巫女と護衛後日談~大笑い~
ざわり、と喧騒が揺れた。
「ん、なんだ……っ、」
ソレ、を視界に入れた瞬間。堪える間もなく、爆笑していた。
「あ~可笑しかった、っ……」
目尻に浮かんだ涙をぐいと拭う間にも、目の前の幼馴染は口を引き結んだままそっぽを向いていた。
そうすると高い位置で結われ、そして幾本ものみつあみにして垂らされた髪の毛が嫌でも目に入るので、またもやぐふふと笑い声がこぼれそうになった。
「笑いたければ笑えばいい」
恐ろしく低い声で、幼馴染、もとい領主さま、兼自分の上司は言う。
ここで大抵の人間は、顔を青くしてめっそうもないとか叫ぶんだろうが、自分は違った。
「じゃあ、遠慮なく、っ、ふ、はははははっ」
腹を抱えて爆笑してやった。幼馴染はますます眉間の皺を深くした。
父親と自分とをきょとんと眼を丸くして見ながら、幼馴染の娘は、ねえおじさん、どうしたのと無邪気に尋ねていた。
ようやく笑いの発作も治まった頃。
幼馴染親子に飲み物を出す。幼馴染にはお茶、彼の幼い娘には温めたミルクを。居間のテーブルを挟んで向かい合って腰を下ろしている。彼は膝の上に、幼い娘を載せて、娘が零さないようにと手を添えてやっていた。
そうしていると、どこにでもいる父親なんだけどなあ。
顔が怖いのと、威圧感がもの凄いのとだけを除けば。
その呟きを他人が知れば、いやいやそれこそが問題なんですと首を横に振ること請け合いだろうな、とも思いつつ、市場からここ……自分の自宅……まで引っ張ってきた幼馴染に、直球で尋ねた。
「その頭。また奥さん怒らせたんだろ?今度は何やったんだ?」
「……何もやってない」
「嘘つけ。基本的には温厚な奥さんじゃないか。何もしてないわけないだろ?」
何やった?そう決めつけてやると、幼馴染の目が泳いだ。
感情を読ませない、強面の幼馴染が動揺したり感情を露わにしたりするのは、彼の奥方が絡む時だけだった。
結婚して何年目だ、十歳を超える子どもがいるのに、相変わらず惚れこんでいるんだなあと、彼と彼の奥方がこの街にやってきたときのことを思い出していた。
父親からその話を聞かされた時、ジュードは耳を疑った。
思わず父に訊き返していた。
「……エルが、ここの領主になるって……?」
「そうだ」
「……奥方、も連れて来るって?」
「そうだ」
短く答える父の前で、ジュードは思わず呟いていた。
「うわ~あいつ、結婚出来たんだ……」
父は無言でジュードの頭を叩いた。
「いてっ、なにすんだよっ」
「仮にも自分たちがお仕えする方だぞ、そのような無礼な事を言うな」
へいへいと頭を摩りながらジュードは答えた。
口の利き方については、父も諦めているのだろう。対外的にそれなりに振る舞っていればいいと思っているようだった。諦めているともいえた。
何しろ幼馴染であり乳兄弟であり、親戚でもある。
今更口の利き方を変えるのは難しかった。というより、むず痒かった。
エル相手に謙った言葉づかいをしている自分を想像し、ジュードはないないと首を振る。
エルにしたところで、あの厳つい顔を何割増しかで怖くして、嫌がりそうな気がした。
「結婚して、ここの領主、ねえ。あいつ確か、神殿で護衛してるんじゃなかったっけ?」
主筋たる家の、末息子。その家から自分たちの家はこの地の管理を任されている。
領主代行として、この地を治めるため遣わされたのは、はて何年前だったか。主筋の家は他の領地も同じように人をやって管理させていて、管理を任されている家は年に数度報告のために都へと行く。また数年に一度当主直々に領地の視察も行われていた。
位の高い家にしては珍しく、鷹揚で拘らない人間ばかりが揃っている家だ。当主たる彼の父親しかり、母親しかり。
そして彼の兄弟たちも方向性は違えど同じくで。彼自身も同様で、話も分かるし詰まらない事にはこだわらない……悪い奴じゃあないんだが、とにかく顔が怖いのだ。
大抵の令嬢は傍へも近づけず後ずさるか、目があった瞬間逃げ出すかだった。
ただ、家柄目当ての令嬢が果敢に挑むも、結局は押しつぶさんばかりの威圧感に負けて去って行った。
いつだったか、結婚しないのかと尋ねた自分に、幼馴染は眉間の縦皺を深くして答えた。
「俺が近寄れば逃げるか、もしくは下心満載で近寄られるかだ。俺は独り身でいい」
両親も納得済みだと言われては、なんとも答えようがなかった。
その、エルが結婚。
