずがないだろう。主神の巫女にする気満々だったんだから。
ただ、これは自分にとっては千載一遇のチャンスではなかろうか。
なんたって、大義名分がある。
「結婚相手は俺にしておけ。子どもが欲しいんだろう?協力してやる」
少女はえ、と目を見開き、驚き過ぎたのかぽかんと口を開けっ放しにした。もがくのも忘れて硬直している。
駄目押しとばかりもう一度言ってやると、今度はくたりと脱力して頭を胸に凭れさせてきた。
「ちょっと考えさせて下さい……」
そうして自分の腕に収まったまま、眠りに落ちる。
いくらでも考えればいいさ。でも 否は聞かないと心の中で呟く。
だいいち、自分の腕の中で安心して眠るって時点で、もう半ば“諾”の答えはもらっているものと解釈しているんだが。
「……今更、横からかっ攫われるのは我慢ならないからな……」
“徴”をつけていった末神にさえ、怒りを感じているのに、この上他の男に持って行かれるのは御免だ。
こういう事に不慣れそうな(というか全く興味もなさそうだった。巫女だからと言ってしまえばそれまでだが)彼女を脅えさせないように段階を踏むつもりだったが、仕方ない。
手を拱いているうちに、どこぞの男の手でも取られたら、泣くに泣けない。
このくらいなら許されるだろう。
そう思って、眠る彼女の額に、ちいさな口づけを落とした。