「……捕まえたか捕まったか、さてどっちだ?」
ジュードの呟きを父は黙殺した。そして父は重々しく口を開いた。
「せめて奥方様への口の利き方はなんとかしろ。エル様の剣の錆にされても知らんからな」
そうして。数年ぶりに顔を合わせたエルは、相変わらず怖い顔で、ご領主がやってくると聞きつけ、物見高く見ていた領民たちを視線一つで蹴散らしていた。
相変わらず威圧感凄いねえ、というか、領民威嚇してどうするんだと内心呆れながらエルに近寄って……とりあえずは早いところ領主館に放り込むつもりだった。
領民にはおいおい、あれは顔が怖いだけ、つつかなきゃ吠えないし噛みつかないからと説明すればいいし、幼馴染にはこれからの事を話し合う必要があったからだ。
エルが歩くたび、面白いように人垣が割れる。
ざわざわというどよめきが聞こえ、おやあと首を傾げる。
恐れおののかれ、声も出ないのは分かるが、ざわめきは何でだろうか。
それはすぐにわかった。エルは一人ではなかった。
エルが片腕で……小さい子にするように抱いている、女性。
エルの首と肩に両腕を回し、面白そうに辺りを見回しては、何事かを彼に囁いている。その様子は親子のように微笑ましいものだったが、いかんせんエルの顔つきが怖すぎた。
これ、もしかして、ひとさらいか何かと勘違いされてる?
ジュードに気付いた領民の一人が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「あっいいところに!なああれって、もしかしてひとさらいじゃないのか?」
関所の方から、そんな話が回ってきていたじゃないか。
ああ、あれねと遠い目になった。関所から回覧された通達を見て、まさかこれ“ご領主夫妻”じゃないよなと、父に言っていたのだが。思い返せば、その時父は苦いものを呑みこんだような顔をしていた気がする。
あ~……どう言っていいものかジュードは力なく笑った。
ここで、あれがご領主さまで、腕に抱いているのが奥方様(推測だが間違いなかろう)と言ったら、驚愕されること間違いなしだ。
だがとりあえずこの場でいちいち言って回るのは面倒だし骨が折れる。
どうせ領民には通達を出し、街の主だったものを集めてお披露目を兼ねた挨拶をするのだ。その時でよかろうと思ったのだ。
「……とりあえず、あれはひとさらいじゃない。そう誰かに訊かれたら言っておいて」
話している間に、エルがこちらに気付いてか近寄ってきた。
すると領民は顔を青ざめさせてどこかへ走り去って行った。
「……久しぶりだな」
ジュードを見下ろし、幼馴染は表情も変えずに言った。
以前とちっとも変らない怖い顔、低い声。
変わった事と言えば、伸ばされた髪の毛がみつあみにされていて、先を綺麗な飾りひもで括られている事、何より、腕に可愛らしい子を抱いている事だ。
うん、これじゃひとさらいに間違われるだろう。大柄な幼馴染と小柄な彼女が並べば、まるで大人と子どもだ。
「久しぶり。相変らず大した威嚇っぷりで」
ふん、とエルは鼻を鳴らす。あれは威嚇じゃないとでも言いたげだった。
「ま、それはいいとして、仮にもご領主さまが領民怖がらせちゃ駄目だろう。ところで、奥さんってその子?」
そうだ、とエルは答え、代わって柔らかな声が続く。
「はじめまして、ミモリと言います。これからよろしくお願いします」
こんな恰好で失礼しますねと彼女は言った。
ジュードは手をひらひら振って、
「ああ、気にしないで。僕はジュードといいます。父が領主代行をしているから、これからも何かと顔を合わせるかと……ってお前、どこ行くんだっ」
人が挨拶をしてるのに、すたすたと先にいく奴があるかと叫べば、エルは振りむき、ふんと鼻を鳴らしてまた歩きはじめた。
「ちょっとエルさん?って、いたたたっ、この、莫迦力っ、痛いですって」
もう下ろして下さい、歩きますからと言う彼女の声が聞こえる。
ああそう、と思い当たったその答えに、腹の底から爆笑しそうだった。
他の男と話すのが気に入らないって、どこまで焼きもちやきなの、と。
捕まえたのは幼馴染の方。でも、捕まったのも、また。
面白くなりそうだなあと笑いの発作をこらえつつ、彼らの後を追ったのだった。
それから色んな事があった。
エルには三人の子が生まれ、ジュードは父の跡を継いだ。
領主代行でなくなったとはいえ、実際の仕事はたいして変わりがない。
領主の補佐という立場のはずだが、俺よりお前の方が向いているだろうと、エルは仕事の大きな部分をこちらに任せているからだ。
怖い顔のご領主さまと、奥方さまにして末神様を祀る神殿の巫女様。
彼らのことを、そう領民たちは認識している。
彼らがこの地へ来る数年前から建設が始まった末神様を祀る神殿。てっきり中央から神官や巫女が派遣されて来るかと思っていたら、誰もやって来ないと聞いて首をひねっていた。
規模は小さいものの、かなり立派な神殿だ。それに……主筋の家が関係していると知っていたから、ますます疑問に思った。
それが解けたのは、幼馴染がここへやって来てからの、こと。
巫女でいられるのは、未婚のうちだけだ。大抵は結婚すると力も失われるらしい。しかし奥方は巫女の力を失わないままだった。子を産んでもそれは変わらなかった。
末神様を祀る神殿で、今も巫女をつとめている。
基本的には温厚な彼女だが、怒らせると的確に相手の弱いところを抉りその上から塩をなすりこむ様な、それは恐ろしい怒り方をする。おまけに笑顔でやってのけるものだから、初めてそれを見た時には目を疑った。
幼馴染は、その辺でやめておけと彼女を窘めていたから、もし止められなければ彼女は相手をどこまで追い詰めたことやら。
ご領主夫妻を敵に回しちゃ駄目だよと通達だそうかなあ、と街の有力者たちの顔を思い浮かべすぐさま首を横に振った。
一度痛い目を見ておいた方がいいだろうと思いなおしたのだった。
そうして。
今、ジュードの向かいに腰かけ、娘の世話をしている男はいかにも不機嫌そうに唇を引き結んでいる。
口を割りそうにないと思ったジュードは、こくこくとミルクを飲んでいる彼の娘に声をかけた。
「お父さんと髪の毛おそろいだねえ。お母さんがやってくれたの?」
「うんそう!可愛い?」
「もちろん可愛いよ!ね、今日はお母さんどうしたのかな?うちに来る時はたいてい、お母さんと一緒だよねえ」
「きょうねえ、おかあさん朝起きてこなかったの。おにいちゃんが朝ごはん作ってくれたの。髪の毛むすんでくれたあとに、また寝ちゃったの~」
「……へえそうなの~……」
子どもの発言から推測し、思わず呆れた声をあげかけ、思いとどまった。 小さい子に聞かせるにはいささか、教育上よろしくないからだ。
それを察した男はこれ幸いと腰を上げかけ、しかし小さく舌打ちをして腰を下ろす。
居間にジュードの息子のローランドが入ってきた途端、娘が目を輝かせ、父親の膝から飛び降りたからだ。
「おにいちゃん!」
そうしてべたりと息子の膝にしがみつく。ローランドは娘の髪型を見て、
「今日も可愛くしてもらってんだなあ」と言いながら、軽い体を抱き上げている。きゃっきゃと嬉しそうにはしゃぐ娘を、エルは眉間に皺をよせて見つめていた。
「あ~でも……魔王サマと同じ髪型だと思うと微妙だわ……」
その言葉に、エルのこめかみがひくりと引き攣った。威圧感を漂わせる男に、うわこええと肩を竦めながら、息子は幼い子どもに「オトウサンの話が済むまで、庭ででも遊ぶか」と誘い、こちらを見てきた。
さっさと行け、と手を振ってやると、ローランドは子どもを抱き上げたまま、居間を出て行った。
ミモリさんによろしくね、魔王サマ、と要らぬ言葉を残して。
家族ぐるみの付き合いだから、息子は誰が来ているか知ったうえでここへやって来たのだろうが。
「ええと、人の息子、射殺さんばかりに睨まないでくれるかな?」
「お前の息子じゃなかったら、実力行使に出ている」
「ああそう……」
エルは憤慨したように続けた。
「ひとを魔王呼ばわりするうえに、ミモリによろしくだと?まだ付きまとうつもりか」
忌々しそうに吐き捨てる様子に、あれ一応僕の息子だしお手柔らかにねと苦笑すれば、じっとりとした目で睨まれた。
「そうだな、お前の息子だからか、ちょっとくらい威嚇しただけじゃ効果なかったな。あの時仏心なぞ出さすに、全力で威嚇しておくんだった」
「まだ根に持ってるんだ、十年以上前の事だろう」
初めて彼ら夫妻がこの街へと来た時。
なんと僕よりも先に、僕の息子に会っていたらしい。
食堂で休憩していた彼女に、ほんの子供だった息子が色々と話しかけ、仲良くなったところへ席をはずしていた彼が戻ってきた。
彼女を連れていこうとした彼に、息子はひとさらいと叫び彼の腕に取りすがったそうだ。
そこへ、息子を打ち砕く無情な言葉があがる。
このひと、わたしの旦那さんよ?
ジュードが家に帰るなり、えぐえぐと泣いている息子に抱きつかれた。
魔王に浚われた女の子が居るんだ、助けてよう。
嫌な予感がして、今でてきたばかりの領主館へ足を向ける。
この頃は仕事の関係で、領主館近くに家を借りていたのだ。
ジュードを見た彼女は、あら忘れものでもと首を傾げ、ついで視線を下に向け目を丸くする。
あらきみ、さっきお話してくれた子ですね。どうしたの?
息子は顔をくしゃくしゃにして彼女にしがみつこうとしたのだろうが、それはあえなく阻止された。
彼女をひょいと抱き上げた男が、恐ろしく低い声で唸ったからだ。
それはお前の息子かと。そうだと頷けば、ますます低い声があがる。
人を魔王扱いしてくれたぞ。
魔王サマ!似合うねえって、怒らない怒らない。あのね、このひと……。
ジュードの声は途中でかき消された。なぜなら、息子が目に涙を一杯溜めて叫んだからだ。
魔王、おねえちゃんを離せよ!
そして怖いもの知らずにも程があるに、げしげしとエルの足を蹴りつけていたのだ。
こうまで直接的にエルに喧嘩を売った奴初めて見たなあと遠い目をしつつ、とりあえず子どもを引き剥がす。
ええとローランド、このひとは魔王じゃなくて、ご領主さまだよと宥めてみても、息子は聞く耳を持たず首を振った。
嘘だ、おねえちゃんが浚われるよ!父さん何とかしてよ!
何とか出来るものならねえ……と苦笑していると、エルの腕から抜け出た彼女が、腰をかがめて息子の顔を覗き込んでいた。
お姉さんの名前はミモリです。きみはなんていうの?
ローランド……っ、おねえちゃん、逃げようよっ。
このひとねえ、こんな怖い顔だけど、怖くないから。魔王サマじゃないし、なにより、わたしの旦那さまです。
ね、と彼女は後ろを振り返り、幼馴染に目配せした。少しでも笑えと言いたかったのだろうが、逆効果だった。
幼馴染が何とか笑おうとしたのを見るや否や、息子は盛大に泣きわめきながら走り去ったのだ。
嘘だっ、やっぱり魔王だっ、おねえちゃんは騙されてるんだっ。
魔王魔王と連呼され、項垂れる幼馴染と、必死に慰める彼女には罪悪感を覚えながら、あまりに居たたまれない場を後にしたのだけれど。
やはり自分の息子と言うべきか、転んでもただでは起きないと言うべきか。
魔王サマ、もといご領主さまを恐れつつも何かとちょっかいを出し、彼女には満面の笑顔を振りまき、今では息子も成人しようかという年になった。
今では彼が幾ら威嚇しても、恐れる様子もない。
「まあいいじゃない、あれも挨拶がわりと思えばさ。それよりさ」
わざとらしく笑ってやると、幼馴染は顎を引きこちらを見た。
「あんまり奥さんに負担かけるんじゃないよ、朝起きられないほどするって何さ。若造じゃあるまいし」
沈黙ののち、視線が逸らされ、嬉しくもない予想が当たった事を知る。
「奥さんに愛想尽かされても知らないよ、ほんと。それとも四人目の子どもでも作る気かな」
「……それもいいな」
どこかうっとりと呟いた幼馴染に、打つ手なしと天井を仰いだのだった。
「でも真面目な話、彼女がその程度の仕返しで済ませてくれてる内が花だよ。わかっていると思うけど」
「……?」
「その髪型、結構手間かかるだろ?それで仕返しって可愛いもんじゃないか。それで済んでるうちにちゃんと謝っておけよ……って、どこ行くんだ?ああ彼女の好きな菓子買いに行くって?ああいいよ、あの子は送って行くから……って、もう行った」




